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白織夜叉の冒険譚  作者: 蹴 鞠
第1章
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19/56

17話 森の奥にいるもの


森の奥へ進むほど、音が減っていった。


鳥の声がない。


風に揺れる葉の音さえ、どこか遠い。


先ほどまで聞こえていた獣の気配も、いつの間にか消えていた。


白織 夜叉は足を止めた。


白い猫耳が、僅かに動く。


「……静かだねぇ」


隣にいたリゼットが周囲を見回した。


「静かすぎるわ」


レオンが剣を握り直す。


「魔物の痕跡も、急に途切れてる」


カイルが小さく息を吐いた。


「ここまで来ると、逃げたっていうより……」


言葉が途切れる。


夜叉が森の奥を見る。


「……何かいる」


「魔物?」


リゼットの問いに、夜叉は答えなかった。


答えられなかった。


その先に――何かがいる。


それだけは、分かった。


フィルティーナも同じように森を見つめていた。


騎士団長として、これまで幾度となく戦場に立ってきた。


敵の気配。


殺気。


魔物の縄張り。


そういうものなら分かる。


だが、今感じているものは違った。


殺気がない。


敵意すら、薄い。


それなのに――


近づいてはいけない。


そう、本能が告げていた。


「全員、止まって」


フィルティーナが静かに言った。


騎士たちが足を止める。


レオンたちも構えた。


その瞬間だった。


森の奥から、


――ズン。


地面が揺れた。


一歩。


また一歩。


木々の向こうから、何かが歩いてくる。


巨大だった。


人の形をしている。


だが、人ではない。


太い腕。


異様なほど強靭な肉体。


頭部から伸びる鋭い角。


そして――目。


その目だけが、妙に静かだった。


獣のような瞳。


けれど、獣ではない。


鬼神は歩みを止めた。


こちらを見る。


騎士団を見る。


フィルティーナを見る。


そして、


夜叉を見る。


リゼットを見る。


カイルを見る。


レオンを見る。


まるで――


一人ずつ、値踏みするように。


「……なんだあれ」


カイルの声が低くなる。


誰も答えない。


鬼神は首を僅かに傾けた。


その仕草だけを見るなら、まるで不思議なものを観察する人間のようだった。


だが。


次の瞬間。


鬼神が消えた。


「――ッ!」


レオンが前へ出る。


間に合った。


巨大な腕が振り下ろされる。


剣を横に構え、受ける。


――轟ッ!!


