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白織夜叉の冒険譚  作者: 蹴 鞠
第1章
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第1章 最終話


朝。


王都に、柔らかな陽が差していた。


昨日までの騒ぎが嘘だったかのように、街には人の声が戻っている。


パン屋から焼きたての匂いが流れ。


商人たちが店先を掃除し。


子供たちが大通りを走り回る。


いつもの王都。


いつもの朝。


そして――。


「……んぅ」


ギルドの建物、その二階。


鞠凪に与えられている部屋の中で、夜叉は布団にくるまっていた。


広めの部屋だった。


寝台が二つ。


大きな机。


いくつかの棚。


壁際には旅の道具や武器。


そして奥には、小さな台所まで備えられている。


長く冒険者として活動してきた鞠凪のために、ギルドが用意した部屋だ。


その台所から。


とん。


とん。


とん。


包丁の音が聞こえてくる。


「…………」


夜叉の白い耳が動いた。


「……お母さん?」


布団から顔を出す。


もう一度。


とん。


とん。


とん。


それから。


じゅうう……。


何かを焼く音。


夜叉の鼻が、ひくりと動いた。


「…………」


むく。


起き上がる。


眠そうな目のまま、ふらふらと台所へ向かっていく。


「おはよう、お母さん……」


「おはよう、夜叉」


黒い髪。


黒い和服。


鞠凪は台所に立ち、朝食を作っていた。


「もう少しでできるよ」


「……いい匂いぃ」


「ふふ。昨日いっぱい動いたから、ちゃんと食べないとね」


「うん〜」


夜叉は椅子に座る。


そして。


机の上に並んでいる料理を眺める。


「……お味噌汁」


「好きでしょ?」


「好きぃ」


「卵焼きもあるよぉ」


「好きぃ」


「お魚も」


「好きぃ」


「……何でも好きだねぇ」


「お母さんのご飯だからぁ」


鞠凪が小さく笑った。


コンコン。


そのとき。


部屋の扉が叩かれた。


「夜叉、起きてる?」


フィルティーナの声。


「起きてるよぉ」


扉が開く。


フィルティーナが顔を覗かせた。


「おはよう」


「おはよぉ」


「師匠、おはようございます」


「おはよう、フィルティーナ」


フィルティーナは部屋の中を見回す。


「……相変わらずですね」


「んん〜?」


「師匠の部屋です」


広い。


そして。


妙に生活感がある。


壁には地図。


棚には古い冒険道具。


机には書類。


そして台所には、鍋や食器。


冒険者の部屋というより。


誰かが普通に暮らしている家に近い。


「師匠、ここに戻ってくるのは久しぶりなんですよね?」


「そうだねぇ」


「それなのに、食材まで揃っているんですね」


「昨日、ギルドにお願いしておいたからねぇ」


「なるほど」


フィルティーナが微笑む。


「……師匠らしいです」


「そう……?」


「はい」


夜叉が椅子の上から二人を見る。


「二人とも早く座ろぉ」


「ふふ」


「はいはい」


三人で食卓を囲む。


焼き魚。


卵焼き。


山菜。


味噌汁。


炊きたてのご飯。


どれも特別な料理ではない。


けれど。


夜叉にとっては、特別だった。


「いただきま〜す」


「いただきます」


「いただきます」


三人の声が重なる。


夜叉が箸を取る。


卵焼きを一口。


「……おいしい」


目が細くなる。


「よかったよぉ」


鞠凪も嬉しそうに笑う。


フィルティーナも卵焼きを口に運ぶ。


「……懐かしい味です」


「昔、よく作ったからねぇ」


「はい」


フィルティーナは、少しだけ遠くを見るような目をした。


「師匠に剣を教えていただいた後、よくここで食べさせてもらいました」


「そうだったねぇ」


「懐かしいです」


「何年ぶりかなぁ」


「……かなり経ちました」


鞠凪が笑う。


「フィルティーナは昔から真面目だったねぇ」


「師匠が厳しかったんですよ」


「そう?」


「はい」


「そんなに?」


夜叉が首を傾げる。


「例えば?」


「足の運びが少しでも遅ければ、最初からやり直しでした」


「……それは厳しいねぇ」


「目線が悪くてもやり直しです」


「うわぁ……」


「肩が動けば読まれるからと、肩の力まで抜かされました」


「……」


夜叉は鞠凪を見る。


「お母さん」


「ん?」


「結構厳しかったんだねぇ」


「強くなってほしかったからねぇ」


鞠凪は味噌汁を一口飲んだ。


「……まあ、今となっては懐かしい話だねぇ」


「私には今でも十分厳しいです」


「そうかなぁ」


「そうです」


夜叉が笑う。


「ふふっ」


「夜叉まで……」


三人の笑い声が部屋に響いた。


食事が終わったあと。


夜叉は窓際に座っていた。


