第134話 聞けばいいのに、私
キーンコーンカーンコーン♪
四時間目の終わりのチャイムと同時に、教室がお昼の顔になる。
机を運ぶ音。お弁当の包み。購買へ走っていく男子たち。
私――桜井澪は、いつものように机を動かして、彩ちゃんの机と、それから、窓際の席とくっつけた。
「関山さん、こっちこっちー」
「はい。ただいま参りますわ」
関山さんが、しずしずとやってくる。
両手に抱えているのは、風呂敷包み。
それを机の上でほどくと――漆塗りの、二段のお重が現れた。
「「…………」」
私と彩ちゃんは、思わず顔を見合わせた。
蓋を開けると、彩り豊かなおかずが、宝石箱みたいにきっちり詰まっている。飾り切りの人参。手毬みたいな俵むすび。だし巻き卵は、断面が完璧な渦を巻いていた。
「なにそれすごー! お店じゃん! 料亭じゃん!」
「家の料理長が、こしらえてくれますの」
「料理長」
彩ちゃんが、ぽかんと繰り返す。
関山さんは、当たり前のことみたいに、こくりとうなずいた。
それから彩ちゃんは、思い出したように、私のお弁当箱をちらりと見た。
「……いやー、ちょっと前までは、澪っちのお弁当もすごかったけどさぁ。ほら、梅宮さんの」
「うん。……でも、やっぱり、次元が違うね」
うちにも、家政婦の梅宮さんがいる。
前は、お弁当も梅宮さんが作ってくれていた。彩ちゃんに「いつも豪華だよねー」って言われて、なんて答えていいか分からなくて、「うん」って笑ってごまかした日が、なつかしい。
――でも、最近は。
このお弁当箱の中身は、朝、自分で作っている。
「そういえばさ、澪っち、最近お弁当の感じ変わったよね。自分で作ってるんでしょ?」
「え。……わ、わかる?」
「卵焼きの形が、日によってちがうもん」
「うっ」
……この観察力である。
「えらいねぇ。なんで急に?」
「ん……なんとなく、かな。自分でできることを、増やしたくて」
――半分は、ほんと。
もう半分は、ひみつ。
関山さんは、そんな私たちのやりとりを、「お友達の会話」の見本みたいに、興味深そうに眺めていた。
……関山さんと一緒にお昼を食べるようになって、まだ数日だけど。
この子の「当たり前」には、毎回ちょっとずつ、びっくりさせられる。
「いただきます」
三人の声が、ゆるく重なった。
窓の外は、いいお天気。教室のあちこちから、笑い声と、お弁当の匂い。
新しいクラスにも、少しずつ、こういう時間が馴染んできた。
と。
「……あの。桜井さん」
お箸を上品に止めて、関山さんが私を見た。
「桜井さんは、生徒会執行部……でいらっしゃるのよね」
「え? うん、そうだよ。私は庶務っていう係。……どうして?」
「昨日、廊下の掲示で、お名前を拝見しましたの。生徒会というものに、少し、興味がございまして」
関山さんの目が、ほんのわずかに輝いている。
最近わかってきたけど、これは「知らないことを知りたい」ときの目だ。
「生徒会は……そうだなぁ。行事の運営とか、みんなの学校生活の困りごとを拾ったりとか。あ、最近だとね、スマホから匿名で相談を送れる『生徒会なんでも箱』っていうのを始めたの」
「まあ。……素敵ですわ」
「メンバーはね、実は、ぜんぶこのクラスにいるんだよ」
「あら」
「会長が霞さんでしょ。窓際の、いちばん前の……そう、あの、姿勢のきれいな」
「霞、汐乃さま。始業式で、ご演説をなさった方ですわね」
「うん。それで、稲葉くんがシステム係みたいなことをしてて、桐崎さんが集計係。私が庶務で――副会長が、吉野くん」
「……吉野さんも、なんですのね」
関山さんの声が、ほんの少しだけ、弾んだ。
……気のせい、かな。
「そーなの! このクラス、生徒会が丸ごと入ってるやばいクラスなの」
彩ちゃんが、から揚げを頬張りながら割り込んでくる。
「だからね、関山さん、困ったことがあったら澪っちに言えばだいたい解決するよ。生徒会に直通だから」
「まあ。……心強いですわ」
関山さんが、ふわりと目を細める。
――その顔を見ながら。
私は、胸の奥で、そっと思った。
(……関山さんは、知らないんだよね)
理事長さん――関山さんのおじいさまが、「次の生徒会長に」って、関山さんの名前を、学校に伝えてきていること。
霞会長が、それでずっと、一人で難しい顔をしていること。
会長は言った。『この話は他言無用。特に――関山八重には、絶対に、だ』って。
だから関山さんは、何も知らないまま、生徒会の話を、こんなふうに目を輝かせて聞いている。
……それが、少しだけ、胸のはしっこに引っかかる。
「ねーねー、関山さんはさ」
彩ちゃんの明るい声が、私の考えごとを吹き飛ばした。
「学校で、したいこととか、あるの? ほら、初めての学校でしょ?」
「したい、こと……」
関山さんは、お箸を置いて、少し考えて。
それから、打ち明けるみたいに、言った。
「……わたくし、小説が、大好きですの」
「え、意外!」
「本の中で、たくさんの学校を、読んでまいりましたわ。ですから――読んできたことを、ひとつずつ、リアルでやってみたいんですの」
リアル、という言葉を、関山さんは大事そうに発音した。
