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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第13章 前途多難な新学期編

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第128話 よろしくお願いします、先輩!

 体力テストで、体はへとへとだった。


 握力も、反復横跳びも、持久走も。


 三年A組の化け物どもに囲まれて、平均ど真ん中を叩き出した一日は――まぁ、それはそれで、なかなかに楽しかった。


 が、楽しいのと、疲れないのは、話が別だ。


 体のあちこちが、じんわりと重い。


 おまけに、放課後は放課後で、生徒会の仕事が待っていた。


 新学期の生徒会は、行事の準備だのなんだので、とにかく慌ただしい。


 あれこれ片づけて、生徒会室を出た頃には、外はもう、夕方だった。


 ……だが、俺の一日は、まだ終わらない。


 今日は、そのうえ、バイトの日ときた。


 疲れた体を引きずるように、コンビニの裏口へ回る。


 いつも通りの手つきで、ドアノブを回す。


 いつも通りの気分で、バックヤードのドアを開けた。


 ――その、瞬間だった。


「おはようございます! 先輩っ!」


 やたらと元気のいい声が、真正面から飛んできた。


 ぴょこん、と跳ねるような、お辞儀。


 肩で切りそろえた、明るい髪。


 少し垂れた、大きな瞳。


 その、太陽みたいな笑顔を――俺は、知っていた。


 いやというほど、知っていた。


「……深山、陽菜」


「はいっ! 深山陽菜、今日からお世話になります! ――よろしくお願いします、先輩っ!」


 衝撃。


 というより、もう、混乱だった。


(……なんで、この子が、ここに)


 いや。


 ……そういえば、昨日。


 店長が、言っていたじゃないか。


 もう一人の新人は、今日から入る、と。


 そして、その少し前にも――


『――君の、よーく知ってる顔なんだなぁ』


 と、思わせぶりに、笑っていた。


 疲れていて、すっかり頭から抜けていたけど。


(……あの“知ってる顔”、こいつのことだったのか)


 ――と、そこで、もうひとつ。


 今日の昼間の記憶が、蘇った。


 体力テストのグラウンドで、深山が言いかけて、飲み込んだ言葉。


『実は……僕の、妹の――』


(……あれも、これのことか……!)


 道理で、あいつ、あんな辛気くさい顔をしていたわけだ。


 * * *


 そもそも、うちの高校は、そう簡単にバイトができる学校じゃない。


 家庭の事情でもなければ、まず許可は下りない。


 ……いや。


 “去年までは”、の話だ。


 去年、生徒会で通した、校則改革。


 部活動の代わりに、アルバイトや習い事を“自由意志”として認める――。


 その提案の、旗振り役をやったのは。


 ほかでもない、この俺だった。


 そして、今年の四月から、その制度は正式に施行されている。


(……そうか。じゃあ陽菜は、あの制度の一期生ってわけか)


 妙な感慨に浸ったのも、束の間。


 ふいに、忘れかけていた記憶が、頭をもたげた。


 今年の、バレンタイン。


 この陽菜から、俺は、チョコレートと手紙を、受け取っている。


 やたらと高そうな、立派なチョコと。


 まっすぐで、一生懸命な――告白の、手紙を。


 ……そうだった。


 俺はあのとき、柄にもなく本気で悩んで。


 ホワイトデーに、返事の手紙まで、書いたんだった。


(……うわ。思い出したら、なんか、急に恥ずかしくなってきたぞ)


 告白された記憶なんてものは、当時よりも、こうして本人を目の前にした今のほうが、よっぽど照れくさい。


 俺は、火照りそうになる頬を持て余して、つい、あらぬ方向を見つめてしまった。


「先輩ー? なんだか、遠い目してますけど」


「……いや。なんでもない」


 きょとんと首をかしげる陽菜に、俺は、力なく首を振った。


 ――と、そのとき。


「深山さーん。ちょっといいかい? 労働契約書に、印鑑をもらいたいんだけど……持ってきてくれたかな?」


 奥から、店長がひょいと顔を出した。


「あ、はーい! 今、行きますっ」


 元気よく返事をした陽菜が、店長のもとへ駆けていく――その、直前。


 ふっと、俺のほうへ身を寄せてきた。


 そして、耳元で。


 ほかの誰にも聞こえないくらい、小さな声で、囁く。


「――先輩。私、諦めてませんから」


「……っ」


 ぱちん、と。


 いたずらっぽいウインクを、ひとつ。


 それだけ残して、陽菜は軽い足取りで、店長のほうへ駆けていった。


 あとに残された俺は、囁かれた耳を、そっと手で押さえる。


「……勘弁してくれよ、ほんと」


 思わずこぼれた声は、幸い、誰の耳にも届かなかった。


 * * *


 初日の陽菜は、熊野とは、何もかもが正反対だった。


 物怖じ、しない。


 声が、でかい。


 そして、やたらと、距離が近い。


「先輩先輩っ! この段ボールの飲み物、どこに並べるんですか?」


「あー、それはあっちの棚な。……で、新しいやつは奥。手前のは賞味期限が近い順だ」


「へえー! 先輩、教えるの、上手ですねっ」


「……そ、そうか」


「はいっ! さすが、先輩ですっ」


 ぐいぐいと、来る。


 昨日の熊野が“見ていて心配になる”タイプだったぶん、その真逆の圧に、正直、少したじろいでいた。


(……調子が、狂う)


