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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第13章 前途多難な新学期編

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第130話 生徒会、最後のシーズン

 ――週が明けた、月曜の放課後。


 俺と澪は、連れ立って生徒会室へ向かっていた。


「新学期最初の定例会、だね」


「ああ。……なんか、久しぶりだな。この感じ」


 二年のときから、もう何度も通った廊下。


 それでも、三年になって初めて向かう生徒会室は、少しだけ空気が違って見えた。


 がら、と戸を開けると。


「――来たか」


 長机の向こうで、汐乃が腕を組んで待っていた。


 その隣には、タブレットを立ち上げている稲葉。


 書類の束を揃えている桐崎。


 役者は、揃っていた。


 * * *


「では――新年度、最初の定例会を始める」


 汐乃の凛とした声が、生徒会室に響く。


「知っての通り、我々は全員、三年だ。この生徒会での一年は、最初から“最後の一年”として始まる。――だから、宣言しておく」


 汐乃は、机に両手をついて、俺たちを見渡した。


「最後の一年だ。全部、やり切るぞ」


 返事は、四つ、同時に重なった。


「よし。……まずは、これだ」


 言って、汐乃がどん、と机に置いたのは。


 ――老舗の、羊羹だった。


「会議には糖分だ。回せ」


「相変わらずですね、会長……」


 桐崎が苦笑しながら、人数分に切り分けていく。


 こういうところは、去年から何も変わらない。


 * * *


「本題だ。今年度の生徒会は――“待たない”」


「待たない、とは?」


 桐崎が顔を上げる。


「去年までの生徒会は、持ち込まれた仕事を捌く場所だった。行事の運営、予算、備品の管理。……だが、それだけでは拾えない声がある」


 汐乃は、一枚の企画書を机の中央に滑らせた。


『生徒会目安箱 刷新案』


「目安箱って……あれですか。職員室の前の、あの古いやつ」


 桐崎が、企画書を覗き込む。


「そうだ。箱自体は、昔からある。……だが、まるで機能していない。――稲葉、去年の実績を」


「はい」


 稲葉が、タブレットに視線を落とした。


「昨年度、目安箱への投書は――年間で、三通です。一通は『購買のパンの種類を増やしてほしい』。……残る二通は、判読不能の落書きでした」


「さ、三通……」


「これを作り替えて、今年は生徒会が、生徒の困りごとを全部拾う。……ああ、恋愛相談は除く」


「除くんですね」


「当たり前だ。うちは寺子屋ではない」


「でも会長、作り替えるって言っても……箱を新しくしたところで、書く人は増えませんよ?」


 桐崎が、言いにくそうに続ける。


「あんな職員室の真ん前で、紙に書いて入れるんですよ。入れるところを先生にも友達にも見られるのに、本音なんて書けませんって。……私だって、嫌ですもん」


「だろうな。――だから、紙は、やめる」


 汐乃は、ちらりと隣を見た。


「稲葉」


「はい」


 稲葉は、事もなげにタブレットをくるりと回して、こちらへ向けた。


 画面に映っていたのは、見慣れた学校の公式アプリ。


 その中に――見慣れない、真新しいメニューがひとつ。


『生徒会に相談する(匿名)』


「もう、作ってあります」


「「「……えっ」」」


「生徒用アプリの中に、投稿フォームを追加しました。名前は送信されません。届いた内容は、生徒会の共用アカウントにだけ表示されます」


 しれっと言っているが、とんでもない仕事の早さである。


「相変わらず、話が早いな」


 汐乃が、満足そうにうなずいた。


「そういうわけだ。紙の箱は、引退させる。――これからは、全校生徒のスマホが、投書箱になる」


「……なるほどな」


 気づいたら、俺は口を開いていた。


「職員室前のド真ん中じゃ、人は本音を書けない。……でもこれなら、夜中に、自分の部屋からでも送れるだろ。誰にも見られずにさ」


