第130話 生徒会、最後のシーズン
――週が明けた、月曜の放課後。
俺と澪は、連れ立って生徒会室へ向かっていた。
「新学期最初の定例会、だね」
「ああ。……なんか、久しぶりだな。この感じ」
二年のときから、もう何度も通った廊下。
それでも、三年になって初めて向かう生徒会室は、少しだけ空気が違って見えた。
がら、と戸を開けると。
「――来たか」
長机の向こうで、汐乃が腕を組んで待っていた。
その隣には、タブレットを立ち上げている稲葉。
書類の束を揃えている桐崎。
役者は、揃っていた。
* * *
「では――新年度、最初の定例会を始める」
汐乃の凛とした声が、生徒会室に響く。
「知っての通り、我々は全員、三年だ。この生徒会での一年は、最初から“最後の一年”として始まる。――だから、宣言しておく」
汐乃は、机に両手をついて、俺たちを見渡した。
「最後の一年だ。全部、やり切るぞ」
返事は、四つ、同時に重なった。
「よし。……まずは、これだ」
言って、汐乃がどん、と机に置いたのは。
――老舗の、羊羹だった。
「会議には糖分だ。回せ」
「相変わらずですね、会長……」
桐崎が苦笑しながら、人数分に切り分けていく。
こういうところは、去年から何も変わらない。
* * *
「本題だ。今年度の生徒会は――“待たない”」
「待たない、とは?」
桐崎が顔を上げる。
「去年までの生徒会は、持ち込まれた仕事を捌く場所だった。行事の運営、予算、備品の管理。……だが、それだけでは拾えない声がある」
汐乃は、一枚の企画書を机の中央に滑らせた。
『生徒会目安箱 刷新案』
「目安箱って……あれですか。職員室の前の、あの古いやつ」
桐崎が、企画書を覗き込む。
「そうだ。箱自体は、昔からある。……だが、まるで機能していない。――稲葉、去年の実績を」
「はい」
稲葉が、タブレットに視線を落とした。
「昨年度、目安箱への投書は――年間で、三通です。一通は『購買のパンの種類を増やしてほしい』。……残る二通は、判読不能の落書きでした」
「さ、三通……」
「これを作り替えて、今年は生徒会が、生徒の困りごとを全部拾う。……ああ、恋愛相談は除く」
「除くんですね」
「当たり前だ。うちは寺子屋ではない」
「でも会長、作り替えるって言っても……箱を新しくしたところで、書く人は増えませんよ?」
桐崎が、言いにくそうに続ける。
「あんな職員室の真ん前で、紙に書いて入れるんですよ。入れるところを先生にも友達にも見られるのに、本音なんて書けませんって。……私だって、嫌ですもん」
「だろうな。――だから、紙は、やめる」
汐乃は、ちらりと隣を見た。
「稲葉」
「はい」
稲葉は、事もなげにタブレットをくるりと回して、こちらへ向けた。
画面に映っていたのは、見慣れた学校の公式アプリ。
その中に――見慣れない、真新しいメニューがひとつ。
『生徒会に相談する(匿名)』
「もう、作ってあります」
「「「……えっ」」」
「生徒用アプリの中に、投稿フォームを追加しました。名前は送信されません。届いた内容は、生徒会の共用アカウントにだけ表示されます」
しれっと言っているが、とんでもない仕事の早さである。
「相変わらず、話が早いな」
汐乃が、満足そうにうなずいた。
「そういうわけだ。紙の箱は、引退させる。――これからは、全校生徒のスマホが、投書箱になる」
「……なるほどな」
気づいたら、俺は口を開いていた。
「職員室前のド真ん中じゃ、人は本音を書けない。……でもこれなら、夜中に、自分の部屋からでも送れるだろ。誰にも見られずにさ」
「……」
「人が素直になれるのはさ、明るい昼間のド真ん中じゃなくて――ちょっと暗くて、静かで、ひとりになれる場所なんだ」
……夜のコンビニの、あのベンチみたいな。
「これは言ってみれば、そういう“場所”を、全校生徒のポケットに配って回るようなもんだ。……去年の三通が、何倍になるか楽しみだな」
言ってから、少し語りすぎたかと思ったけれど。
汐乃は、なにか眩しいものでも見るように、目を細めていた。
「――だ、そうだ。稲葉」
「ええ。設計思想として、満点です」
と――それまで静かに聞いていた澪が、小さく手を挙げた。
「あの。……ひとつだけ、心配なことを言っても、いいですか」
