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白織夜叉の冒険譚  作者: 蹴 鞠
第2章
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7話 バグ


「……その話」


鞠凪は、静かに夜叉を見つめた。


「もう少し詳しく聞かせてくれる?」


「うん」


夜叉は頷いた。


四人は鞠凪の部屋に座っている。


いつもなら。


鞠凪の作った料理を囲んで、他愛のない話をする時間だった。


けれど今日は。


誰も笑っていない。


「まず……」


夜叉が口を開く。


「森の中に、変な足跡があったのぉ」


「足跡?」


「うん。大きかった。でも、匂いもなかったし……普通の動物や魔物の足跡とは違った」


「それから?」


鞠凪は聞く。


「動物たちが、何かから逃げてるみたいだった」


リゼットが続けた。


「狼型の魔物も様子がおかしかった。まるで、何か恐ろしいものから逃げてきたみたいに」


「……なるほどねぇ」


「それで」


レオンが言った。


「森の奥で、何体かの異形を見た」


鞠凪の指が。


机の上で止まった。


「最初は獣か人か分からないような黒い怪物」


「もう一つは、顔の中央に大きな穴がある怪物」


「……」


「最後に、黒い人影のようなもの」


その瞬間。


鞠凪の瞼が。


ほんの少しだけ開いた。


夜叉は気づかなかった。


けれど。


レオンは気づいた。


リゼットも。


カイルも。


そして。


わずかに開いた瞳の奥。


青い光が。


一瞬だけ。


夜の湖面のように揺らめいた。


「……黒い、人影」


鞠凪が繰り返す。


「はい」


レオンが頷く。


「あれは、あの魔物を追っていた」


「戦ったの?」


「ええ」


リゼットが答えた。


「でも……変だった」


「何が?」


「あの黒いものは、私たちにほとんど興味を示さなかった」


カイルが腕を組む。


「俺たちが攻撃しても、目的を変えなかった」


「ずっと?」


「ずっと」


「何をしていたの?」


「逃げる魔物を追ってた」


鞠凪は黙った。


「……そして」


夜叉が言う。


「その魔物が逃げ切ったら」


「どうなった?」


「急に、興味をなくしたみたいに……帰っていった」


「……」


鞠凪の瞳から。


青い光が消える。


再び。


瞼が閉じられた。


「そうだろうねぇ」


小さな声だった。


「……やっぱり」


「やっぱり?」


夜叉が聞き返す。


鞠凪は答えない。


代わりに。


「夜叉」


「うん?」


「その黒いものは」


少しだけ間を置いて。


「人の形をしていたんだねぇ」


「……うん」


夜叉は頷く。


「でも、人じゃない」


「そう」


「身体も……普通じゃなかった」


夜叉は森で見た姿を思い出す。


「腕が……変な形になったのぉ」


「変な形?」


カイルが付け加えた。


「俺の目の前で、腕そのものが変わった。あれは……人間にはできない」


「なるほどねぇ」


鞠凪は小さく息を吐いた。


そして。


「それはねぇ」


静かに。


「バグ」


部屋の空気が。


止まった。


「……バグ?」


夜叉が聞き返す。


「うん」


鞠凪は目を閉じたまま答える。


「そう呼ばれてるんだぁ」


「魔物の名前?」


「ううん」


「じゃあ……何?」


「病気でもない」


「……」


「呪いでもない」


鞠凪の声が。


少しだけ低くなる。


「生き物の身体を変えてしまう、異常なもの」


リゼットが息を呑む。


「それじゃあ……あの魔物も?」


「そうだろうねぇ」


「黒いものも?」


「……そうだろうねぇ」


鞠凪は答えた。


「ただし」


その声に。


わずかな重みが混じる。


「同じものでも、状態によって姿が違う」


「状態?」


「感染したばかりのものもいれば」


一拍。


「長く変化したものもいる」


四人は顔を見合わせる。


