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白織夜叉の冒険譚  作者: 蹴 鞠
一章から二章までのお話。
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28/56

2話 森の奥の足跡。


森の中は、妙に静かだった。


風は吹いている。


木々も揺れている。


けれど、鳥の声がほとんどない。


虫の羽音すら、遠い。


まるで森そのものが、息を潜めているようだった。


「……静かすぎるな」


レオンが盾を構えたまま呟く。


「そうね」


リゼットも周囲を見渡す。


「魔物がいないわけじゃない。でも……こちらに近づこうとしない」


「つまり?」


カイルが短剣を逆手に持つ。


「何かに怯えてるってことだろ」


「たぶんねぇ」


夜叉が答えた。


彼女は弓を構えたまま、森の奥を見ていた。


白い猫耳が、わずかに動く。


右。


左。


後ろ。


そして――前。


「……あっち」


夜叉が指差した。


「何がある?」


レオンが尋ねる。


「分からない」


「分からない?」


「うん〜」


夜叉は少し困ったように笑った。


「音はするんだけど……何の音なのか分からないんだぁ」


「夜叉にも分からない音?」


カイルが驚く。


「珍しいな」


「うん」


夜叉は頷いた。


「だから、ちょっと気になる……」


その言葉を聞いて、カイルが笑った。


「じゃあ行ってみるか」


「怖くないの?」


リゼットが聞く。


「怖いよ?」


「即答するんだ……」


「怖いから慎重に行くんだよ」


カイルは肩をすくめた。


「レオン、頼む」


「ああ」


レオンが前へ出る。


大きな盾を構え、慎重に歩く。


カイルがその斜め後ろ。


リゼットが中央。


夜叉が最後尾。


――いや。


夜叉だけは、時々後ろを振り返っていた。


「夜叉?」


リゼットが気づく。


「どうしたの?」


「……ううん」


夜叉は首を振る。


「何でもないよぉ」


そう言って前を向く。


しかし。


その青い瞳には、ほんの少しだけ不安が浮かんでいた。


───


しばらく進むと。


レオンが手を上げた。


全員が止まる。


「……見ろ」


地面。


泥の上に、足跡が残っていた。


「ゴブリン?」


カイルがしゃがみ込む。


「いや」


レオンが首を振った。


「違う」


足跡は大きかった。


狼よりも大きい。


しかし、人間の足跡にも似ている。


「何これ……」


リゼットが眉をひそめる。


夜叉が近づく。


しゃがみ込んで、足跡に指を近づけた。


触れない。


ただ、その周囲を見る。


「……一人」


「一人?」


夜叉は足跡の向きを確認する。


「うん」


ここから来て……。


指先が森の奥へ向く。


「向こうへ行ってる」


「魔物か?」


レオンが聞く。


「分からない」


「またそれか」


カイルが苦笑する。


「今日は『分からない』が多いな、夜叉」


「だって本当に分からないんだぁ」


夜叉は頬を少し膨らませる。


「おかしいなぁ」


「何が?」


「足跡は新しいのに……」


夜叉が地面を見る。


「匂いがない」


カイルの表情が変わった。


「……匂いが?」


「うん」


夜叉は頷いた。


「普通なら、土が掘り返された匂いとか、体の匂いとか、少しくらい残るんだけど」


彼女は足跡の周囲を見る。


「何もない」


「つまり?」


リゼットが聞く。


「この足跡を残したものが、ここにいた痕跡がない」


四人の間に沈黙が落ちる。


「……それって」


カイルが呟いた。


「どういうことだ?」


「分からない」


「またかよ」


「ごめんねぇ」


夜叉が苦笑する。


その時。


――ガサッ。


茂みが揺れた。


レオンが即座に盾を構える。


「来るぞ!」


カイルが右へ回る。


リゼットが手を上げる。


魔力が渦巻く。


「――風よ」


風が走った。


茂みが大きく揺れる。


そこから飛び出したのは――。


「魔狼!」


カイルが叫ぶ。


三体。


狼型の魔物が一斉に飛びかかってきた。


レオンが前へ出る。


ガンッ!


牙が盾に叩きつけられた。


「二体!」


「任せて!」


カイルが横から入り込む。


短剣が閃く。


一体の狼が方向を変えた。


「夜叉!」


「うん〜」


弓が引かれる。


弦が鳴る。


――ヒュッ。


矢が飛ぶ。


狼の足元へ突き刺さった。


グルァッ!