「桜井庶務。言ってみろ」
「スマホから簡単に送れるようになったら、その分……冷やかしとか、嘘の相談も、届くようになると思うんです」
……確かに。
紙と違って、指一本で送れてしまうのだ。
面白半分の悪戯も、誰かを陥れるための嘘も、きっと混ざってくる。
「いい指摘です」
稲葉が、眼鏡を押し上げた。
「補足すると、送信には生徒アカウントでのログインが必要です。学外からは送れません。表示は匿名ですが、送信の記録そのものは残る設計です。……度を越した誹謗中傷や、犯罪に関わるものに限っては、追跡の余地を残してあります。もちろん、通常の相談の匿名は守ります」
「それでも、嘘は混ざるだろうな」
汐乃は、あっさりと言った。
「構わん。――織り込み済みだ」
「……いいんですか?」
「百の冷やかしに、一つでも本物の声が混ざるなら、百ごと拾ってやる。嘘か本音かは、読めばだいたいわかる。わからなければ、調べればいい。……それが、生徒会の仕事だ」
「その分、集計する私の仕事が増える話ですよね、それ……」
「頼りにしている」
「うぐ……。……もちろん、やってやりますよ! そこまで言われたら!」
空気が緩んだところで、澪が思い出したように言った。
「そういえば、名前はどうするんですか? アプリのボタン、今は仮のままなんですよね」
「うむ。『目安箱』。名は体を表す」
「時代劇ですよ、それじゃ」
桐崎が、すかさず突っ込む。
「では桐崎書記、対案を」
「え。……『ご意見箱』、とか?」
「役所の窓口か」
「会長にだけは言われたくないんですけど!?」
「『おなやみポスト』は、どうでしょう」と澪。
「郵便屋さんか」と俺。
「じゃあ吉野は、何かあるわけ?」
「え、俺? ……別に、『なんでも箱』とかでいいだろ」
「安直ね」
「安直だな」
「安直、だね」
三方向から、綺麗に撃ち抜かれた。
――が。
「……いや、待て」
汐乃が、ふむ、と顎に手を当てた。
「わかりやすさは、正義だ。『生徒会なんでも箱』。……採用」
「「えぇ……」」
桐崎と澪の声が重なる中、稲葉が無言でタブレットを数回叩いた。
「――ボタン名、変更しておきました」
「仕事が早いな、おい」
俺の安直な案は、その場で正式名称になってしまった。
いいのか、それで。
* * *
そこからは、いつもの汐乃だった。
「では、運用を決める。……稲葉会計は、システムの管理と保守。作った本人だ、任せる」
「承知しました。ちなみに費用は、ゼロです。既存のアプリに機能を足しただけなので」
「聞いてないが、良い報告だ」
「桐崎書記は、届いた声の集計を。週に一度、一覧に整理して、全員に共有してくれ。……お前のまとめは、信用している」
「は、はい。もちろんです」
「そして――大河、桜井庶務」
「「……はい」」
「二人は、桐崎の集計を受けて、実行計画を。どの声を、どの順番で、どう解決するか。……現場は、お前たちに任せる」
「り、了解」
「はいっ、がんばります」
……澪と、二人で、係。
別に、やましいことなど何もないのに、一瞬、声が裏返りそうになった。
ちらりと横を見ると、澪も、心なしか背筋がぴんと伸びていた。
(……お、落ち着け、俺。ただの、係だ)
――幸い、誰にも気づかれていない。
……と、思いたい。
「それと、もうひとつ」
汐乃は、湯呑みを置いて言った。
「今年は――後継を探す一年でもある。全員、下級生に目星をつけておけ」
「もう、ですか」
桐崎が、目を丸くする。
「気が早くないですか……?」
「早くない」
汐乃は、事もなげに言い切った。
「バトンはな、渡す側が先に構えるものだ。走ってくる奴は、それを見て、初めて手を伸ばせる」
……この人は、たまに、こういうことをさらっと言う。
俺が夜のコンビニで教わってきたようなことを、この人は、最初から知っている気がする。
* * *
――議題が、ひと通り終わった。
窓の外は、もう夕暮れで。
誰からともなく、帰り支度の空気が流れ始めた、そのときだった。
「会長」
稲葉が、タブレットを閉じて、静かに言った。
「……そろそろ、話したほうが」
「…………」
汐乃は、答えなかった。
湯呑みの中の、冷めたお茶を見ている。
「――汐乃」
その、瞬間。
部屋の空気が、変わった。
