↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第14章 三年A組の答え合わせ編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
151/152

第138話 聞けなかったこと、言えなかったこと

 澪の背中が、朝の廊下を遠ざかっていく。


 鞄も置かず、上履きの音を響かせて。


「さく――」


 呼びかけて、俺は言葉を呑み込んだ。


 廊下には、登校してきた生徒たちが、まだたくさんいる。


 この状況で「桜井さん」と叫べば、どうなるか。ただでさえ熱愛報道とやらで注目を浴びている男が、朝の廊下で別の女子を追いかけて名前を叫ぶ。……構内新聞の号外が出る。確実に。


 だから俺は、声の代わりに、足を速めた。


 角を曲がる。澪のスカートの裾が、階段の上に消えるのが見えた。


 二階。三階。


 追いかけながら、頭の隅で考える。


 ――この先は、どこにも行けないはずだ。


 三階の廊下を過ぎれば、あとは屋上へ続く階段しかない。そして屋上の手前には、あの『関係者以外立入禁止』の看板がある。


 つまり、行き止まりだ。


 ……逃げた先が行き止まりだと、あいつは知っていたのだろうか。


 それとも、行き先なんて、考えていなかったのか。


 階段を、二段飛ばしで駆け上がる。


 朝の陽が、踊り場の窓から差し込んで、埃をきらきらと光らせていた。


 ――いた。


 屋上前の、最後の踊り場。


 鉄のドアの手前、色あせたカラーコーンの脇に、澪は立っていた。


 こちらに、背中を向けたまま。


 肩が、小さく上下している。走ったせいだ。……たぶん、それだけじゃない。


「…………」


 俺も、何も言えなかった。


 言いたいことは、教室からここまでの間に、山ほど用意してきたはずだった。記事は誤解だとか、あれは事故だとか、写真はどうとか。


 なのに、いざ本人の背中を前にすると、ぜんぶ、安っぽい言い訳みたいに思えて、口の中で溶けて消えた。


 沈黙。


 遠くで、誰かの笑い声。朝のホームルーム前の、平和な喧騒。


 この踊り場だけが、世界から一段、切り離されたみたいに静かだった。


「……なんで」


 先に口を開いたのは、俺だった。


「なんで、逃げるんだよ」


「……逃げてない」


 澪は、背中を向けたまま言った。


「逃げてないもん」


「いま俺、一階から三階まで追いかけてきたんだぞ」


「……朝の、運動」


「嘘つけ」


 我ながら、間の抜けたやり取りだった。


 でも、その間の抜けたやり取りのおかげで、張り詰めていた何かが、少しだけゆるんだ。


 澪の肩から、ふ、と力が抜けるのが見えた。


 そして。


「……見たよ、記事」


 ぽつり、と。


「うん」


「……写真も」


「うん」


「関山さんのこと、抱きとめてた」


「……あれは、自転車の練習中に、転びそうになったから――」


「知ってる」


 澪は、俺の言葉を、静かに遮った。


「わかってるの。ぜんぶ」


 ゆっくりと、こちらを振り向く。


 その顔は、怒ってなかった。


 泣いてもいなかった。


 ただ――途方に暮れた子どもみたいな顔を、していた。


「記事が大げさなことも。あれが事故だってことも。関山さんが悪くないことも、大河くんが悪くないことも。……頭では、ぜんぶ、わかってるの」


 朝の光の中で、澪の声は、少しかすれていた。


「わかってるのに。……写真を見たら、頭より先に、足が逃げてた」


「…………」


「変だよね。彼女なのに」


 彼女なのに。


 その言葉を、澪は自分で言って、自分で小さく笑った。ぜんぜん、笑えていない笑い方だった。


「……ねえ、大河くん。私ね、ほんとはね」


 澪の両手が、胸の前で、きゅっと握られる。


「ずっと……聞けなかったの」


「……聞けなかった?」


「関山さんと、自転車の練習するって話。お昼に大河くんが来たとき、ほんとは『あの件ってなあに』って、笑って聞けばよかった。放課後だって、『私も見に行っていい?』って、言えばよかった。……言おうとしたんだよ? 何回も」


