第29話:鉄の定時退社と大切なティータイム
小鳥のさえずりと朝日で、私はふかふかのベッドで優雅に目を覚ました。
時刻は午前8時。
睡眠時間はたっぷりとれた。
肌のツヤも完璧だ。
「おはよう、リズ。専属シェフが焼きたてのクロワッサンと、スクランブルエッグを持ってきたわよ。食後のデザートはイチゴのタルトね」
「おはよう、ミド。最高の朝ね」
すでに着替えを終えたミドと一緒に、湖畔が見えるテラスで優雅な朝食をとる。
熱い紅茶を一口飲み、私は幸福な溜め息を吐いた。
これが、私の求めていた真のスローライフ。
労働者の権利を勝ち取った者の、絶対的な平穏の朝だ。
***
時計の針が午前9時55分を指した。
私たちは優雅にリビングの中央に鎮座する『通信機の魔石』の前へ移動した。
「さあ、今日もキッチリ働いて、時間になったら通信を切るわよ」
「ええ。私たちの貴重なプライベートを守るためにね」
カチッ。
時計の針が午前10時00分を指した、まさにその瞬間。
私は通信機の電源を物理的にオンにした。
シュゥゥン……とホログラムが展開され、帝都の執務室の映像が浮かび上がる。
そこには、すでに完璧な姿勢で待機していたリピートお兄様と、分厚い資料を抱えたスイの姿があった。
しかし二人の様子は、以前の『余裕たっぷりの上司』とは明らかに違っていた。
「――おはようございます、リピートお兄様。スイ」
『お、おはよう、プリーズ。今日も良い天気だね。よく眠れたかな?』
『お、おはようございます、プリーズ殿下……ッ』
お兄様は妙に視線を泳がせ、スイに至っては私の顔を直視できず顔を真っ赤にして俯いている。
無理もない。
昨夜、私は彼らの『会員番号001のポエムノート』と『もふウサちゃんへの赤ちゃん言葉』という、国家機密レベルの恥ずかしい弱みを完全に握ったのだから。
「ええ、とてもよく眠れましたわ。……『会員番号001』の夢を見るくらいに」
『ブフッ!? い、いや、あの件は……!』
「スイちゃんも、おちごと、がんばれまちゅか?」
『ひぃぃぃぃッ!! お許しを、それだけはご勘弁をぉぉッ! 何でもやりますからぁ!』
軽くジャブを打つだけで、帝都のトップ二人が崩れ落ちる。
完全に労使の力関係が逆転していることを確認し、私はパンッと柏手を打った。
「さて、雑談はここまでよ。私の貴重な勤務時間は【あと4時間58分】しかないの。さっさと本日のタスクを消化するわよ!」
そこからの私の働きぶりは、まさに鬼神の如きものだった。
『プリーズ殿下! 帝都第4区の不正融資疑惑の裏付けを!』
「オシエテ、インフォメーション。対象の裏金口座の暗証番号」
『該当いたしました。ライトクエリにてご案内いたします。』
『南部の穀物不作の真偽確認を!』
「オシエテ、インフォメーション。現地の領主が隠匿している備蓄庫の正確な座標」
『該当いたしました。ライトクエリにてご案内いたします。』
私のライトクエリ無制限機能と、ミドの改良版『マクロ草(音声自動化マクロ)』の連携により、帝都から送られてくる案件は、文字通り「秒」で処理されていく。
『す、凄まじい……。120件あった本日の決済書類が、わずか2時間でゼロに……!?』
『素晴らしいよ、プリーズ! 君がいれば、我が帝国の事務処理速度は他国の十年先を行く!』
通信機の向こうで、スイとお兄様が震え上がっている。
当然だ。
私は有能なのよ。
やると決めた時間内は、一切の手抜きなしで完璧なパフォーマンスを叩き出す。
ダラダラと仕事する三流とは違うのだ。
そして――。
時計の針が【午後2時55分】を指した頃。
「ふぅ。これで今日のノルマはすべて完了ね。他に急ぎの案件はある?」
私が肩を回しながら尋ねると、通信機の向こうで突然バタバタと慌ただしい足音が響いた。
『リ、リピート殿下! 大変です!』