「……じゃあ」


カイルが口を開く。


「あの黒い奴は、かなり進んでたってことか?」


「分からない」


鞠凪は即答した。


「私にも、見てみないと判断できないねぇ」


珍しい。


四人はそう思った。


鞠凪が。


「分からない」と言った。


「でも……」


夜叉が呟く。


「お母さんは、知ってるんだよね?」


鞠凪は。


少し黙った。


「……知っているよぉ」


「どれくらい?」


「それなりにねぇ」


「騎士団も?」


「知っているよぉ」


「えっ?」


カイルが身を乗り出す。


「騎士団も知ってんの?」


鞠凪は答える前に。


ゆっくりと湯飲みを持ち上げた。


「知らなくていい人まで知れば……」


湯気の向こうで。


表情が見えなくなる。


「余計な混乱が起きるからねぇ」


「……隠してる?」


リゼットが尋ねる。


「そういうことだねぇ」


鞠凪は否定しなかった。


「被害が確認されれば対処する」


「でも、公にはしない」


「そう」


レオンが眉を寄せる。


「それほど危険なのか?」


鞠凪は。


しばらく黙っていた。


「……種類による」


「種類?」


「バグには段階があるからねぇ」


その言葉に。


夜叉が顔を上げた。


「段階……?」


「そう」


鞠凪は頷く。


「最初は、ただの異常に見える」


「……」


「でも」


声が少しだけ低くなる。


「時間が経つほど、変わっていく」


カイルが腕を組む。


「じゃあ、今日のあいつは?」


「分からない」


また。


その答え。


そして。


「ただ」


鞠凪が静かに続ける。


「もし、君たちが見た黒いものが」


ほんの僅かに。


閉じた瞼が動いた。


「私の想像しているものなら」


鞠凪の声が。


今までになく冷たくなる。


「……かなり珍しいよぉ」


「珍しい?」


「姿を確認した記録そのものが少ない」


夜叉が黙る。


「騎士団にも?」


「ほとんどないよぉ」


「じゃあ……」


リゼットが尋ねる。


「あれが何なのか、分かってないの?」


「分からない部分が多い」


鞠凪は答えた。


「目撃例も少ないからねぇ」


部屋の中に。


再び沈黙が落ちる。


夜叉は俯いた。


頭の中に。


あの怪物の声が蘇る。


『嫌だ』


『来るな』


『俺は……喰われる』


そして。


自分の記憶。


『やめて……』


『お願い……』


『この子だけは……』


夜叉は胸元を押さえた。


「……お母さん」


「ん?」


「あの黒いものに追われてた怪物も……」


言葉を選ぶ。


「バグなの?」


鞠凪は。


すぐには答えなかった。


そして。


「……そうだよぉ」


静かに。


そう答えた。


「ただし」


鞠凪は四人を見た。


瞳は閉じたまま。


「まだ、君たちが知らないことは多い」


「……」


「だから」


優しい声に戻って。


「今日見たことは、できるだけ他では話さないほうがいいよぉ」


「どうして?」


「見つけられるからねぇ」


「でも……」


夜叉は言いかけて。


口を閉じた。


鞠凪はそんな夜叉を見て。


ほんの少しだけ笑った。


「心配しなくていいよぉ」


「……うん」


「何か分かったら」


鞠凪は湯飲みを置く。


「教えてあげるからねぇ」


その言葉に。


四人は頷いた。


けれど。


夜叉だけは。


まだ納得していなかった。


なぜ。


自分はあの怪物を見て。


あんな記憶を思い出したのか。


なぜ。


あの「喰われる」という言葉に。


胸が痛んだのか。


そして。


なぜ。


鞠凪は。


あの黒い人影の話を聞いた瞬間。


ほんの一瞬だけ。


あんな目をしたのか。


夜叉は知らない。


鞠凪の閉じた瞼の奥で。


青い瞳が。


まだ静かに光っていた。

読んでくれてありがとうございます〜

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