「……」


「人が素直になれるのはさ、明るい昼間のド真ん中じゃなくて――ちょっと暗くて、静かで、ひとりになれる場所なんだ」


 ……夜のコンビニの、あのベンチみたいな。


「これは言ってみれば、そういう“場所”を、全校生徒のポケットに配って回るようなもんだ。……去年の三通が、何倍になるか楽しみだな」


 言ってから、少し語りすぎたかと思ったけれど。


 汐乃は、なにか眩しいものでも見るように、目を細めていた。


「――だ、そうだ。稲葉」


「ええ。設計思想として、満点です」


 と――それまで静かに聞いていた澪が、小さく手を挙げた。


「あの。……ひとつだけ、心配なことを言っても、いいですか」


「桜井庶務。言ってみろ」


「スマホから簡単に送れるようになったら、その分……冷やかしとか、嘘の相談も、届くようになると思うんです」


 ……確かに。


 紙と違って、指一本で送れてしまうのだ。


 面白半分の悪戯も、誰かを陥れるための嘘も、きっと混ざってくる。


「いい指摘です」


 稲葉が、眼鏡を押し上げた。


「補足すると、送信には生徒アカウントでのログインが必要です。学外からは送れません。表示は匿名ですが、送信の記録そのものは残る設計です。……度を越した誹謗中傷や、犯罪に関わるものに限っては、追跡の余地を残してあります。もちろん、通常の相談の匿名は守ります」


「それでも、嘘は混ざるだろうな」


 汐乃は、あっさりと言った。


「構わん。――織り込み済みだ」


「……いいんですか?」


「百の冷やかしに、一つでも本物の声が混ざるなら、百ごと拾ってやる。嘘か本音かは、読めばだいたいわかる。わからなければ、調べればいい。……それが、生徒会の仕事だ」


「その分、集計する私の仕事が増える話ですよね、それ……」


「頼りにしている」


「うぐ……。……もちろん、やってやりますよ! そこまで言われたら!」


 空気が緩んだところで、澪が思い出したように言った。


「そういえば、名前はどうするんですか? アプリのボタン、今は仮のままなんですよね」


「うむ。『目安箱』。名は体を表す」


「時代劇ですよ、それじゃ」


 桐崎が、すかさず突っ込む。


「では桐崎書記、対案を」


「え。……『ご意見箱』、とか?」


「役所の窓口か」


「会長にだけは言われたくないんですけど!?」


「『おなやみポスト』は、どうでしょう」と澪。


「郵便屋さんか」と俺。


「じゃあ吉野は、何かあるわけ?」


「え、俺? ……別に、『なんでも箱』とかでいいだろ」


「安直ね」


「安直だな」


「安直、だね」


 三方向から、綺麗に撃ち抜かれた。


 ――が。


「……いや、待て」


 汐乃が、ふむ、と顎に手を当てた。


「わかりやすさは、正義だ。『生徒会なんでも箱』。……採用」


「「えぇ……」」


 桐崎と澪の声が重なる中、稲葉が無言でタブレットを数回叩いた。


「――ボタン名、変更しておきました」


「仕事が早いな、おい」


 俺の安直な案は、その場で正式名称になってしまった。


 いいのか、それで。


 * * *


 そこからは、いつもの汐乃だった。


「では、運用を決める。……稲葉会計は、システムの管理と保守。作った本人だ、任せる」


「承知しました。ちなみに費用は、ゼロです。既存のアプリに機能を足しただけなので」


「聞いてないが、良い報告だ」


「桐崎書記は、届いた声の集計を。週に一度、一覧に整理して、全員に共有してくれ。……お前のまとめは、信用している」


「は、はい。もちろんです」


「そして――大河、桜井庶務」


「「……はい」」


「二人は、桐崎の集計を受けて、実行計画を。どの声を、どの順番で、どう解決するか。……現場は、お前たちに任せる」


「り、了解」


「はいっ、がんばります」


 ……澪と、二人で、係。


 別に、やましいことなど何もないのに、一瞬、声が裏返りそうになった。


 ちらりと横を見ると、澪も、心なしか背筋がぴんと伸びていた。


(……お、落ち着け、俺。ただの、係だ)