画面の端から、血相を変えた文官が飛び込んでくる。
『隣国の【マックローダ王国】から、突如として特使が到着しました! 「国境の砦を物理的に半壊させられた件(※ネネードお姉様の仕業)」について、莫大な賠償金と領土の割譲を要求してきております!!』
『なんだって!?』
お兄様が立ち上がる。
隣国からの実質的な宣戦布告に近い脅迫だ。
『特使は「そっちの狂皇女が『ちょっと魔物と遊んだ余波で崩れるなんて、お宅の砦は欠陥住宅じゃないか』と暴言を吐いて去っていったのはどういうことだ!」と泡を吹いて激怒しており……! 今すぐご対応いただかないと、物理的に宣戦布告されかねません!!』
『まずいですね……。ネネード殿下の暴走とはいえ、こちらに非があるのは事実。まともに交渉すれば、大きく国益を損ないます……!』
スイが青ざめて胃を押さえる。
お兄様はハッとして、通信機の画面(私)に縋るような目を向けた。
『プリーズ! 緊急事態だ! 例の裏金データは用意してあるが、特使本人が強硬姿勢で聞く耳を持たない! 今すぐ特使個人の『致命的な弱み』をライトクエリで抜いてくれ! たった1回の検索でいいから――』
ボーン、ボーン、ボーン……。
お兄様の悲痛な叫びを遮るように、別荘のアンティーク時計が【午後3時00分】を告げる鐘を鳴らした。
「あ」
私は手に持っていたペンをコトリと置いた。
『プリーズ? どうしたんだい、早くそのデータを……! 隣国の特使がもうそこまで……!』
「お兄様」
私はとびきり優雅で、慈愛に満ちた、しかし絶対に温度を持たない『営業スマイル』を浮かべた。
「大変申し訳ありませんが、本日の私の勤務時間は【午後3時】をもって終了いたしました。これより、ミドとアフタヌーンティーを楽しむという『極めて重要なプライベートの予定』が入っておりますの」
『えっ……!? いや、しかしこれは国家の危機で……っ!』
「第一項。『私の業務時間は『平日の午前10時から午後3時まで』とします、残業は一切認めません』。……お約束しましたよね?」
『そ、それはそうだが! 今だけ、あと5分! いや、たった1回の検索だけでいいから……!』
私はスッと右手を伸ばし、通信機の魔石の『電源スイッチ』に指をかけた。
「本日の営業は終了いたしました。お問い合わせの件につきましては、明日の【午前10時】以降の営業時間内に順次対応させていただきます」
『待って! 待ってくれプリーズ!! 特使が会議室でキレて……あああああぁぁぁっ!!』
「本日のご利用、誠にありがとうございました。……ごきげんよう、お兄様」
パチンッ!!
私は容赦なく、通信機の電源を物理的に叩き切った。
プツンとホログラムが消え、リビングに完全な静寂が戻る。
「……ふぅ。今日もいい仕事をしたわ」
私が大きく伸びをすると、横で見ていたミドが感極まったように拍手を送ってきた。
「ブラボーよ、リズ。どんな緊急事態でも、定時退社の鉄の意志を貫き通す……。これぞ、真の労働者の鑑ね」
「当然よ。一度でも例外を認めたら、あの上司(お兄様)は『緊急事態だから』って理由をつけて、ズルズルと残業を強要してくるに決まってるんだから」
私たちは顔を見合わせて笑い合い、専属シェフが用意してくれた極上のマカロンとダージリンティーを持って、日差しが心地よいテラスへと向かった。
帝都の執務室で、カリスマ皇子と氷の副官が隣国の特使を前に「明日の朝10時までお待ちいただけませんか……」と冷や汗を流しながら土下座寸前の交渉をしていることなど、知ったことではない。
私は定時で帰る女。
私の完璧でホワイトなスローライフは、今日も鉄壁の守りに守られているのだった。
(本日の業務:終了 / 労働時間:キッチリ5時間)
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