 と、そのとき。


 裏口のほうで、ドアの開く音がした。


「お、おはようございます……!」


 おずおずと顔を出したのは、熊野だった。


 昨日から入ったばかりの、もう一人の新人。


 小柄な体に、癖っ毛。そして相変わらずの、直角みたいなお辞儀。


「おう、熊野。おはよう」


「吉野先輩、おはようございます。……あ、あれ?」


 熊野が、陽菜に気づいて、目をぱちくりさせた。


「あの、そちらの方は……?」


 と――そこへ、のんびりとした声が割り込んだ。


「吉野くーん」


 奥から、店長が、ひょいと顔を出す。


「今、ちょうどお客さんも途切れてるだろう? レジをトレーニングモードにして、二人まとめて、教えてあげてくれるかい?」


「あ、はい。了解です」


 ――なるほど。


 どうやら俺は、これから。


 この正反対な二人を、いっぺんに教える羽目になるらしい。


 教える側になって、まだ二日目。


(……ちゃんと、できるのか。俺)


 知らず、少しだけ、肩に力が入った。


 ――と。


 その店長の言葉に、陽菜が、ほんの一瞬だけ。


 むっ、と、唇を尖らせた気がした。


 まるで、「先輩と二人きりじゃ、なくなっちゃった」とでも言いたげに。


 ……まぁ、気のせい、かもしれないが。


 だが、それも、一瞬のこと。


「まっ、いっか! 新人同士、仲良くやりますっ」


 陽菜は、すぐにいつもの調子で、けろっと笑ってみせた。


 * * *


「じゃあ、まずは……二人とも、自己紹介からだな」


 俺が促すと、陽菜が、ぴょこんと手を挙げる。


「はいっ! 二年の、深山陽菜ですっ。よろしくお願いしますっ」


「に、二年の……先輩、なんですね」


 熊野が、慌てて背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。


「一年の、熊野潤です。ふ、不束者ですが……よろしくお願いします、深山さん」


「ふふっ。熊野くん、めちゃくちゃ礼儀正しいねー」


「そ、そうでしょうか……」


「うん。でも、そんなにかしこまらなくて平気だよ? 同じ新人同士なんだしっ」


「は、はい。……善処します、深山さん」


「善処て」


 思わず、俺は吹き出しそうになった。


 物怖じしない陽菜と、縮こまる熊野。


 ……なんというか。


 やたらと人懐っこい犬と、警戒心の強い子猫を、同時に預かった気分だ。


「で、これがレジだ。今は練習用のモードにしてあるから、何回打ち間違えても平気だぞ」


「「はいっ」」


 ……返事の声量が、見事に、倍くらい違う。


 基本の操作を、ひとつずつ教えていく。


 熊野は、教えるそばから、律儀にメモを取り。


 陽菜は、メモも取らず、どんどん手を動かして覚えていく。


 教え方の“正解”が、二人でまるっきり違うのだ。


(……これは、思ったより、骨が折れそうだな)


 それでも。


 操作に詰まった熊野へ、陽菜が「あ、そこ、こうだよっ」と横から助け船を出して。


 熊野が「ありがとうございます、深山さん」と、ぺこりと頭を下げる。


 その光景は……なんというか、悪くなかった。


 * * *


 ――その夜。


 シフトを上がって、着替えを済ませる。


 ~♪


 自動ドアを抜けて、表へ出ると。


 春の夜風が、まだほんの少しだけ、冷たかった。


 そして、店の正面。


 青いベンチには。


 缶コーヒーを二本、抱えた澪が、いつものように、俺を待っていた。


「あ。おつかれさま、大河く――」


 その、澪の言葉が。


 途中で、ぴたりと、止まった。


 視線の先。


 俺の背後から、ひょこっと顔を出した、新人の後輩。


「……あれ? 桜井、先輩?」


 陽菜の声が、ワントーン、低くなる。


 澪の、缶コーヒーを持つ手が、ぴくり、と固まった。


 春の月に照らされた、コンビニの前で。


 二人の視線が、まっすぐに、交差する。


(…………うわぁ)


 嫌な予感というのは、大抵、当たるものだ。


 俺のいちばん心臓に悪い春は、どうやら、まだ、始まったばかりらしかった。


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