 一気に言って、澪は、息を吸った。


「でも、聞けなかった。詮索してるみたいで、やきもち焼いてるみたいで、そんな自分が恥ずかしくて。……そうやって聞けないまま溜めてたら、どんどん、変な意地になっちゃって」


 ――ああ。


 そういう、ことだったのか。


 昼休みの、二度ほど低い笑顔も。


 放課後の、つんと上がった顎も。


 「一緒に教えないか」を断った、あの半歩遠い背中も。


 怒っていたんじゃない。


 聞けない自分と、ずっと戦っていたのだ。


「……だから、さっきも。教室で大河くんの顔見たら、聞けなかったことが、ぜんぶ一気に押し寄せてきて。どんな顔すればいいか、わからなくて。……気づいたら、走ってた」


 澪は、うつむいた。


「……ごめんなさい。逃げたの、私」


 言い終わって、しん、と静かになった。


 窓の外で、雀が鳴いた。


 ――今度は、俺の番だった。


「……俺も、謝らないとな」


「え……?」


「俺は、逃げてないけど。……ずっと、言いそびれてた」


 俺は、一歩、澪に近づいた。


「関山さんに自転車を教える話、ほんとは昼のうちに、俺の口から説明するつもりだった。そのたびに邪魔が入って、後回しにして。……挙げ句、記事で知られるとか、最悪だろ」