大きな音と。


衝撃。


レオンの身体が地面を滑った。


「レオン!」


カイルが叫ぶ。


「大丈夫だ!」


レオンは歯を食いしばる。


腕が痺れていた。


重い。


あまりにも重い。


一撃を受けただけで、身体の芯まで震えている。


だが、鬼神はレオンを追わなかった。


視線が横へ動く。


カイル。


「……こいつ」


カイルが後ろへ跳ぶ。


鬼神の拳が空を裂く。


カイルは紙一重でかわした。


「速っ――!」


拳が木を砕く。


轟音。


倒木が飛ぶ。


その隙に、夜叉が弓を引いた。


弦が鳴る。


「……そこ」


矢が飛ぶ。


鬼神の肩へ向かう。


しかし。


鬼神が僅かに身体を傾けた。


矢が頬を掠める。


「……避けた?」


夜叉の青い瞳が細くなる。


普通ではない。


今の射線を、見てから避けたわけではない。


撃つ前。


夜叉が狙いを定めた瞬間に――


動いていた。


「夜叉!」


リゼットの声。


地面から魔法の光が走る。


鬼神の足元を拘束する。


一瞬。


巨大な身体が止まった。


「今!」


レオンが踏み込む。


カイルが反対側へ回る。


夜叉がさらに矢を放つ。


三人の攻撃が同時に迫った。


――完璧な連携。


これまで何度も繰り返してきた。


レオンが正面から圧をかける。


カイルが死角を作る。


リゼットが動きを制限する。


そして夜叉が、その一瞬を射抜く。


A級クラスまで成長した四人の連携。


普通の強敵なら、これで崩せる。


だが。


鬼神は違った。


拘束された足を、無理やり動かす。


魔法陣が軋む。


リゼットの表情が変わった。


「……嘘」


拘束を破った。


その瞬間、鬼神はレオンではなく――


カイルへ向いた。


「え?」


カイルが目を見開く。


鬼神の腕が振られる。


カイルは避ける。


避けた。


だが、その先にもう一撃があった。


「ッ!」


レオンが割り込む。


剣で弾く。


しかし、その衝撃でレオンの身体が吹き飛ぶ。


「レオン!」


夜叉が矢を連射する。


一本。


二本。


三本。


鬼神はそれらをすべて避ける。


まるで、


最初からどこに飛んでくるのか知っているように。


「……おかしい」


リゼットが呟いた。


「私たちの動きを……読んでる」


鬼神は答えない。


ただ見ている。


誰が誰を守るのか。


誰がどの瞬間に動くのか。


誰がどこへ逃げるのか。


まるで戦いそのものを覚えている。


そして――


次の瞬間。


鬼神が笑った。


口元が僅かに歪んだ。


「……!」


フィルティーナの背筋を、冷たいものが走った。


今の表情。


あれは喜びではない。


理解だ。


こちらの戦い方を理解した。


そう感じた。


「全員、下がって!」


フィルティーナが叫ぶ。


だが遅い。


鬼神が地面を蹴った。


巨大な身体が迫る。


レオンが剣を構える。


カイルが横へ回る。


リゼットが魔法を放つ。


夜叉が弓を引く。


四人が同時に動いた。


しかし――


届かない。


鬼神はすべてを潰していった。


剣を避ける。


魔法を破る。


矢を躱す。


攻撃の間を縫う。


そして一人ずつ、吹き飛ばしていく。


「ぐっ……!」


レオンが膝をつく。


カイルが木へ叩きつけられる。


リゼットが魔法を解除しながら後退する。


夜叉は必死に距離を取る。


それでも弓を下ろさない。


「……まだ」


夜叉が矢を番える。


震えてはいない。


怖くないわけではない。


ただ。


仲間がいる。


それだけだった。


「夜叉!」


フィルティーナが叫ぶ。


鬼神が夜叉へ向かって走る。


夜叉は弓を引き絞った。


射る。


鬼神は先ほどとは違い。


避けない。


さらに射る。


強靭すぎる肉体。


鬼神の如き肉体に矢は刺さらない。


三本目、夜叉は目を狙う。


鬼神の腕が矢を弾き飛ばした。


距離が――


近い。


夜叉の瞳が僅かに揺れる。


「……!」


その瞬間。


フィルティーナが飛び込んだ。


剣を振る。


鬼神の腕と刃がぶつかる。


――ガキィン!