稲葉は、人前では絶対に「会長」としか呼ばない男だ。
その稲葉が――みんなの前で、幼なじみの声を出した。
それが何を意味するのか、わからないほど、俺たちは鈍くなかった。
桐崎が、書類を揃える手を止める。
澪が、そっと顔を上げる。
全員が、息をのんで、次の言葉を待った。
「……わかった。話そう」
汐乃は、鞄から一枚の紙を取り出して。
机の真ん中に、静かに置いた。
* * *
それは、簡素な文書だった。
差出人の署名は、ない。
要点だけ言えば――こうだ。
『霞汐乃君は、しかるべき時期をもって生徒会長の任を退き、後任については、学園側の意向を汲まれたい』
そして、その“学園側の意向”として、一人の生徒の名前が添えられていた。
――関山、八重。
「……は?」
最初に声を出したのは、桐崎だった。
「なんですか、これ。……どういう冗談ですか」
「冗談なら、よかったんだがな」
汐乃は、静かに言った。
「先週、校長室に呼ばれた。校長から、直接だ。『正式な話ではない。ただ、そういう“ご意向”がある。心に留めておいてほしい』――だそうだ」
「校長先生が、そんなこと……」
澪が、絶句する。
「校長を責めるな。……いや、責めたいのは山々だがな。あの人は、逆らえんのだ」
「逆らえないって……誰に、ですか」
汐乃が答えるより先に。
稲葉が、閉じたばかりのタブレットを、再び開いた。
「――僕から、説明します」
画面を、指先で淡々と繰りながら。
稲葉は、まるで決算報告でも読み上げるみたいに、話し始めた。
「関山巌。この学園を運営する、学校法人の理事長です。学園の創設者一族の、三代目。……正門の脇に、創立記念の石碑があるのは、皆さんご存じですね。あの寄贈者の筆頭に刻まれているのが、関山家です」
こつ、こつ、と画面を繰る音だけが響く。
「現校舎の建て替え、第二体育館、図書室の蔵書、奨学金基金。……この学園の設備の、およそ半分は、関山家の私財で賄われています。ご本人は県の教育審議会の重鎮で、私学連盟の理事。この地方の教育界で、関山巌に正面から異を唱えられる大人は――まず、いません」
「じゃあ、校長先生も……」
「校長の任免権は理事会に――つまり、実質的に理事長にあります。雇い主に逆らえる従業員は、少ないですよ。……大人の世界では」
淡々とした声が、かえって、事の大きさを物語っていた。
「それに、この文書――署名がありません。正式な辞令でも、決定でもない。“お願い”の形をした、非公式な打診です。命令なら、規則を盾に戦えます。ですが、これは一番性質の悪い形だ。断れば角が立つだけで、こちらには何の証拠も残らない」
「なら、突っぱねればいいじゃないですか!」
桐崎が、身を乗り出す。
「会長が正面から抗議すれば――」
「――それが、できない事情も、あるんです」
稲葉は、そこで一度、言葉を切った。
そして、タブレットの画面を、くるりとこちらへ向けた。
表示されていたのは、どこかの企業の、株主構成のページだった。
「霞ホールディングス。……会長のお父上が代表を務める、霞グループの中核企業です。その大株主の一角に――関山家の資産管理会社が、名を連ねています」
「…………」
「霞の家もまた、関山巌の“世話になっている”側なんです。株主として、ね。……つまり、会長が感情のままに動けば、これは生徒同士の話では済まない。霞家と関山家という、家同士の――大人の問題になる」
だから。
だから、汐乃は。
俺は、恐る恐る、汐乃の顔を見た。
汐乃は、机の上の文書を、じっと見ていた。
いつもなら、三秒で結論を出す人が。
どんな議題でも、真っ先に「よかろう」と言い切る人が。
黙って、一点を、見つめていた。
……配られた羊羹だけが、手つかずのまま、皿の上に残っている。
「で――」
気づいたら、俺は口を開いていた。
「汐乃は、それで納得してるのかよ」
「……」
「クラス編成のときは『答えに辿り着けん』って唸ってただろ。今度は、答えどころか、椅子ごと持っていかれそうになってる。……それでも黙って、“心に留めておく”のかよ」
「大河くん……」
澪が、俺の袖を、そっと引いた。
言い過ぎだ、という顔をしていた。
……わかってる。
わかってるけど、聞かずにはいられなかった。
と――
がたん!