 ――幸い、誰にも気づかれていない。


 ……と、思いたい。


「それと、もうひとつ」


 汐乃は、湯呑みを置いて言った。


「今年は――後継を探す一年でもある。全員、下級生に目星をつけておけ」


「もう、ですか」


 桐崎が、目を丸くする。


「気が早くないですか……?」


「早くない」


 汐乃は、事もなげに言い切った。


「バトンはな、渡す側が先に構えるものだ。走ってくる奴は、それを見て、初めて手を伸ばせる」


 ……この人は、たまに、こういうことをさらっと言う。


 俺が夜のコンビニで教わってきたようなことを、この人は、最初から知っている気がする。


 * * *


 ――議題が、ひと通り終わった。


 窓の外は、もう夕暮れで。


 誰からともなく、帰り支度の空気が流れ始めた、そのときだった。


「会長」


 稲葉が、タブレットを閉じて、静かに言った。


「……そろそろ、話したほうが」


「…………」


 汐乃は、答えなかった。


 湯呑みの中の、冷めたお茶を見ている。


「――汐乃」


 その、瞬間。


 部屋の空気が、変わった。


 稲葉は、人前では絶対に「会長」としか呼ばない男だ。


 その稲葉が――みんなの前で、幼なじみの声を出した。


 それが何を意味するのか、わからないほど、俺たちは鈍くなかった。


 桐崎が、書類を揃える手を止める。


 澪が、そっと顔を上げる。


 全員が、息をのんで、次の言葉を待った。


「……わかった。話そう」


 汐乃は、鞄から一枚の紙を取り出して。


 机の真ん中に、静かに置いた。


 * * *


 それは、簡素な文書だった。


 差出人の署名は、ない。


 要点だけ言えば――こうだ。


『霞汐乃君は、しかるべき時期をもって生徒会長の任を退き、後任については、学園側の意向を汲まれたい』


 そして、その“学園側の意向”として、一人の生徒の名前が添えられていた。


 ――関山、八重。


「……は?」


 最初に声を出したのは、桐崎だった。


「なんですか、これ。……どういう冗談ですか」


「冗談なら、よかったんだがな」


 汐乃は、静かに言った。


「先週、校長室に呼ばれた。校長から、直接だ。『正式な話ではない。ただ、そういう“ご意向”がある。心に留めておいてほしい』――だそうだ」


「校長先生が、そんなこと……」


 澪が、絶句する。


「校長を責めるな。……いや、責めたいのは山々だがな。あの人は、逆らえんのだ」


「逆らえないって……誰に、ですか」


 汐乃が答えるより先に。


 稲葉が、閉じたばかりのタブレットを、再び開いた。


「――僕から、説明します」


 画面を、指先で淡々と繰りながら。


 稲葉は、まるで決算報告でも読み上げるみたいに、話し始めた。


関山巌せきやま・いわお。この学園を運営する、学校法人の理事長です。学園の創設者一族の、三代目。……正門の脇に、創立記念の石碑があるのは、皆さんご存じですね。あの寄贈者の筆頭に刻まれているのが、関山家です」


 こつ、こつ、と画面を繰る音だけが響く。


「現校舎の建て替え、第二体育館、図書室の蔵書、奨学金基金。……この学園の設備の、およそ半分は、関山家の私財で賄われています。ご本人は県の教育審議会の重鎮で、私学連盟の理事。この地方の教育界で、関山巌に正面から異を唱えられる大人は――まず、いません」


「じゃあ、校長先生も……」


「校長の任免権は理事会に――つまり、実質的に理事長にあります。雇い主に逆らえる従業員は、少ないですよ。……大人の世界では」


 淡々とした声が、かえって、事の大きさを物語っていた。


「それに、この文書――署名がありません。正式な辞令でも、決定でもない。“お願い”の形をした、非公式な打診です。命令なら、規則を盾に戦えます。ですが、これは一番性質の悪い形だ。断れば角が立つだけで、こちらには何の証拠も残らない」


「なら、突っぱねればいいじゃないですか!」


 桐崎が、身を乗り出す。


「会長が正面から抗議すれば――」


「――それが、できない事情も、あるんです」


 稲葉は、そこで一度、言葉を切った。


 そして、タブレットの画面を、くるりとこちらへ向けた。


 表示されていたのは、どこかの企業の、株主構成のページだった。


「霞ホールディングス。……会長のお父上が代表を務める、霞グループの中核企業です。その大株主の一角に――関山家の資産管理会社が、名を連ねています」


「…………」


「霞の家もまた、関山巌の“世話になっている”側なんです。株主として、ね。……つまり、会長が感情のままに動けば、これは生徒同士の話では済まない。霞家と関山家という、家同士の――大人の問題になる」