「それは、大河くんのせいじゃ……」


「いいや、俺のせいだ」


 二日ぶんの言いそびれを、俺はようやく、口に出す。


「俺はいつも、一歩ずつ遅いんだ。言おうと思ったときに言わないから、そのたびに、お前に変な思いをさせる。……ごめん」


 澪が、顔を上げた。


 俺は、まっすぐその目を見て――確かめるように、周囲に人の気配がないことを確かめてから――言った。


「――澪」


「……っ」


 名前を呼ばれた瞬間、澪の目が、わずかに見開かれた。


「記事がなんて書こうが、学校中がなんて騒ごうが、関係ない。……あの写真の男が、誰のことを好きか。それは世界中で俺が、いちばんよく知ってる」


「…………」


「だから、聞きたいことは、ぜんぶ聞いてくれ。詮索でもやきもちでも、なんでもいい。……俺はそのほうが、百倍うれしい」


 言い切ってから、猛烈に恥ずかしくなった。


 朝から、何を言っているんだ、俺は。


 でも。


 澪の目に、じわ、と何かが浮かんで。


 こぼれる前に、澪はごしごしと手の甲でそれをぬぐって――笑った。


 今度は、ちゃんとした、いつもの笑い方だった。


「……うん」


「おう」


「……うんっ」


 二回目の「うん」は、少しだけ、鼻声だった。


 キーンコーンカーンコーン♪


 ――と、そこで。


 予鈴が、校舎中に鳴り響いた。


「「……あ」」


 ホームルーム、五分前。


 ここは、屋上前の踊り場。教室は、一階分下の、廊下の果て。


「や、やばい。走るぞ澪……じゃない、桜井さん!」


「切り替え、早すぎ……ふふっ」


 澪が、吹き出した。


 俺たちは階段を駆け下りる。二段飛ばしの俺の隣を、澪がスカートを押さえながら追ってくる。


「ね、大河くん」


「なんだよ」


「新聞部への対処、どうするの?」


「……これから考える。会長には、任せろって言っちまったし」


「ふふ。……じゃあ、一緒に考えよ」


「おう。――係の打ち合わせ、だな」


「うんっ。係の打ち合わせ」


 いつかの帰り道と同じ言葉で、澪が笑った――そのときだった。


 俺の足が、階段の途中で、止まった。


「……大河くん?」


 係の、打ち合わせ。


 ……いや。


 違う。違うだろ、俺。


 俺はいつから、こんなにも「隠すこと」が、当たり前になっていたんだ。


 教室では「桜井さん」。夜だけ「澪」。付き合っていることは、誰にも言わない。バレそうになったら、ごまかす。写真を撮られたら、火消しの算段をする。


 こそこそ。こそこそ。こそこそ。


 ……そもそも。


 そもそも、それが、ぜんぶの元凶だったんじゃないのか。


 俺が最初から堂々としていれば――澪は、「聞けない」なんてひとりで思い詰めなくて、よかった。関山さんが、身に覚えのない記事に巻き込まれることも、なかった。


 名前ひとつ、まともに呼べない俺が。


 いちばん、間違っていたんじゃないのか。


「……なあ、澪」


「な、なあに」


「俺、間違ってたわ。……そもそもの、根っこから」


 俺はポケットから、スマホを取り出した。


 学校公式アプリを開く。


 構内新聞の、すぐとなり。いつだったか稲葉が「使う日が来るかは、分かりませんが」と言いながら、しれっと実装していた、あの機能。


 ――校内ライブ配信。


「……大河くん? それ、なに……」


 不安そうに画面を覗き込む澪に、俺は、言った。


「――緊急ライブ、やる」


「…………はいっ?」


 澪の声が、裏返った。


「ら、ライブって……全校に、流れるやつだよ? 先生も、見られるんだよ?」


「おう」


「おう、って……な、なにを話す気?」


「誤報の訂正と――」


 俺は、ひとつ息を吸って、言った。


「――俺たちのことを、ぜんぶ」


 澪の目が、まん丸になった。


「……本気で、言ってる?」


「本気だ。……もう、こそこそするのは終わりにしたい。俺が名前も呼べないせいで、お前にも、関山さんにも、変な思いをさせた。だったら、いっそ――」


 言いかけた俺の制服の袖を、澪が、きゅっとつまんだ。


 俯いて、しばらく黙って。


 それから、顔を上げた。


 その目は――もう、途方に暮れてはいなかった。


「……わかった」


「いいのか? お前も、巻き込むことになるぞ」


「巻き込まれるんじゃないよ」


 澪は、ふ、と笑った。


「……隣に、立つの」


 ――ああ。


 この人を好きになって、よかったと、心から思った。


 * * *


 学校公式アプリ、校内ライブ配信。


 この機能は、誰かが配信を始めると――生徒も、先生も、全員のスマホに通知が飛ぶ仕様になっている。


 配信者の欄に「吉野大河(生徒会副会長)」と表示された、その瞬間。


 朝の校舎の、あちこちで。


 ぽこん。ぽこん。ぽこんぽこんぽこん――と、一斉に通知音が鳴った。


 ポケットから。鞄から。机の中から。


 みんながスマホを取り出して、画面に釘付けになる。隣の席の友達と、一つの画面を覗き込む者。廊下の真ん中で、自分のスマホを握りしめて立ち止まる者。


 朝のホームルーム前の校舎が――まるごと、静止した。


