4話 食べさせない。
『邪魔ぁ……するなよなぁ』
その声が森に響いた。
四人は動かなかった。
目の前にいる黒い人影。
先ほどまで、自分たちなど見ていなかった。
それが今。
初めて。
こちらを見ている。
夜叉は弓を構えたまま、静かに息を吐いた。
「……やっぱり」
「何が?」
レオンが尋ねる。
「私たちじゃなくて……」
夜叉の視線が、黒い異形へ向く。
「あなたは、あの子を追ってるんだねぇ」
返事はなかった。
黒い人影は、ただ怯えた怪物を見ている。
その視線には、憎しみもない。
怒りもない。
殺意すら。
ただ。
食べるものを見るような。
妙に静かな視線。
「……気持ち悪い」
カイルが小さく呟いた。
「こっちを見てるのに、俺たちを見てないみたいだ」
「同感ね」
リゼットが杖を構える。
「理性があるようにも見える。でも、目的が一つしかない」
「だったら」
レオンが盾を前に出した。
「その目的を止めればいい」
黒い人影が動いた。
一歩。
地面が沈む。
――ドン。
「来る!」
レオンが叫んだ。
次の瞬間。
黒い影が消えた。
「――っ!」
速い。
夜叉が反射的に弓を引く。
だが。
目で追えない。
「右!」
カイルの声。
レオンが盾を振る。
ガンッ!!
衝撃。
盾が大きく揺れた。
「ぐっ……!」
レオンの身体が後ろへ滑る。
「レオン!」
夜叉が矢を放つ。
ヒュッ!
矢が黒い人影の肩へ突き刺さる。
――しかし。
止まらない。
「……効いてない?」
リゼットが目を見開く。
「違うよぉ」
夜叉が言った。
「効いてる」
「え?」
「でも……」
夜叉の目が細くなる。
「痛がってない」
黒い人影は、肩に刺さった矢を見た。
ほんの一瞬。
それだけ。
そして。
指で矢を掴んだ。
――ズブッ。
自分の肉ごと。
引き抜いた。
血が落ちる。
ぽた。
ぽた。
それでも。
表情は変わらない。
「……何なんだよ、こいつ」
カイルが後退する。
その横を。
怯えた怪物が駆け抜けた。
「今だ!」
カイルが叫ぶ。
「レオン!」
「ああ!」
レオンが盾を構え。
黒い人影との間へ割り込む。
その隙に。
「こっち!」
リゼットが怯えた怪物へ声をかけた。
しかし。
「来るな!」
怪物が叫ぶ。
「お前たちも邪魔ダ!」
「え?」
リゼットが固まる。
「何を――」
「逃げルんダ!」
怪物が叫んだ。
「私は……!」
顔の中央に開いた穴が震える。
「私は、あいつに喰わレる!」
その言葉に。
夜叉の胸が、また痛んだ。
――喰われる。
その言葉。
なぜか。
ひどく懐かしい。
けれど。
思い出せない。
「……怖いんだねぇ」
夜叉が静かに言った。
「……」
怪物が夜叉を見る。
「あなたは……」
夜叉は弓を下ろした。
「逃げたいだけなんだよねぇ」
「……来るな」
「うん」
夜叉は頷く。
「あなたを捕まえるつもりはないよ」
「……ナら」
「そして」
夜叉は黒い人影を見る。
「あなたを食べさせるつもりもない」
怪物の身体が、僅かに震えた。
「……どうシて」
「分からない」
夜叉は少し困ったように笑う。
「でも、目の前で怖がってる子を見捨てるのは……嫌かなぁ」
「夜叉らしいな」
レオンが笑った。
「そういうところは変わらない」
「今は褒めてる場合じゃないわよ」
リゼットが言う。
「来るわ!」
黒い人影が。
盾を回り込もうとしていた。
カイルがすぐ横へ走る。
「おっと!」
短剣が閃く。
黒い人影の腕を狙う。
しかし。
腕が。
ぐにゃりと変形した。
「……は?」
カイルの目が見開かれる。
人間の腕だったものが。
途中から鋭く尖っていく。
刃物のような形へ。
「カイル!」
レオンが盾を叩き込む。
――ガンッ!
攻撃が逸れた。
その瞬間。
「――風よ!」
リゼットの魔法が炸裂する。
風圧が黒い人影を吹き飛ばした。
木の幹へ叩きつけられる。
――ドゴンッ!
「今!」
夜叉が叫ぶ。
矢が三本。
連続して放たれる。
一本。
二本。
三本。
黒い人影の周囲の木へ突き刺さる。
「……?」
黒い異形が夜叉を見る。
夜叉は叫んだ。
「走って!」
怯えた怪物が一瞬だけ固まった。
そして。
森の奥へ走り出した。
「逃げんなよなぁ……」
黒い人影が追う。
「行かせるか!」
レオンが盾で進路を塞ぐ。
カイルが横から回り込む。
リゼットが地面を凍らせる。
四人の連携。
それは。
半年間、共に冒険を続けてきた彼らだからこそできる動きだった。
レオンが止める。
カイルが誘導する。
リゼットが動きを制限する。
夜叉が全体を見ながら、正確に矢を通す。
「左!」
「分かってる!」
「カイル、下がって!」
「了解!」
「レオン、そのまま!」
「ああ!」
黒い人影が。
何度も突破しようとする。
そのたびに。
四人が阻む。
けれど。
人影は諦めない。
何度倒されても。
何度吹き飛ばされても。
ただ。
怯えた怪物を追う。
「……本当に」
カイルが息を切らしながら呟く。
「俺たちのこと、どうでもいいんだな」
「そうみたいね」
リゼットが答える。
「怖いくらいに」
夜叉は黙っていた。
森の奥。
怯えた怪物の姿が見えなくなっていく。
それを追う黒い人影。
速い。
四人よりも遥かに。
遠くなるふたつの影。
夜叉は思った。
――あの子は。
逃げられない。
その瞬間。
森の奥から。
「いやああああああっ!」
悲鳴が聞こえた。
「……!」
四人の顔が変わる。
「近い!」
夜叉が走り出した。
「おい、夜叉!」
レオンたちも続く。
枝を払い。
木々を抜け。
森の奥へ。
そして。
開けた場所に出た。
「……!」
そこに。
怯えた怪物がいた。
倒れている。
その身体の上に。
黒い人影が覆いかぶさっている。
「――間に合わなかった……?」
リゼットが呟く。
しかし。
夜叉が気づいた。
「違う」
「え?」
「まだ……」
怪物は生きている。
震えている。
逃げようとしている。
黒い人影が。
ゆっくりと顔を近づける。
口が。
開く。
人間のものとは思えないほど。
大きく。
そして。
「――嫌ダ」
怪物が呟いた。
「嫌だ……」
夜叉の中で。
また。
何かが弾けた。
――白い雪。
――冷たい空気。
――小さな身体。
そして。
耳元で。
『やめて……』
『お願い……』
『この子だけは……』
夜叉の瞳から。
涙が落ちた。
「……やめて」
自分でも驚くほど。
小さな声だった。
黒い人影が。
止まる。
夜叉を見る。
今度こそ。
はっきりと。
四人を見た。
夜叉は弓を引く。
指先が震えている。
それでも。
弦は離さない。
「……その子を」
青い瞳が。
黒い人影を射抜く。
「食べさせない」
森の中に。
弓の弦が軋む音だけが響いた。
読んでくれてありがとう〜