尻尾をゆっくり揺らしながら、外を眺めている。


「今日は何するの?」


フィルティーナが聞く。


「うーん……」


夜叉は考える。


「何もしない」


「それでいいの?」


「うん〜」


夜叉は振り返る。


「昨日、いっぱい戦ったからぁ」


「そうだね」


「今日は休む日」


鞠凪が笑う。


「いいと思うよぉ」


「じゃあ、私も付き合います」


「私も」


三人で顔を見合わせる。


それだけで。


なんとなく予定が決まった。


昼前。


三人は部屋の中で過ごしていた。


フィルティーナは机で書類を整理。


鞠凪は椅子に座って武具の手入れ。


夜叉は――。


「…………」


寝台の上で丸くなっていた。


「夜叉」


「んー?」


「寝るの?」


「ちょっとだけぇ」


「昨日あれだけ戦ったからねぇ」


「うん……」


そのまま。


すぅ……。


「……寝た」


フィルティーナが小さく笑う。


「昔から変わりませんね」


「そうだねぇ」


鞠凪も笑った。


しばらくして。


夜叉が目を覚ます。


「……よく寝たぁ」


「おはよう」


「おはよぉ」


「お腹空いた?」


「……ちょっと」


「じゃあ何か作ろうかなぁ」


「うん〜」


また台所へ向かう。


そんな何気ない時間。


昨日まで死ぬほどの戦いをしていたとは思えない。


けれど。


これが夜叉にとっての「帰ってきた」ということだった。


夕方。


三人は再び食卓を囲んでいた。


今度は鞠凪が作った簡単な鍋料理。


湯気が立ち上る。


「熱いから気をつけてねぇ」


「うん」


「いただきます」


夜叉が鍋を覗き込む。


「おいしそう」


「好きなだけ食べてねぇ」


「はーい」


フィルティーナが笑う。


「夜叉、本当に食べることが好きね」


「好きだよぉ」


「知ってる」


「フィルティーナも食べよぉ」


「ええ」


「はい、これ」


夜叉が具材を取って、フィルティーナの器へ入れる。


「ありがとう」


「どういたしましてぇ」


鞠凪はそんな二人を眺めていた。


微笑んでいる。


けれど。


その目の奥だけは。


ほんの少し違っていた。


食事の後。


鞠凪が食器を片付けていると。


「フィルティーナ」


「うん?」


「少し聞いてもいい〜?」


夜叉が静かに尋ねた。


「鬼神のこと」


フィルティーナの眉が少し動く。


鞠凪も手を止めた。


「まだ調査は続いているの」


「うん」


「突然変異なのか。それとも、誰かによって生み出されたものなのか」


フィルティーナは鞠凪を見る。


「師匠は……どう思いますか?」


鞠凪は答えなかった。


窓の外を見る。


夕暮れの王都。


赤く染まった空。


しばらくして。


「……あの鬼神を見たとき」


鞠凪が静かに言った。


「少しだけ、懐かしいなぁって」


「……懐かしい?」


夜叉が振り返る。


「うん」


鞠凪は微笑む。


「でもねぇ」


その笑みが。


ほんの少しだけ消える。


「今はまだ、なんとも言えないかなぁ」


「師匠……」


「だから」


鞠凪はこちらを見ながら。


「その時が来たら、教えるよぉ」


それ以上は言わなかった。


夜叉は母の背中を見る。


「お母さん」


「ん?」


「……何を知ってるの?」


鞠凪は振り返る。


少しだけ。


困ったように笑った。


「さあねぇ」


「むぅ……」


「そのうち教えてあげるよぉ」


「……うん」


夜叉はそれ以上聞かなかった。


フィルティーナも何も言わない。


その夜。


フィルティーナは、明日も仕事だからと騎士団の元へ帰った。


二人は同じ部屋で、それぞれの時間を過ごしていた。


夜叉は寝台で本を読む。


鞠凪は窓辺で外を眺める。


静かな夜。


穏やかな時間。


そして。


鞠凪だけが。


誰にも聞こえないほど小さく。


呟いた。


「……まさか、まだ残っていたなんてねぇ」


その言葉を。


夜叉は知らない。


フィルティーナも知らない。


鞠凪は窓の外を見る。


遠く。


あの森の方角を。


「……夜凪」


……。


「まさか、まだ君を生み出したものが残っていたとは思わなかったよぉ」


小さく息を吐く。


けれど。


それ以上は語らない。


ただ。


いつものように微笑んで。


「おやすみ、夜叉」


「おやすみぃ、お母さん」


二人は眠りについた。


鬼神の謎は。


まだ何も分からない。


それでも。


夜叉には帰る場所がある。


共に戦う仲間がいる。


大切な人がいる。


そして。


帰ってきた母がいる。


明日からも。


また冒険が始まる。


――その裏側で。


鞠凪だけが知っている何かを残して。


第一章・完。

読んでくれてありがとう〜


第1章はここでおしまい。

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