 ――以下は、あとから皆に聞いた、そのときの校内の様子だ。


  *


 ――一年二組。


「ね、なんか通知きたんだけど」


「緊急ライブ……? なにこれ、避難訓練?」


「配信者、吉野大河って……え、待って、記事の人じゃん!」


「例の熱愛の!?」


 教室のあちこちでスマホが灯り、ホームルーム前の一年生たちが、いっせいに画面へ吸い込まれた。


  *


 ――二年の廊下。


「せ、先輩っ!?」


 陽菜は、スマホを両手で握りしめて、廊下の真ん中で立ち止まった。


 周りの友達が「陽菜ちゃんの知り合いの人だ!」と群がってくる。


「な、なにする気ですか先輩……なにする気ですか……!」


  *


 ――三年A組。


「おいおいおいおい」


 橘が、スマホ片手に立ち上がった。


「あいつ、朝から何おっぱじめる気だ!?」


「わからん……わからんが、嫌な予感しかしないぞ……!」


 深山が、頭を抱えてうめく。


 その後ろで、彩花だけが、にまにまと笑いながら頬杖をついていた。


「……いいぞー、吉野くん。いっちゃえー」


  *


 ――同じく三年A組、窓際の席。


 稲葉は、無言でタブレットを立ち上げると、慣れた手つきで何かの画面を開いた。


「……サーバー負荷、監視します。落ちたら、洒落にならないので」


 こういうときに、いちばん冷静な男である。


  *


 ――職員室。


「よ、吉野くん!? なにを――ど、どうしてまた……っ」


 笹沼先生は、モニターと入口を三往復ほど見比べたあと、机の引き出しから、そっと胃薬を取り出した。


  *


 そして――三年A組の、いちばん前の席。


 霞汐乃は、読みかけの文庫本を、ぱたんと閉じた。


 画面の中の俺を見て、目を細めて。


「……ふっ」


 クスリと、笑ったという。


「派手にやるな、大河。――だが、嫌いじゃない」


 * * *


 ――話を、踊り場に戻す。


 スマホのインカメラに映る自分の顔は、我ながら、緊張で強張っていた。


 視聴者数のカウンターが、ぐんぐん回っていく。二百、四百、六百――。


 深呼吸、ひとつ。


「……えー。全校生徒の皆さん、おはようございます。朝の忙しい時間に、すみません。三年A組、生徒会副会長の、吉野大河です」


 声が、少しだけ震えた。かまうものか。


「今朝の構内新聞の記事について、当事者として、直接お話しします。……歩きながら見てる人は、転ばないように気をつけてください」


 我ながら、副会長っぽい注意書きだった。


「まず、結論から。あの記事は――誤報です」


 一拍、置く。


「写真の場面は、自転車に乗れない同級生に、俺が乗り方を教えていたときのものです。練習中に転びそうになったのを、支えただけ。それ以上でも以下でもありません。……関山さんは、初めての自転車を、真剣に練習していただけです。あの人は、なにひとつ、悪くない。だから、これ以上、関山さんを騒ぎに巻き込むのは、やめてやってください。……お願いします」


 カメラに向かって、頭を下げた。


 顔を上げて、もうひとつ、息を吸う。


 ――ここからだ。


「そして……もうひとつ。こっちは訂正じゃなくて、報告です」


 俺は、画面の外に立つ澪へ、目をやった。


 澪は、胸の前で両手をぎゅっと握って――こくり、とうなずいた。


 一歩。俺の隣に、入ってくる。


 画面の中に、二人が並んだ。


 全校の、何百という画面の中に。


「――俺、吉野大河は。三年A組の、桜井澪さんと、お付き合いしています」


 言った。


 言って、しまった。


「今回の記事で、隠してきたことが、いろんな人を傷つけると分かりました。だから、もう隠しません。……以上です。授業、頑張りましょう」


 そして最後に、俺は、画面の中の彼女に向かって言った。


「――行こうぜ、澪」


「……うんっ」


 配信終了のボタンを、押した。


 * * *


 その瞬間の校内の騒ぎは、もはや誰の証言もあてにならない。


 一年の教室は絶叫で包まれ、二年の廊下では陽菜が「い、言っちゃった……先輩、ぜんぶ言っちゃった……!」と壁にもたれ、三年A組では橘が「あの野郎ぉぉ!」と笑いながら机を叩き、深山は「そんな……僕の妹の立場は……」と天を仰ぎ、彩花は立ち上がって一人で拍手をしていたという。


 汐乃だけが、静かに文庫本を開き直して、こう呟いたそうだ。


「……ふふ。やはりお前は、面白い男だ」


 * * *


 踊り場には、朝の光と、俺たち二人だけが残った。


「……言っちゃったね」


「……言っちゃったな」


 顔を見合わせる。


 どちらからともなく、笑いが込み上げてきた。


 こうして、俺たちの「熱愛報道」は――本人たちの手で、「熱愛宣言」に上書きされたのである。


 ――なお、その直後。


 チャイムに遅れてホームルームへ滑り込んだ俺たちが、胃薬を握りしめた笹沼先生から、そろって特大の大目玉を食らったのは。


 ……言うまでもない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。