第129話 宣戦布告 ver.2
俺のいちばん心臓に悪い春は、どうやら、まだ、始まったばかりらしかった。
――夜のコンビニの前。
青いベンチの澪と、俺の背後から顔を出した陽菜。
二人の視線が交差したまま、時間が止まっていた。
「……」
「……」
遠くを走る車の音だけが、やけに大きく聞こえる。
(な、なにか言え、俺……!)
焦るほどに、言葉が出てこない。
と――先に動いたのは、陽菜の視線だった。
すっ、と。
澪の手元に、落ちる。
缶コーヒーが、二本。
一本は、澪の分だとして。
……もう一本は、誰の分だ?
夜のコンビニの前で、それを抱えて、彼女は誰を待っていた?
――答えなんて、ひとつしか、ない。
「……あの」
陽菜が、口を開いた。
いつもの元気な声より、ずっと低い。
「もしかして、お二人……付き合ってる、んですか?」
直球。
ど真ん中の、ストレートだった。
「え、あ、いや、それは、その――」
しどろもどろの俺。
情けないにも、ほどがある。
――と。
隣で、きし、とベンチの軋む音がした。
澪が、立ち上がっていた。
そして、まっすぐに陽菜を見て、はっきりと言った。
「……うん。付き合ってるの。私と、大河くん」
言った。
言い切った。
店の明かりの下で、澪は、逃げも隠れもしなかった。
(……すごいな、澪は)
「…………」
陽菜は、うつむいていた。
肩が、小さく震えている。
(……泣かせた、か)
俺が一歩、踏み出しかけた――その瞬間。
ばっ! と陽菜が顔を上げた。
「そっかー! やっぱり! そうだったんだ!」
……笑っていた。
目尻に、ちょっとだけ光るものを溜めて。
それでも、あの太陽みたいな顔で、笑っていた。
「や、やっぱりって……気づいてたのか」
「だって先輩、私をフるとき、手紙にこう書いてたじゃないですか」
陽菜は、すらすらと言ってみせる。
「『今の俺は、誰かと付き合うということに、まだ向き合える状態じゃありません』――って。あれを読んだとき、思ったんです。ああ、この人には、ちゃんと向き合いたい人が、もういるんだなーって」
「……」
まいった。
全部、見抜かれていたらしい。
「悔しい、ですけど。……相手が桜井先輩なら、納得です」
そして陽菜は、すぅ、と息を吸って。
まっすぐ、澪に向き直った。
「桜井先輩!」
「は、はいっ」
「私、吉野先輩のことが、好きです! 一回フラれてますけど、諦めないって決めてます!」
「……!」
「でも、ズルはしません! こそこそもしません! 正々堂々です! お二人のことも、学校では絶対、誰にも言いません!」
びしっ、と背筋を伸ばして。
試合前の選手宣誓みたいに、陽菜は言い切った。
「だから――桜井先輩のことは、ライバルだと思っていいですか!」
……宣戦布告。
それは間違いなく、宣戦布告のはずだった。
なのに、どうしてだろう。
聞いているこっちの胸が、じんわりと、あったかくなるのは。
澪は、ぱちぱちと目を瞬かせて。
それから、ふ、と息を吐くように笑った。
「……うん。受けて立ちます」
そして、手の中の缶コーヒーを一本、陽菜にすっと差し出した。
(……あ。俺のコーヒー)
こんな空気で言えるはずもないが、それはたぶん、俺の分だった。
「はい。陽菜ちゃんの分」
「え……いいんですか?」
「うん。……“よろしくね”の、代わり」
陽菜が、両手でそれを受け取る。
プシュ。
春の夜に、小さくプルタブの音が鳴った。
こく、と一口。
「――にっっが!?」
「ふふっ。ブラックだもん」
「なんですかこれ! 大人の飲み物じゃないですか!」
「そう。大人の飲み物なの」
澪が、いたずらっぽく笑う。
陽菜は缶をじっと睨んで、恐る恐る、もう一口。
「……苦い。……けど」
ぽつり、と言った。
「あったかい、ですね」
「……うん。そうだね」
『苦くていいんだよ。あったかけりゃさ』
いつだったか、この店の前で、俺が深山にかけた言葉を思い出す。
まさか妹のほうにも、同じ夜が来るとはな。
……この兄妹とは、つくづく、縁があるらしい。
* * *
――ちなみに、俺の分の缶コーヒーは、あのあと自分で、もう一本買いに戻った。
~♪
上がったばかりのバイト先に客として入るのは、なんとも、妙な気分だった。
そして、戻ってみれば。
ベンチの周りは、なぜか、女子会になっていた。
「参考までに聞きたいんですけど! 桜井先輩は、先輩のどこを好きになったんですか!」
「え!? そ、それは……な、ないしょ、かな」
「えー! ずるいです! ライバルなのに!」
「ライバルだから、だもん」
「くぅ〜……!」
……おい。
なんだ、この空気は。
(俺の彼女と、俺の恋敵が……仲良くなっていく……)
喜ぶべきなのか、震えるべきなのか。
置いてけぼりの俺は、ベンチの端で、自分の缶をちびちびと飲むしかなかった。
* * *
夜が更ける前に、陽菜が「明日も学校ですし、兄が心配するので!」と、ぴょこんと頭を下げた。
「じゃあ、お先に失礼します! ……あ、そうだ」
帰りかけて、くるっと振り返る。
「兄にも――湊ちゃんにも、お二人のことは言わないので、安心してくださいね! あの人、知ったらぜーったい、めんどくさいので!」
「「……たしかに」」
俺と澪の声が、綺麗に重なった。
「それじゃ! 明日からも、よろしくお願いします! 先輩――たち、っ!」
そう言って、陽菜は春の夜道を、元気よく駆けていった。
……先輩、たち。
最後の「たち」に、あいつなりの答えが、全部詰まっている気がした。
* * *
静かになったベンチで、澪がぽつりと言った。
「……いい子、だね」
「……ああ。いい子なんだよ、あいつ」
「うん。知ってた。……だから、ちょっとだけ、怖いな」
そう笑う澪の横顔は、余裕なんだか、動揺なんだか。
たぶん、両方だった。
だから、俺は、静かに言った。
「……心配しなくてもいいぞ、澪」
「……」
澪が、ゆっくりと、こちらを見る。
そして。
「――うん」
ふわりと笑った、その顔が答えだった。
春の夜風が、二人の間を、やわらかく通り抜けていく。
手の中の缶コーヒーは、まだ少しだけ、あたたかかった。




