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白織夜叉の冒険譚  作者: 蹴 鞠
第2章
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5話 記憶の断片


弦が。


限界まで引き絞られる。


夜叉の指先から、微かな震えが伝わっていた。


それでも。


矢先だけは、微動だにしない。


黒い人影と。


その足元で震える怪物。


その二つを一直線に捉えている。


「……」


黒い人影は動かなかった。


大きく開いた口も閉じない。


ただ。


夜叉を見ている。


いや。


見ているというより。


観察している。


まるで。


初めて、自分の邪魔をするものを認識したかのように。


「夜叉……」


レオンが低く呼ぶ。


「分かってるよぉ」


夜叉は答えた。


「でも……」


青い瞳が細くなる。


「この子を、これ以上怖がらせたくない」


その言葉を聞いた瞬間。


黒い人影が。


動いた。


「――ッ!」


矢が放たれる。


ヒュンッ!


黒い人影の顔。


そのすぐ横を矢が通り抜けた。


ドッ!


背後の木に突き刺さる。


黒い人影が、ほんの僅かに首を傾けた。


まるで。


矢が当たらなかったことではなく。


夜叉がどこを狙ったのかを理解しているようだった。


「……今の、避けた?」


カイルが呟く。


「うん」


夜叉が答える。


「避けたねぇ」


「じゃあ――」


リゼットが杖を構える。


「効くかどうか、試してみるわ」


杖の先に魔力が集まる。


「――凍れ!」


地面が一瞬で白く染まった。


霜が広がり。


黒い人影の足元を覆う。


さらに。


氷の柱が地面から突き出した。


黒い人影の身体を挟み込む。


「今よ!」


レオンが踏み込んだ。


盾が唸る。


「――はあッ!」


正面から叩き込む。


ドォンッ!!


黒い人影の身体が吹き飛ぶ。


木に激突する。


幹が大きく揺れた。


「やった……?」


カイルが呟く。


しかし。


夜叉だけは弓を下ろさなかった。


「……まだ」


「え?」


黒い人影の指が。


地面を掴んだ。


ギシ。


ギシギシ。


ゆっくりと。


身体を起こす。


「……嘘でしょ」


リゼットが息を呑む。


黒い人影は立ち上がった。


傷はある。


血も流れている。


けれど。


痛がる様子がない。


怒っている様子もない。


ただ。


怪物を見ている。


それだけだった。


「……何なんだ、こいつ」


レオンが盾を構え直す。


黒い人影が。


一歩。


踏み出した。


その瞬間。


「――嫌だッ!」


足元の怪物が叫んだ。


身体を引きずりながら後ろへ逃げる。


「来ルな!」


爪が地面を掻く。


「来るナ……!」


その声は。


戦う者の声ではなかった。


生き延びようとする者の声だった。


夜叉はそれを聞いて。


胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。


また。


あの記憶。


白い雪。


冷たい風。


自分よりずっと大きな誰かの腕。


そして。


震える声。


『やめて……』


『お願い……』


『この子だけは……』


「……っ」


夜叉は目を閉じる。


「夜叉!」


レオンの声。


目を開く。


目の前には森。


黒い人影。


怯えた怪物。


そして仲間たち。


「……大丈夫だよぉ」


夜叉は小さく笑った。


「ちょっと……昔のことを思い出しただけ」


「昔?」


カイルが聞き返す。


「ううん」


夜叉は首を横に振った。


「まだ……思い出せない」


その瞬間。


黒い人影が。


再び動いた。


「来る!」


リゼットが叫ぶ。


黒い人影の腕が。


大きく振り上げられた。


「レオン!」


「ああ!」


盾が前へ。


ガンッ!!


衝撃が森を揺らす。


「ぐっ……!」


レオンの足が地面に沈む。


「重い……!」


カイルが横から斬り込む。


短剣が黒い身体を裂く。


しかし。


黒い人影は振り向かない。


「……!」


カイルが目を見開く。


「こいつ……!」


斬られているのに。


こちらを見ない。


狙っているのは。


ずっと。


あの怪物だけ。


「カイル、離れて!」


夜叉の声。


「おう!」


カイルが飛び退いた瞬間。


黒い人影の腕が伸びた。


いや。


伸びたように見えた。


次の瞬間には。


腕の形が変わっている。


細く。


鋭く。


異様な形へ。


「――っ!」


夜叉が矢を放つ。


腕に突き刺さる。


黒い人影の動きが僅かに逸れた。


その隙に。


レオンが盾で押し返す。


「今だ!」


リゼットが魔法を放つ。


風が巻き起こる。


炎が走る。


氷が地面を覆う。


三つの魔法が連続して炸裂した。


轟音。


白い煙。


黒い影。


森の中が一瞬だけ何も見えなくなる。


「……やった?」


カイルが息を整える。


煙が。


ゆっくりと晴れていく。


「……いない?」


黒い人影の姿がない。


レオンが周囲を見回す。


「どこへ――」


「上!」


夜叉が叫んだ。


木の上。


黒い人影がいた。


枝の上に立っている。


こちらを見下ろしている。


そして。


その視線は。


また怪物へ向いた。


「……逃げて」


夜叉が呟く。


怪物が震える。


「……え?」


「早く」


夜叉は怪物を見る。


「私たちが時間を稼ぐから」


「……どうして」


「さあ」


夜叉は少しだけ困ったように笑った。


「自分でも、よく分からないんだぁ」


怪物は動かなかった。


けれど。


やがて。


ゆっくりと立ち上がる。


そして。


森の奥へ走り出した。


黒い人影の首が。


その方向へ向く。


――瞬間。


「行かせない!」


レオンが叫ぶ。


盾を構え。


黒い人影の前へ立つ。


カイルがその隣に並ぶ。


「今度こそ、通行止めだ」


リゼットも杖を構えた。


「三人とも……」


夜叉は小さく息を吐く。


そして。


弓を引く。


「……ありがとう」


黒い人影が。


木の上から。


ゆっくりと降りてくる。


その動きには。


焦りがない。


怒りもない。


ただ。


獲物を追う。


それだけ。


だからこそ。


四人は理解した。


――こいつは。


自分たちと戦いたいわけじゃない。


自分たちを殺したいわけでもない。


ただ。


あの怪物を。


追っている。


それだけなのだ。


そして。


その「それだけ」が。


ひどく恐ろしかった。

読んでくれてありがとう〜

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