椅子を鳴らして立ち上がったのは、桐崎だった。
「そうですよ!」
声が、震えていた。
「この学校の生徒会長は、飾りじゃない! ただの置物でも、名誉職でもない! ……私だって、どれだけ憧れたか……!」
ぐっ、と拳を握って。
「一年のとき、全校集会の壇上で、まっすぐ前を向いて話す生徒会長を見て――私、あそこに立つ人の隣で仕事がしたくて、書記になったんです! それを……それを、たった一人の親バカの暴走で、取り上げられるなんて!」
「桐崎……」
「私、校長に直談判してきます!」
言うが早いか、桐崎は戸口へ向かって歩き出した。
「おい、落ち着けって!」
慌てて、腕を掴む。
「離してよ、吉野!」
「落ち着け。……お前が今乗り込んだら、汐乃の立場ごと悪くなるだろうが」
「〜〜〜っ!」
桐崎は、悔しそうに唇を噛んで。
それでも、足だけは、止めてくれた。
――と。
その騒ぎの中で。
「……ねえ」
ぽつり、と。
澪の静かな声が、落ちた。
「関山さんは――このこと、知ってるのかな」
全員の動きが、止まった。
「もし、何も知らないところで、こんなことが決められてるんだとしたら……」
澪は、膝の上で、きゅっと手を握った。
「……いちばん悲しいのは、関山さんだと思う」
「桜井……」
「“誰かに用意された椅子”に座らされる気持ちなら――私、少しだけ、わかるから」
……そうだ。
澪は、ずっと、そうやって生きてきた子だ。
だからこの部屋で――たぶんこの学校で。
八重の側に立ってものを言えるのは、澪だけだった。
* * *
しん、と静まり返った部屋で。
汐乃が、ゆっくりと顔を上げた。
「……大河の問いに、答えよう」
静かな声だった。
「納得など――していない」
一言、一言、噛みしめるように。
「この椅子はな、河津さんから……先代の会長から、“選ばれて”受け継いだものだ。成績でも、家柄でもない。あの人が、私を見て、私に託した。そういう椅子だ」
汐乃は、文書を手に取ると、几帳面に四つに畳んだ。
「血筋で受け渡す襲名制では、断じて、ない。……譲るときは、私が認めた後継に、私の意志で譲る。それだけは、誰が相手でも曲げん」
「汐乃……」
「だが――」
畳んだ紙を、鞄にしまって。
「感情で動けば、負ける相手だ。親父の会社も、校長の立場も、巻き添えになる。だから、考える。……急がずに、な」
そして、汐乃は俺たちを見渡した。
「この話は、当面、他言無用だ。……特に――関山八重には、絶対に、だ」
「……どうしてですか」
桐崎が、まだ納得のいかない顔で聞く。
「あの子は、何も知らん。知れば、傷つく。……祖父と、できかけた友達との間で、あの子が引き裂かれる」
汐乃は、ふ、と少しだけ表情を緩めた。
「せっかく、お前たちが昼飯を囲んでやってるんだろう。あの子の居場所を、大人の事情で壊すな」
……ああ。
この人は、こんなときでも。
自分の椅子より先に、あの子の居場所の心配をするのか。
――この人が生徒会長じゃなくて、誰が生徒会長だっていうんだ。
* * *
解散のあと、俺たちは、無言で廊下に出た。
夕暮れの窓の外で、散り際の桜が、音もなく揺れている。
……生徒の困りごとを拾う箱を、作り替えた、まさにその日に。
生徒会そのものに、いちばん大きな困りごとが、投げ込まれた。