フィルティーナが押し戻される。


「夜叉、下がって!」


「……でも」


「いいから!」


夜叉は一瞬だけフィルティーナを見る。


そして頷いた。


「……うん」


夜叉が下がる。


フィルティーナが前へ出る。


鬼神と向き合う。


その背後には、倒れた四人。


頼れる副団長も。


他の騎士たちも負傷している。


重症者もいる。


これ以上は――


自分が止めるしかない。


フィルティーナは剣を構えた。


呼吸を整える。


自分に戦い方を教えてくれた人。


白織鞠凪を思い出す。


──


幼き頃、フィルティーナは。


ある日路地裏で泣いてる女の子を見つけた。


自分より一回り小さな白い子猫の様な少女。


震えていた。


泣いていた。


思わず声をかけた。


すると安心したのか。


この少女は、晴れやかな笑顔を向けてこっちを見た。


胸の奥が暖かかった。


その子を母親の元に連れていった。


母親は遅い自分の子を必死に探していた。


お礼を言われた。


何度も。


何度も。


何度も。


それが凄く嬉しかった。


フィルティーナは、その時の気持ちを胸に騎士を目指した。


しかし才能がなかった。


ほかよりも力が弱かった。


魔力も少ない。


身体も大きいとは言えない。


それでも諦めたくなかった。


努力した。


努力した。


努力した。


けれど。


騎士の強さには。


たどり着けなかった。


ある日、声をかけられた。


黒い髪の綺麗な和服を着た女の人。


かつて路地で救った少女。


その日から、友人として何度も出会った。


その少女の母親。


白織 鞠凪に。


彼女は。


剣を教えてくれた。


技術を教えてくれた。


格上を倒す術を教えてくれた。


そしていつしか私は何年もまた。


努力した。


努力した。


努力した。


気付いた時には。


私は騎士団長になっていた。


───


師匠から教わったこと。


強敵を倒す技術。


足を見る。


肩を見る。


目を見る。


呼吸を見る。


相手の身体が動くより前。


その僅かな兆候を見る。


「……師匠」


小さく呟く。


鬼神が踏み込んだ。


フィルティーナは動いた。


右。


拳。


避ける。


左。


肘。


受け流す。


踏み込み。


斬る。


鬼神が避ける。


「――そこ!」


フィルティーナの剣が走る。


しかし、鬼神は首を傾けた。


刃が角を掠める。


フィルティーナの目が見開かれる。


今のは読んだ。


完全に読んだ。


なのに――


避けられた。


鬼神が反撃する。


フィルティーナは身体を捻る。


拳が頬を掠める。


血が飛ぶ。


それでも止まらない。


一歩。


二歩。


三歩。


先を読む。


さらに先を読む。


鬼神の足。


肩。


目。


筋肉の動き。


呼吸。


重心。


すべてを見る。


そして――


フィルティーナは、その先へ踏み込んだ。


「……!」


レオンが息を呑む。


夜叉も目を見開く。


フィルティーナの動きが変わった。


まるで鬼神の攻撃を、


攻撃そのものではなく、


その前に存在する「予兆」だけで避けている。


一歩先。


二歩先。


三歩先。


鬼神の未来を読む。


それは、鞠凪から叩き込まれた技術の極地だった。


「――読める」


フィルティーナが呟く。


「あなたの動きが」


剣が閃く。


鬼神の胸元へ。


避ける。


そこへ二撃目。


さらに三撃目。


鬼神の身体に浅い傷が刻まれる。


初めて。


鬼神が後退した。


フィルティーナは息を切らしながら剣を構える。


「……届く」


そう思った。


ほんの一瞬だけ。


だが。


鬼神の目が変わった。


次の瞬間。


フィルティーナの予測が――


外れた。


「――え?」


鬼神の足が止まる。


いや。


止まったように見えた。


そこから突然、軌道が変わる。


フィルティーナの読みの外側へ。


「ッ!」


避ける。


間に合わない。


拳が肩を掠める。


身体が吹き飛ぶ。


地面を転がる。


「フィルティーナ!」


夜叉の声。


フィルティーナは立ち上がる。


足が震えている。


それでも剣を握る。


鬼神が歩いてくる。


一歩。


また一歩。


フィルティーナは再び目を見る。


読もうとする。


けれど――


読めない。


違う。


読めないのではない。


読んだ先に。


さらに鬼神がいる。


自分が読むことまで含めて。


鬼神は動いている。


「……そんな」


フィルティーナの額から汗が落ちる。


鬼神が踏み込む。


フィルティーナも踏み込む。


剣を振る。


避けられる。


二撃目。


避けられる。


三撃目。


腕を掴まれる。


「――っ!」


力が違う。


剣を振る。


鬼神の腕を切る。


しかし。


鬼神は止まらない。


フィルティーナの身体が宙へ浮く。


叩きつけられる。


肺から空気が抜けた。


「……ぁ」


視界が揺れる。


立てない。


鬼神が近づいてくる。


その足音が、


異様なほど大きく聞こえた。


フィルティーナは剣を握り直す。


立ち上がろうとする。


膝が笑う。


それでも立つ。


背後を見る。


夜叉。


レオン。


カイル。


リゼット。


騎士たち。


守らなければならない。


自分がここで退けば、


次に狙われる。


だから。


立つ。


「……まだ」


フィルティーナは剣を構える。


鬼神が止まった。


二人の視線がぶつかる。


フィルティーナは理解した。


次の一撃。


これを避けられなければ――


死ぬ。


静寂。


風が止まる。


フィルティーナが息を吸う。


鬼神が動く。


その瞬間。


フィルティーナは踏み込んだ。


剣が走る。


鬼神の拳が迫る。


互いの間合いが重なる。


あと僅か。


フィルティーナの刃が届く。


――届くはずだった。


だが。


鬼神の腕が、


フィルティーナの剣を弾いた。


剣が宙を舞う。


「……!」


鬼神の拳が迫る。


避けられない。


フィルティーナは目を閉じかけた。


そして――


鬼神の背後に、


誰かが立っていた。


黒く長い髪。


静かな佇まい。


その人物は、


まるで今までそこに存在していなかったかのように、


静かに立っていた。


フィルティーナの瞳が震える。


「……師匠」


鬼神が拳を止め振り返る。


遅かった。


黒い影が一歩踏み込んだ。


抜刀。


ただ、それだけ。


音すら遅れて聞こえた。


一閃。


鬼神が身を捻る。


異常な勘。


本能。


紙一重。


刃が首を完全には捉えられない。


だが――


赤い線が走った。


首筋。


浅い。


しかし確かな傷。


血が落ちる。


鬼神が動きを止めた。


初めてだった。


その目に。


明確な感情が浮かんだ。


恐怖。


鬼神はゆっくりと首元へ手を伸ばす。


指先についた血を見る。


そして。


目の前の女を見る。


目の前の女は鬼神をその怪物を前にして。


「……久しぶり〜」


穏やかな声だった。


まるで、


久しぶりに帰ってきた家で挨拶するような声音。


フィルティーナの手が震える。


「師匠……」


鞠凪はフィルティーナを見る。


そして、


小さく笑った。


「よく頑張ったねぇ」


その言葉を聞いた瞬間。


フィルティーナの張り詰めていたものが、


ほんの少しだけ緩んだ。


しかし。


鞠凪は鬼神から目を逸らさない。


鬼神もまた、


鞠凪から目を逸らさない。


森の奥。


倒れた木々。


散らばった武器。


傷ついた騎士たち。


その中心で、


二人だけが立っていた。


鬼神が一歩下がる。


もう一歩。


そして。


低く身体を沈めた。


低く低く


逃げる気はない。


戦うつもりだ。


だが、その目には先ほどまでにはなかったものがある。


警戒。


そして――


恐れ。


鬼神は初めて知った。


この森で。


自分を。


殺せるものがいる。


鞠凪は静かに刀を構える。


その横顔には。


怒りも焦りもなかった。


ただ。


長い遠征から帰ってきた者のように、


静かだった。


「……さて」


鞠凪が呟く。


「この子達を傷つけたのは――」


閉じられていた目が。


ほんの僅かに、開く。


「君かなぁ?」


森の奥で。


鬼神が低く唸った。


そして。


再び。


大地が揺れた。

読んでくれてありがとうございます。

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