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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第14章 三年A組の答え合わせ編

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第137話 熱愛報道と、逃げた彼女

 ふわ、と。


 我ながら盛大なあくびが出た。


 昨日は夜遅くまで、参考書と英単語帳に漬かっていた。受験生というものは、青春の合間に勉強をするのではなく、勉強の合間に青春をやるものらしい。誰だ、三年生を「最後の楽しい一年」とか言ったやつは。


 寝ぼけた頭で校門をくぐり、昇降口で上履きに履き替えて、廊下を歩く。


 ……と。


(………………ん?)


 なんだろう。


 視線を、感じる。


 すれ違う生徒が、ちら、とこっちを見る。見て、隣の友達と、ひそひそやる。


 くす、と笑い声。ざわ、と囁き。


 視線なら、慣れたつもりだった。なにせ俺は「有名物件」である。廊下で下級生に囲まれて「きゃー」と言われる程度のことは、もう日常だ。


 だが、今日のこれは――質が、違う。


 好奇心に、もう一色。なんというか……「見ちゃいけないものを見てる」ときの、あの色が混ざっている。


(なんだ……? 寝癖か?)


 髪を撫でつけながら、俺は教室の戸を開けた。


「おっ、来た来た」


 開けた瞬間、橘が駆け寄ってきた。


 そして開口一番、こう言った。


「おい、お前。……なんか面倒なことに、なってんな」


「……は?」


 きょとん、である。


「面倒なことって、なんだよ。宿題なら出したぞ、俺は」


「そういうのじゃなくてだな――」


 橘が言い終わる前に。


 どん、と。


 俺の両襟が、掴まれた。


「――きみはっ!」


 深山だった。


 眼鏡の奥の目が、燃えている。そのまま俺は、教室の壁際まで、ずずい、と押し込まれた。


「きみは、桜井さんというものがありながらっ……!」


「おいおいおい、ちょっと待て!? なんのことだよ、一体!」


 桜井さんというもの、とは何だ。いや、心当たりは、ある。あるが、こいつが知っているはずは――。


 混乱する俺と、鼻息の荒い深山の間に。


 すっ、と。


 白い手が、割り込んできた。


 稲葉だった。


 いつもの無表情のまま、いつものタブレットを、俺に差し出してくる。


「……見たほうが、早いです」


 俺は、恐る恐る、画面を受け取った。


 表示されていたのは、学校公式アプリ。


 その中の――構内新聞のページだった。


 うちの学校の新聞は、今年度から紙をやめて、アプリで配信されている。普段の記事は「購買に新メニュー」とか「図書室の開館時間変更」とか、そういう平和なやつだ。いいねは、ついても数件。コメントなんて、まず付かない。


 ――今日の一面は、違った。


『【特集】お堅い副会長の放課後は? 吉野大河(3年)と関山八重さん(3年)、人目を忍ぶ“自転車デート”を激写!』


 いいね、二百十三件。


 コメント、五十二件。


 そして、見出しの下には――写真。


 夕陽の駐輪場の裏で、倒れかけた八重を、俺が抱きとめている、あの瞬間の写真が。


 ……アングルも光も、悔しいくらいに、丁寧に撮れていた。


「――――」


 血の気が、音を立てて引いていく。


 あのときの「カシャ」。


 気のせいじゃ、なかった。


「……記事は、昨夜の二十三時すぎに、投稿されています」


 稲葉が、静かに言った。


「その直後に、ラインを、お送りしました」


 ……ライン?


 慌てて、ポケットからスマホを引っぱり出す。


 ロック画面に――通知が、あった。


『稲葉:構内新聞の最新記事を至急確認してください。対応の相談が必要です』


 受信、昨夜の二十三時二十分。


 ……見て、いなかった。


 昨日の俺は、スマホを机の引き出しに放り込んで、参考書に嚙りついていたのだ。単語帳と英文法のあいだを往復している間に、世界がこんなことになっているとも知らず。


「わ、悪い、稲葉……。ぜんぜん、気づかなかった」


「いえ。……既読が、つかなかったので。朝いちばんに、直接お見せしようと」


 だからの、このタブレットか。


 準備が、良すぎる。


「な? 面倒なことになってんだろ?」


 橘が、他人事みたいに言った。他人事である。


 記事の本文にも、目を通す。


『成績優秀、生徒会副会長、女子人気ランキング常連の吉野先輩。そのお相手は、なんと理事長のご令孫・関山八重さん! お二人は放課後、人気のない駐輪場の裏で、秘密の特訓デート。ラストは劇的な抱擁で――』