「お勉強は……正直に申しますと、あまり、好きでは、ありませんの」
「「ふふっ」」
私と彩ちゃんが同時に吹き出すと、関山さんは、きょとんとした。
「あら。おかしいかしら」
「ううん、ぜんぜん! なんか、安心しちゃって」
「運動も、得意とは、申せませんわ。握力測定は“さんざん”でしたし……。それでも」
関山さんは、窓の外の空を、ちらりと見た。
「それでも、いろいろ、やってみたいんですの。文化祭も。体育祭も。テスト前の、皆さまで集まってする勉強会というものも。……物語で読んだ、ぜんぶ」
「いいねぇ!」
「うん。いいと思う。すっごく」
私たちが言うと、関山さんは、嬉しそうに小さくうなずいて。
それから――ほんの少しだけ、声をひそめた。
「あとは、その……恋愛、というものにも。興味が、ありますわ」
「「!」」
「おっ! おおー! いいねいいね!」
彩ちゃんが、身を乗り出した。
「青春だねぇ! よし、関山さん、困ったことがあったら、このあたしに相談しなさーい!」
「まあ。……大島さんは、恋愛のご経験が、おありなんですの?」
「経験っていうか、ほら、あたし、観察力には自信があるからさー」
「あはは……」
私は、笑ってごまかした。
その観察力に、思いっきり撃ち抜かれたのが今朝の私です。とは、言えない。
「では……お二人は、好きな方は、いらっしゃるの?」
――どきり、とした。
「あたし? あたしは今はいないかなー。ソフトボール一筋! 白球はあたしを裏切らないからね」
「まあ。一筋……素敵ですわ。桜井さんは?」
「え。……えっと、私は、その……」
言えない。
でも、嘘もつきたくない。
視線が泳ぐ。お弁当の卵焼きが、妙に黄色い。
「わ、私は――」
「わりぃ、ちょっといいか」
突然、頭の上から声が降ってきた。
「っ!?」
顔を上げると――大河くんが、立っていた。
心臓が、変な跳ね方をする。い、今の話、聞かれてないよね……?
でも大河くんは、私じゃなくて、関山さんを見ていた。
「関山さん。あの件だけど……放課後、駐輪場な」
「はい。承知いたしましたわ」
関山さんが、こくりとうなずく。
「おう。……すまん、メシ中に。邪魔したな」
それだけ言って、大河くんは自分の席へ戻っていった。
「「…………」」
え。
……え?
あの件って、なに。放課後って、なに。駐輪場って――なに。
お箸を持ったまま固まっている私の隣で、彩ちゃんが、ぼそっと言った。
「……あちゃー。吉野くんも、まだまだだねぇ」
「え?」
「んーん、なんでも」
彩ちゃんは、から揚げの最後のひとつを口に放り込んだ。
……胸の奥が、朝と同じ音を立てる。
ざらり。
もやもや、もやもや。
(……ばかみたい、私)
もやもやするくらいなら、聞けばいいのに。「あの件ってなあに?」って、笑って聞けば、それで終わりなのに。
彼女、なのに。
……ううん。彼女だから、教室では聞けないんだ。詮索してるみたいに、なりたくなくて。
と。
「あの……桜井さん」
関山さんが、私の顔を、じっと見ていた。
「実は、と申しますか……今朝の、お話なのですけれど」
そして関山さんは、隠すそぶりもなく、ぜんぶ話してくれた。
今朝、校門の前で、吉野さんの自転車を初めて間近で見たこと。
小説の中でしか知らなかった自転車に、乗ってみたくなったこと。
そうしたら吉野さんが、「今日の帰りに、練習してみるか」と言ってくださったこと。
「――ですから、放課後、駐輪場で、自転車の乗り方を教えていただきますの」
両手を胸の前で、きゅっと合わせて。
「物語の通りですわ。……楽しみで、お昼が、喉を通りませんの」
めちゃくちゃ通ってましたけど。お重、もう半分空ですけど。
……なんて、ツッコミが浮かぶくらいには。
私の胸のもやもやは、いつのまにか、ほどけ始めていた。
「……そっか。自転車、初めてなんだ」
「はい。初めて、ですわ」
「ふふ。転んでも泣かないようにね?」
「まあ。物語では、皆さま、一度は転ぶものと決まっておりますのよ」
関山さんは、大真面目に言った。
彩ちゃんが「予習ばっちりじゃん」と笑って、三人の笑い声が重なった。
――ほっとしたような。
……してないような。
からくりがわかれば、なんてことのない話。大河くんはただ、約束の場所を伝えに来ただけ。関山さんは、ただ、初めての自転車が楽しみなだけ。
じゃあ、この胸に残ってる、小さな棘は、なんだろう。
たぶん――「聞けなかった」ことだ。
関山さんは、聞かなくても、話してくれたのに。
私は、聞くことすら、できなかった。
……教室の「桜井さん」と、夜のベンチの「澪」。
その間には、まだ、思っていたよりも距離がある。
キーンコーンカーンコーン♪
予鈴が鳴って、教室がまた動き出す。
机を戻しながら、窓の外を見た。
お昼の光が、校庭の隅の駐輪場を、静かに照らしている。
……放課後。
関山さんの初めての自転車が、うまくいきますように。
それから――。
今度こそ、聞けますように。「あの件、なあに?」って、笑って。
私は、風呂敷を丁寧に畳む関山さんの隣で、小さく、そう願ったのだった。