 だから。


 だから、汐乃は。


 俺は、恐る恐る、汐乃の顔を見た。


 汐乃は、机の上の文書を、じっと見ていた。


 いつもなら、三秒で結論を出す人が。


 どんな議題でも、真っ先に「よかろう」と言い切る人が。


 黙って、一点を、見つめていた。


 ……配られた羊羹だけが、手つかずのまま、皿の上に残っている。


「で――」


 気づいたら、俺は口を開いていた。


「汐乃は、それで納得してるのかよ」


「……」


「クラス編成のときは『答えに辿り着けん』って唸ってただろ。今度は、答えどころか、椅子ごと持っていかれそうになってる。……それでも黙って、“心に留めておく”のかよ」


「大河くん……」


 澪が、俺の袖を、そっと引いた。


 言い過ぎだ、という顔をしていた。


 ……わかってる。


 わかってるけど、聞かずにはいられなかった。


 と――


 がたん!


 椅子を鳴らして立ち上がったのは、桐崎だった。


「そうですよ!」


 声が、震えていた。


「この学校の生徒会長は、飾りじゃない! ただの置物でも、名誉職でもない! ……私だって、どれだけ憧れたか……!」


 ぐっ、と拳を握って。


「一年のとき、全校集会の壇上で、まっすぐ前を向いて話す生徒会長を見て――私、あそこに立つ人の隣で仕事がしたくて、書記になったんです! それを……それを、たった一人の親バカの暴走で、取り上げられるなんて!」


「桐崎……」


「私、校長に直談判してきます!」


 言うが早いか、桐崎は戸口へ向かって歩き出した。


「おい、落ち着けって!」


 慌てて、腕を掴む。


「離してよ、吉野!」


「落ち着け。……お前が今乗り込んだら、汐乃の立場ごと悪くなるだろうが」


「〜〜〜っ!」


 桐崎は、悔しそうに唇を噛んで。


 それでも、足だけは、止めてくれた。


 ――と。


 その騒ぎの中で。


「……ねえ」


 ぽつり、と。


 澪の静かな声が、落ちた。


「関山さんは――このこと、知ってるのかな」


 全員の動きが、止まった。


「もし、何も知らないところで、こんなことが決められてるんだとしたら……」


 澪は、膝の上で、きゅっと手を握った。


「……いちばん悲しいのは、関山さんだと思う」


「桜井……」


「“誰かに用意された椅子”に座らされる気持ちなら――私、少しだけ、わかるから」


 ……そうだ。


 澪は、ずっと、そうやって生きてきた子だ。


 だからこの部屋で――たぶんこの学校で。


 八重の側に立ってものを言えるのは、澪だけだった。


 * * *


 しん、と静まり返った部屋で。


 汐乃が、ゆっくりと顔を上げた。


「……大河の問いに、答えよう」


 静かな声だった。


「納得など――していない」


 一言、一言、噛みしめるように。


「この椅子はな、河津さんから……先代の会長から、“選ばれて”受け継いだものだ。成績でも、家柄でもない。あの人が、私を見て、私に託した。そういう椅子だ」


 汐乃は、文書を手に取ると、几帳面に四つに畳んだ。


「血筋で受け渡す襲名制では、断じて、ない。……譲るときは、私が認めた後継に、私の意志で譲る。それだけは、誰が相手でも曲げん」


「汐乃……」


「だが――」


 畳んだ紙を、鞄にしまって。


「感情で動けば、負ける相手だ。親父の会社も、校長の立場も、巻き添えになる。だから、考える。……急がずに、な」


 そして、汐乃は俺たちを見渡した。


「この話は、当面、他言無用だ。……特に――関山八重には、絶対に、だ」


「……どうしてですか」


 桐崎が、まだ納得のいかない顔で聞く。


「あの子は、何も知らん。知れば、傷つく。……祖父と、できかけた友達との間で、あの子が引き裂かれる」


 汐乃は、ふ、と少しだけ表情を緩めた。


「せっかく、お前たちが昼飯を囲んでやってるんだろう。あの子の居場所を、大人の事情で壊すな」


 ……ああ。


 この人は、こんなときでも。


 自分の椅子より先に、あの子の居場所の心配をするのか。


 ――この人が生徒会長じゃなくて、誰が生徒会長だっていうんだ。


 * * *


 解散のあと、俺たちは、無言で廊下に出た。


 夕暮れの窓の外で、散り際の桜が、音もなく揺れている。


 ……生徒の困りごとを拾う箱を、作り替えた、まさにその日に。


 生徒会そのものに、いちばん大きな困りごとが、投げ込まれた。


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