19話 日常へ
2章の途中まで。書き置きがあるので。
更新早めです。
森を覆っていた静寂は、ようやくほどけ始めていた。
風が吹く。
木々の葉が擦れ、遠くで鳥の鳴き声がする。
さっきまで命の気配すら失っていた森が、少しずつ、本来の姿を取り戻していく。
その中央。
深く抉れた地面の上に、四人の冒険者と一人の女が立っていた。
そして、その向かいには――。
膝をついた鬼神。
巨大な身体には無数の傷が刻まれている。
それでも、その眼だけは死んでいなかった。
むしろ。
最後まで、鞠凪を見ていた。
「…………」
鞠凪は刀を下ろした。
黒い髪が風に揺れる。
黒い和服にはいくつか裂け目があり、袖には赤い筋が残っていた。
完全な無傷ではない。
けれど。
その表情には、疲労らしい疲労がなかった。
「……終わりだねぇ」
静かな声。
鬼神は答えない。
ただ、鞠凪を見る。
そして――。
ほんの僅かに笑った。
獣の笑みだった。
嬉しそうでもあり。
悔しそうでもあり。
何かを理解したようでもあった。
やがて巨体が傾く。
ドン、と地面を揺らして倒れた。
「……終わった、の?」
後ろから夜叉の声がした。
「うん。」
鞠凪は振り返る。
「もう大丈夫だよぉ」
「…………」
夜叉はしばらく母を見つめていた。
それから、とことこと歩いていく。
そして。
「お母さん」
「ん?」
「……おかえり」
鞠凪が少し目を開く。
「ただいま〜」
その一言だけで。
張り詰めていた夜叉の肩から、力が抜けた。
「……よかったぁ」
その場に座り込む。
「ちょっと疲れたぁ……」
「まぁ…あんなのと戦えばねぇ」
鞠凪が笑う。
「みんな頑張ったねぇ」
レオンは大きく息を吐いた。
「……ああ」
カイルは地面に仰向けになってる。
「俺、もう一歩も動けねぇ……」
「さっきまであれだけ動いてた人のセリフとは思えないわね…」
リゼットが呆れながらも微笑む。
「リゼット、お前は元気そうだな……」
「魔力はすっからかんよ」
「それ元気じゃねぇじゃん……」
夜叉が小さく笑った。
その横で。
「…………」
フィルティーナは、鞠凪を見つめていた。
師匠。
話したいことは沢山ある。
けど今はただ。
「……師匠」
「ん?」
「お帰りなさい」
鞠凪は静かに答えた。
「ただいまぁ、フィルティーナ」
それだけだった。
けれど、その言葉には長い年月を越えた師弟の信頼が滲んでいた。
────
その日の夕方。
王都へ戻った一行は、簡単な治療を受けた。
幸い、命に関わる怪我を負った者はいなかった。
鬼神との戦いで破壊された森については騎士団が封鎖。
消えた村についても生き残りが居ないか、調査が続けられることになった。
そして。
鬼神については――。
「……結局、何も分からない」
騎士団の会議室。
そこには、数名の騎士と、フィルティーナ。
そして、共に鬼神と戦った4人の冒険者の姿があった。
机の上には、鬼神の調査報告書が置かれていた。
フィルティーナがそれを眺める。
「発生場所、不明」
「はい」
「それ以前の目撃記録、なし」
「ありません」
「魔物図鑑にも該当する種族なし」
「ありません」
リゼットが眉を寄せる。
「では、突然現れた……?」
「可能性はあります」
研究員が答える。
「ただし――」
そこで言葉を止めた。
「ただし?」
「……あの個体の身体構造は、通常の鬼、オーガ等の突然変異では説明がつきません」
部屋の空気が変わった。
「骨格、筋肉、神経反応……どれも異常です」
「強かった、という話ではないのか?」
レオンが尋ねる。
「強いだけなら、まだ理解できます」
研究員は首を振った。
「問題は、戦闘中に身体の使い方そのものが変化していたことです」
カイルが黙る。
夜叉も黙っていた。
あの戦いを思い出す。
最初は単純だった。
けれど。
戦えば戦うほど。