 抱擁ではない。救助である。


 コメント欄は、もっとひどかった。


『えー!? 吉野先輩って関山さんだったの!?』


『お似合いすぎるんだけど』


『駐輪場の裏とか、ガチじゃん』


『泣いた。ランキング一位とられた』


(違う。違うんだ、諸君……)


 悪いことは、何ひとつ、していない。


 していないのだが――迂闊だった。


 人目がないと思っていた、あの場所。あそこは「人目がない」のではなく、「人目に気づけない」場所だったのだ。


 そして、もうひとつ。


 俺は、この記事を書いた「新聞部」のことを、よく知っていた。


 ――新聞部は、今年度、復活したばかりの部活だ。


 二年のとき、俺たち生徒会は、校則の改革をやった。アルバイトの申請を緩めたのと同じ流れで、部活動の在り方も見直した。「全員強制」をやめて、作りたい部活を作りやすく、休んでいた部活を再開しやすく。


 その一環で、長いこと休部していた新聞部に、復活の申請が出た。


 審査をして、書類を確認して、活動再開を認めた。


 ……その申請書に、印鑑を押したのは。


 生徒会副会長――俺、である。


(迂闊だった…………!)


 自分で蒔いた種が、一年越しに、自分の顔面で花を咲かせている。しかも特大の。


 がっくりと、うなだれたときだった。


 ぱたん、と。


 教室の隅で、静かに本の閉じる音がした。


 汐乃だった。


 文庫本を机に置いて、こちらへ歩いてくる。教室のざわめきが、少しだけ引いた。


 そして俺の前に立つと、あの、いつもの余裕の微笑で言った。


「――ずいぶん騒がしいな、大河」


「ああ……。だな。……すまん」


「謝罪はいい」


 汐乃は、ひらりと手を振って。


「事実がどうかは、聞くまでもない。……で、だ。どう対処するかは――任せていいな?」


 試すような、それでいて、こちらを信じ切っている目だった。


 会長サマは、こういうとき、絶対に「私がなんとかしてやる」とは言わない。


 言わないことが、信頼なのだ。


「ああ……もちろん。悪いようにはしない。……ちょっと、考えるわ」


「うむ。期待している」


 汐乃は、それだけ言って、席へ戻っていった。


 ……さて。


 俺はもう一度、タブレットの画面を見下ろした。


 いいねの数字が、見ている間に、また三つ増えた。


 勉強漬けの、眠い朝のはずだった。


 その眠気は、もう、どこにもない。


 ――受験生で、教育係で、生徒会役員で、彼氏。


 そこにどうやら今日から、「熱愛報道の当事者」という肩書きが、増えたらしいのである。


 と。


 とん、と肩をつつかれた。


 大島だった。


 俺の耳元に、ひょいと顔を寄せて――まわりに聞こえない小さな声で、言った。


「……副会長さん。それも大事だけどさ」


「え?」


「その前に――“彼氏”って役割も、忘れちゃだめだよ?」


「――――」


 心臓が、跳ねた。


 こいつ、どこまで知って……いや。


 今は、それよりも。


 彼氏。


 ……そうだ。


 この記事を見るのは、全校生徒だ。


 当然――澪も。


 顔を上げた、ちょうど、そのときだった。


 がらり、と教室の戸が開いて。


 澪が、入ってきた。


 目が、合う。


 澪は――一瞬で、バツの悪そうな顔になって、目をそらした。


(……もう、知ってるんだ)


 直感で、わかった。


 俺は鞄を自分の席に放ると、まっすぐ、澪のほうへ向かった。


「桜井さ――」


 言い終わる前に。


 澪は、くるりと踵を返して――教室から、出ていった。


 いや。


 出ていった、どころではない。


 廊下を、走り出した。


「ちょ……っ」


 逃げた!?


 俺は慌てて、あとを追って廊下へ飛び出した。


 朝の廊下を、澪の背中が遠ざかっていく。


 ――と、その途中。


「あ……」


 向こうから歩いてきた八重と、すれ違った。


 俺に気づいて、ぱっと表情を明るくして、両手を胸の前で合わせて。


「よ、吉野さん。昨日は、自転車の――」


「わりぃ、あとでっ!」


 俺は、目もくれずに走り抜けた。


 悪いとは思った。思ったが――今は、それどころではないのだ。


 教室のざわめきが、背中で一段と大きくなった気がしたが――もう、知ったことか。


 俺は、加速した。


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