8話 静かな狩人
王都を出て、半日。
人の気配は、もうない。
雪の残る山道を、白い髪がゆっくりと揺れていた。
白織夜叉は、一人で歩いていた。
背中には愛用の弓。
腰には矢筒。
そして、手には一枚の依頼書。
そこに書かれている文字は――
『アースドラゴン討伐』
A級依頼。
報酬も高い。
その理由は単純だった。
アースドラゴン。
地脈に近い場所で生きる大型の竜種であり、翼はないが強靭な外皮と圧倒的な膂力を持つ。
地面を掘り進む能力。
岩盤すら砕く顎。
そして、地面そのものを操るような特殊な攻撃。
並の冒険者なら、まず単独で受けるような依頼ではない。
けれど。
夜叉は、依頼書を見ながら小さく欠伸をした。
「……一人かぁ」
別に嫌ではない。
むしろ、こういう依頼も嫌いではなかった。
「たまには、のんびり狩るのもいいかなぁ」
そう呟いて。
夜叉は歩き続けた。
◇
目的地は、山の奥にある峡谷。
そこには、巨大な爪痕がいくつも残っていた。
岩壁が削れている。
地面が大きく陥没している。
木々は根元から倒されていた。
夜叉はしゃがみ込み、地面に触れる。
白い指先に、細かな土が付着する。
「……新しいねぇ」
数時間以内。
夜叉はそう判断した。
そして、静かに顔を上げた。
青い瞳が、谷の奥を見つめる。
「近くにいる」
風が吹く。
白い髪と、長い尻尾が揺れた。
夜叉は音を立てずに岩陰へ移動する。
弓を手に取る。
矢を一本。
ゆっくりと番える。
その瞬間。
――地面が、震えた。
「……」
夜叉は動かない。
ゴゴゴゴゴ……。
地面の下から響く音。
鳥たちが一斉に飛び立った。
そして。
次の瞬間。
ドォンッ!!
大地が爆発した。
土砂と岩を巻き上げながら、巨大な影が地面から飛び出してくる。
四本の脚。
岩のような鱗。
巨大な頭部。
地面に擦れるほど長い尾。
アースドラゴン。
その巨体は、優に十メートルを超えていた。
「…………」
夜叉は見上げる。
アースドラゴンが咆哮した。
空気が震える。
普通の冒険者なら、その迫力だけで足が竦むだろう。
けれど。
夜叉は、少しだけ首を傾げた。
「……大きいねぇ」
それだけ。
アースドラゴンが前脚を振り上げる。
「……そこじゃない」
夜叉が一歩、横へ動いた。
ズドンッ!!
地面が砕ける。
土煙が舞う。
しかし。
夜叉の姿は、もうそこにはない。
岩壁の上。
いつの間にか移動していた夜叉は、弓を引いていた。
狙いは。
目。
放つ。
ヒュッ。
矢が飛ぶ。
アースドラゴンが首を振った。
矢は眼球を僅かに逸れ、硬い鱗へ突き刺さる。
「……硬いなぁ」
夜叉は淡々と呟く。
だが。
焦りはない。
むしろ。
少しだけ楽しそうだった。
「じゃあ、次」
アースドラゴンが吠える。
地面が隆起した。
岩の柱が次々と地中から突き出してくる。
夜叉は走った。
岩から岩へ。
一歩。
二歩。
三歩。
白い尾が空中で大きく揺れる。
巨大な岩柱が背後で砕ける。
「……危ないなぁ」
軽く呟きながら、夜叉は高く跳んだ。
そのまま空中で身体を捻る。
弓を構える。
狙いは…前脚。
放つ。
ズシュッ。
矢が鱗の隙間に入った。
アースドラゴンが咆哮する。
巨体が大きく揺れた。
「……そこは効く」
夜叉は、小さく覚える様に呟く。
少し隆起した地面に着地する。
すぐに次の矢を取る。
アースドラゴンが突進してくる。
速い。
巨体に似合わない速度。
「……」
夜叉は逃げない。
弓を引く。
距離。
風。
相手の動き。
全部を見る。
そして。
アースドラゴンの頭が、あと数メートルまで迫った瞬間。
夜叉が身体を横へ滑らせた。
巨大な顎が、すぐ横を通り過ぎる。
その瞬間。
夜叉の手から矢が放たれた。
ヒュッ。
矢は。
アースドラゴンの口の奥へ。
「……ここ」
ズドッ!!
矢が深く突き刺さった。
アースドラゴンが暴れる。
地面が揺れる。
岩が崩れる。
それでも夜叉は距離を取らない。
もう一度、弓を引く。
今度は一本。
次も一本。
そして…三本目。
三本の矢が、ほぼ同時に放たれた。
一つは前脚。
一つは首。
そして最後の一本が。
眉間。
ドシュッ!!
アースドラゴンの動きが止まった。
巨大な身体が、ゆっくりと傾く。
ズゥン……。
地面が震えた。
静寂。
舞い上がった土煙が、ゆっくりと晴れていく。
その向こうに。
夜叉が立っていた。
弓を下ろす。
「……終わったぁ」
静かな声だった。
◇
しばらくして。
夜叉は倒れたアースドラゴンを確認した。
討伐証明になる部位を確保する。
依頼書と照らし合わせる。
間違いない。
「うん。アースドラゴンだねぇ」
夜叉は一仕事終えたように尻尾を揺らした。
そして。
空を見上げる。
「……まだ、お昼かぁ」
一人で依頼を受けると。
こういうところが少し暇だった。
「帰る前に、ご飯食べたいなぁ」
そう呟いて。
夜叉は荷物をまとめ始める。
その顔には、疲労らしい疲労はない。
A級依頼。
アースドラゴン。
単独討伐。
それを成し遂げた本人は。
まるで、少し遠くまで散歩してきたかのような顔をしていた。
◇
夕方。
王都へ戻った夜叉は、冒険者ギルドへ向かった。
受付に討伐証明を提出する。
受付嬢が目を丸くした。
「……白織さん。まさか」
「うん〜」
夜叉は頷いた。
「終わったよぉ」
「……お一人で?」
「うん」
「アースドラゴンを?」
「うん〜」
受付嬢はしばらく固まっていた。
やがて。
「……さすがA級冒険者ですね」
夜叉は少し困ったように笑う。
「そうかなぁ」
本人にとっては。
ただ、依頼を一つ終えただけだった。
けれど。
その日、ギルドでは密かに話題になった。
白織夜叉が、単独でアースドラゴンを討伐した。
その噂が広がるのに。
そう時間はかからなかった。
読んでくれてありがとうございます!