こちらを理解していった。
攻撃を覚え。
間合いを覚え。
動きを覚え。
最後には――。
予測そのものを越えてきた。
「……生まれつき、ああだったのかなぁ」
夜叉が呟く。
「それも分かりません」
研究員は答えた。
「ただ」
「ただ?」
「一つだけ、おかしなものがありました」
研究員が机の上に、小さな紙片を置いた。
それは。
鬼神の身体から採取された組織の分析結果だった。
「この組織には、通常の生物には存在しない構造があります」
「何だ、それは」
「……人工的に作られたものに似ています」
誰も喋らなかった。
フィルティーナの目が細くなる。
「人工……?」
「断定はできません」
研究員はすぐに付け加えた。
「未知の生物である可能性もあります。突然変異という可能性も捨てきれません」
「じゃあ」
カイルが言う。
「誰かが作ったって可能性もあるってことか?」
「……否定はできません」
その言葉だけが。
妙に重く残った。
――――数日後。
王都には、少しずつ日常が戻っていた。
「夜叉ー!」
「うん?」
「今日、飯食いに行こうぜ!」
「いいよぉ」
「じゃあ決まり!」
酒場の前。
カイルが笑う。
レオンは呆れた顔をしながらもついてくる。
リゼットは小さくため息をつく。
「……あなたたち、怪我人ですよね?」
「飯は別だろ」
「そういうところですよ」
「まあまあ」
夜叉が笑う。
「いっぱい食べたほうが治るよぉ」
「夜叉まで……」
リゼットが苦笑する。
四人は店の中へ入っていった。
いつもの席。
いつもの料理。
いつものくだらない会話。
鬼神と戦う前と同じ。
けれど。
ほんの少しだけ。
四人の距離は近くなっていた。
その夜。
夜叉は宿の窓から、王都の灯りを眺めていた。
「……静かだねぇ」
「そうね」
隣にはフィルティーナ。
「怖くない?」
「うん?」
「……あの鬼神のこと」
夜叉は少し考えた。
「怖かったよぉ」
「……そう」
「でも」
夜叉は微笑む。
「今は、お母さんが帰ってきてくれたから」
フィルティーナも微笑んだ。
「そうね」
そのとき。
夜叉の耳が、ぴくりと動いた。
「……?」
「どうしたの?」
「……ううん」
何でもない。
そう思った。
けれど。
森の方角。
誰もいないはずの暗闇から。
ほんの一瞬だけ。
何かの鳴き声が聞こえた気がした。
――――そして。
王都から遠く離れた森の奥。
鬼神との戦場から、さらに深い場所。
誰も踏み入れたことのない場所に。
一本の古い石柱が立っていた。
その表面には。
人間には読めない文字が刻まれている。
その足元に。
小さな血痕があった。
鬼神のものではない。
そして。
石柱の奥。
地面に埋まっていた何かが。
ほんの僅かに――。
動いた。
カチ。
小さな音。
続いて。
カチ、カチ。
まるで。
何かが内側から殻を叩いているような音。
やがて。
石柱に刻まれた文字の一つが。
淡く光った。
――《個体消失》
その文字の下に。
新しい文字が浮かび上がる。
――《次個体:未起動》
そして。
さらにその下。
誰かが残したような、古い記録があった。
――《第三実験体》
――《適応能力:成功》
――《戦闘学習:成功》
――《知性:想定以上》
――《制御:失敗》
最後の一文だけが。
何度も削られたように消えかかっていた。
――《原因不明》
風が吹く。
石柱の周りの草が揺れる。
そして。
地面の奥から。
もう一度だけ。
カチ。
音がした。
そして森の中の、古い石柱は。
静かに姿を消した。
王都では。
夜叉たちが笑っていた。
いつものように。
明日の依頼について話していた。
鬼神との戦いは終わった。
そう思っていた。
けれど――。
あの森の奥で。
まだ誰も知らない何かが。
ゆっくりと。
目を覚まそうとしていた。
読んでくれてありがとう〜
一章は後少し!




