第23話:EX 予言者の独白
カチッ……カチッ……。
執務室の壁に掛けられたアンティーク時計の秒針が、静かに時を刻んでいる。
「……平和だ」
窓から差し込むうららかな陽光に目を細め、私は淹れたての紅茶を一口すすった。
少し渋みのある香ばしい香り。
帝都の貴族なら決して口にしない、辺境の安物の茶葉だ。
だが、私にとってはこれ以上の極上の味はない。
……愛しい妹が、かつてカビ臭い離宮でひっそりと好んで飲んでいた味だからだ。
「リピート殿下。プリーズ殿下の『辺境スローライフ計画』に関する、手配書の最終確認をお持ちしました」
執務室の扉が開き、私の腹心の騎士が書類の束を恭しく差し出してきた。
私はそれを受け取り、淀みない視線で目を通していく。
「ああ、ご苦労。……ふむ。別荘周辺の治安維持部隊の配置は完璧だね。彼女の視界に入らないよう、あくまで自然に護衛する形をとれている。彼女が愛飲しているこの『安物の茶葉』も、生産元の農村と専属契約を結び、最高品質のものを定期的に別荘へ届くよう手配できたようだね」
「はっ! プリーズ殿下が心からのんびりと羽を伸ばせるよう、最高の環境を準備させていただきました。……しかし、よろしいのですか? 帝国の危機を救った最大の功労者である殿下を、あのような辺境へ手放してしまわれて」
腹心の問いに、私は書類にサインを書き込みながらクスリと笑った。
「手放す? ……私があの有能で愛しい妹を完全に手放すわけがないだろう」
時計の針を見つめながら、私は自身の胸にそっと手を当てた。
かつて私にとって「時計の針が深夜0時に近づくこと」は時を巻き戻さなければいけないという、絶望のタイムリミットの合図でしかなかった。
0時を過ぎれば、その日の敗北が新たなセーブポイントとして上書きされてしまうからだ。
私のギフト『復唱の時』。
ワルモンドの絶対契約という「詰みの盤面」を前に、私は数十回に及ぶ絶望のループを繰り返した。
何度シスタネが倒れるのを見たか。
何度自分の喉がワルモンドの凶刃に貫かれる激痛を味わったか。
それでも、私は誰かに助けを求めることすらできなかった。
『時を巻き戻している』などと狂った戯言を口にしても、誰も信じはしない。
仮に信じてくれたとしても私が0時前に死んで世界が巻き戻れば、彼らの記憶はすべて白紙に戻ってしまう。
言葉で伝えることはシステム上、何の意味も持たなかったのだ。
だから私は、ただ一人の脳髄に仲間たちの死顔と焼け付くような死の記憶を蓄積させながら、孤独な『死に覚えゲー』を繰り返すしかなかった。
精神が摩耗し、自我が崩壊する寸前だった。
その地獄を終わらせたのは――私自身も知らなかった、本当に『偶然の奇跡』だった。
あの暗く冷たい地下神殿での最悪の光景。
絶望の中で巻き戻りを選択したあの瞬間、刃に貫かれて倒れるリズたちと私の視線が【偶然、完全に交差した】のだ。
『死の直前、視界に収まっていた者へ、強制的にループの記憶を共有する』
それは、私のギフトに隠されていたバグのような仕様だった。
もしあの時、私が目を逸らしていたら。
もし彼女が、絶望して瞳を閉じてしまっていたら。
記憶の共有など起きずに私はまた、たった一人で絶望の朝を迎えていただろう。
『バグには、バグをぶつけて、盤面ごとぶっ壊すのよ』
翌朝。
私と同じく激痛と絶望の記憶を共有したはずの彼女は、発狂するどころか最高に美しい悪役のような笑みを浮かべて私にそう言い放ったのだ。
言葉が通じる。
記憶が繋がっている。
この地獄を、たった一人で背負わなくていい。
あの瞬間、私の暗闇の世界にどれほどの光が差し込んだか、彼女は一生知ることはないだろう。
「彼女には、心から感謝している。だからこそ、望み通りの『最高の別荘』を用意した。……そこに、【帝都の執務室と直通の、超高速・魔法通信機】を設置した上でね」
「……えっ?」
ポカンとする腹心に、私は悪びれずに微笑んだ。
「彼女には『緊急時のみの連絡用だ』と伝えてあるが……ネネードやスイが、あの超有能な妹に頼らずに仕事を進められるわけがない。おそらく明日には、別荘の通信機が鳴り止まなくなるだろうね。もちろん、私も毎日のように『帝国の未来に関する重要な相談』を持ちかけるつもりだ」
「な、なるほど……。物理的な距離は離しても、実務のパイプは極太に繋いだままにするのですね……」
「そういうことだ。彼女は、私の命と魂の恩人であり……この帝国にとって絶対に欠かせない『真の支配者』なのだから」
私は、机の引き出しの奥に大切にしまってあるリズとの「同盟契約書」を指先でなぞった。
二度と彼女を危険な目に遭わせない。
平穏な生活は私が全知全霊をかけて保証しよう。
だが……君のその圧倒的な情報力と盤面をひっくり返す才能を、世界の裏側で眠らせておくつもりはない。
「のんびりと羽を伸ばすといい。……ただし、君はもう、この盤面の中心から退場することはできないよ。愛しい妹」
カチッ……カチッ……。
平和な時を刻む時計の音をBGMに、第1皇子は誰よりも深く誰よりも重い信頼と執着に満ちた瞳で、誰もいない虚空に向かって優雅に微笑むのだった。
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