体勢を崩す。


そこへレオンが踏み込む。


「――っ!」


盾で押し倒す。


カイルが一気に距離を詰める。


そして。


一閃。


狼が倒れた。


「残り一体!」


リゼットが叫ぶ。


最後の狼が夜叉へ向かって飛ぶ。


しかし。


「遅いよぉ」


夜叉が一歩だけ横へ動いた。


狼の牙が空を噛む。


その瞬間。


弓が至近距離で引かれた。


「――ごめんねぇ」


矢が放たれる。


狼が倒れた。


静寂。


「……終わったな」


レオンが息を吐く。


「楽勝だったな」


カイルが短剣を拭う。


「俺たち、強くなったよなぁ」


「油断しない」


リゼットが言う。


「まだ森の中よ」


「はいはい」


カイルが笑う。


夜叉は倒れた狼を見ていた。


「……変だなぁ」


「まだ何かある?」


レオンが聞く。


「この子たち」


夜叉が狼を見る。


「怪我してる」


「戦闘で?」


「違う」


夜叉は首を振った。


狼たちの身体には、細かな傷がいくつもあった。


噛み傷。


引っ掻き傷。


それだけではない。


爪が欠けている。


牙にも傷がある。


「逃げてきたのかなぁ」


夜叉が言った。


「何から?」


カイルが聞く。


夜叉は答えなかった。


ただ。


森の奥を見る。


「……分からない」


また、その言葉。


しかし今度は。


誰も笑わなかった。


───


さらに森の奥へ。


しばらく歩いたところで。


「……止まって」


夜叉が言った。


全員が止まる。


目の前。


巨大な木が一本、立っている。


その幹に。


何かが刻まれていた。


「傷?」


カイルが近づく。


「爪跡? 傷? それと……何だ、この黒いの」


「魔物の血、かしら?」


リゼットがそれを見ながら答える。


木の幹に傷があった。


けれど。


黒い血のような液体が付着している。


しかし。


こんな黒い血は、見たことがなかった。


夜叉が近づいた。


「……これ」


青い瞳が見開かれる。


「知ってるの?」


レオンが聞く。


「ううん」


夜叉は首を振る。


「知らない」


それでも。


なぜか。


胸の奥がざわついた。


懐かしい。


そんな感覚。


けれど、知っているわけではない。


「……なんだろう」


夜叉が手を伸ばす。


指先が。


刻まれた傷に触れようとした。


その瞬間。


「触らないで!」


リゼットが叫んだ。


夜叉の手が止まる。


「……?」


「魔力が流れてる」


「え?」


「ほんの僅かだけど」


リゼットが目を細める。


「これ、ただの傷じゃないわ」


「魔法?」


「分からない」


リゼットが慎重に観察する。


「少なくとも、普通の傷ではない」


レオンが周囲を見る。


「誰がこんなものを?」


カイルも黙っている。


その時。


――森の奥から。


また。


あの音が聞こえた。


ず……。


ず……。


ず……。


夜叉の耳が立つ。


「……来る」


全員が武器を構えた。


音が近づく。


木々の間。


暗闇。


何かがいる。


レオンが盾を構える。


カイルが低く身を落とす。


リゼットが魔力を集中させる。


夜叉が弓を引く。


そして。


木々の向こうから。


巨大な影が――。


姿を現した。


「……!」


四人が息を呑む。


それは。


魔物ではなかった。


人間でもない。


獣でもない。


半分だけ形を持ったような、不気味な何か。


身体の一部が黒く。


その輪郭が、まるで煙のように揺らいでいる。


そして。


その胸元に。


木に刻まれていたものと同じ傷があった。


夜叉が呟く。


「……あれ」


それを見た瞬間。


目の前の怪物から。


低い声が響いた。


「――助けて」


四人が凍りつく。


夜叉の青い瞳が、大きく開かれた。


「……今、喋った?」


カイルが呟く。


怪物は答えない。


ただ。


ゆっくりと腕を上げる。


その瞬間。


森中から。


大量の鳥が一斉に飛び立った。


バサバサバサッ――!


空が黒くなるほどの群れ。


そして。


その中心で。


怪物が、もう一度呟いた。


「――やめて」


夜叉は弓を握り直した。


その表情から、いつもの穏やかな笑顔は消えていた。


「……みんな」


「分かってる」


レオンが前へ出る。


「戦うぞ」


カイルが笑う。


「やっと本番ってわけだ」


リゼットが魔力を集める。


「油断しないで」


そして。


夜叉が静かに弦を引く。


「うん」


白い耳が立つ。


「じゃあ――」


森の奥で。


何かが笑った。


――第二章の本当の冒険が。


今、始まった。

読んでくれてありがとう〜

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