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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第13章 前途多難な新学期編

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第127話 三年A組は今日も濃い

 ――そして、また翌日。


 新学期恒例の、新体力テストの日がやってきた。


 ジャージに着替え、グラウンドと体育館に散らばる生徒たち。


 種目は、五十メートル走、ハンドボール投げ、握力、反復横跳び、そして持久走。


 ……普通の学校なら、なんてことのない一日だ。


 だが、うちのクラスは。


「ふっ……大河くん。この勝負、僕は本気だよ」


「体力テストに勝ち負けはないだろ、深山」


「あるさ! すべての記録は、自分を超えるための戦いだ!」


 開始五分で、もう暑苦しい。


 深山湊介は、準備運動の時点から異様に気合が入っていた。


 ……こいつ、本当にブレないな。


 と――アキレス腱を伸ばしていた深山が、ふいに動きを止めた。


「……そういえば、大河くん。ひとつ、言っておきたいことが、あるんだけど」


「ん? なんだよ」


 さっきまでの芝居がかった調子が、すっと消えている。


 やけに、真剣な顔だ。


「実は……僕の、妹の――」


「妹?」


「…………」


 深山は、そこで言葉を切った。


 なにかを言いかけて、ぐっと飲み込むように、口を結ぶ。


 そして、しばらく黙り込んだあと。


「……いや。やっぱり、なんでもない。忘れてくれ」


「……? なんだよ、気持ち悪いな」


「ふっ……気にするな! さあ、勝負の続きだ、大河くん!」


 言うが早いか、深山は再び暑苦しいテンションに戻って、駆けていった。


(……なんだったんだ、あいつ)


 まぁ、深山にも、言いにくいことくらいあるんだろう。


 俺は深く考えず、その背中を見送った。


 * * *


 まず度肝を抜かれたのは、ハンドボール投げだった。


「はいはい、どいたどいたー!」


 助走をつけた大島さんが、赤いヘアピンを揺らして、ぶん、と腕を振り抜く。


 ひゅん、と空気を裂く音。


 ボールは、青空に高々と弧を描き――ラインのはるか彼方に落ちた。


「うわ、大島さんすげぇ……」


「えっへん。ソフトボールで鍛えた肩、なめないでよねー!」


 記録、まさかの学年新記録らしい。


 ……このクラス、やっぱりおかしい。


 * * *


 持久走が始まると、今度は深山が本領を発揮した。


 トップを独走する深山を、俺は後方から眺める。


(あいつ、体力オバケかよ……)


 と、その隣に、涼しい顔で並走する人影がひとつ。


 汐乃だった。


 乱れのない、美しいフォーム。


 弓道で鍛えた体幹は、伊達じゃないらしい。


「霞、さん……なぜ、そんなに、余裕なんだ……っ」


「無論、日々の鍛錬の賜物だ。息が上がるようでは、まだまだだな」


「く……っ!」


 完璧超人は、走っても完璧だった。


 * * *


 一方、握力測定のコーナー。


「ふっ……こんなもんか」


 橘が、握力計をぐっと握り込む。


 表示された数字は――平均を、軽々と上回っていた。


「さすが、サッカー部の部長さまだな」


「おうよ。足だけじゃなくて、体はひと通り仕上げてあるんでね」


 こいつ、口は軽いが、運動能力だけは正真正銘の本物なのだ。


 弱小だったサッカー部を、去年、県大会まで引っ張り上げた実力派の部長。


 ……まぁ、勉強のほうは、壊滅的なわけだが。


「で? 大河、お前はどうなんだよ」


 言われて、俺も測ってみる。


 ――可もなく不可もなく、平均ど真ん中。


「うわ、平凡だな、お前」


「うるさい。この中じゃ平凡が一番の常識人なんだよ」


 運動神経の化け物と、秀才しかいないこのクラスにおいて、平均値の俺は、もはや癒しの存在である。


 * * *


 そして、反復横跳びの列。


 ぴ、ぴ、ぴ、と電子音が鳴る中。


 俺の少し前で、桐崎が肩で息をしていた。


 ステップは、どこかぎこちない。


 電子音のテンポに、体がまるでついていけていなかった。


(……ああ、そういや)


 ふと、一年の頃の記憶が、おぼろげに蘇る。


 桐崎とは、一年のとき同じクラスだった。


 勉強も吹奏楽も真剣そのものなこいつが、体育の時間だけは、いつも微妙な顔をしていた気がする。


(こいつ、運動は苦手だったんだっけ……そういや)


 俺の視線に気づいたのか、桐崎がじろりと振り返った。


「……なに?」


「あ、いや……」


「運動が苦手で悪かったわね」


「別に、そんなことは言ってねぇよ」


「顔に書いてあるのよ、吉野」


 ぴ、と電子音が鳴って、桐崎はまた、ぎくしゃくと横に跳ぶ。


「……トランペットなら、誰にも負けないんだから」


 ぼそっと、そう付け足す横顔は、ちょっとだけ悔しそうで。


 ……なるほど。


 突き抜けているぶん、苦手なものは、とことん苦手らしい。


 なんだか、少しだけ親近感が湧いた。


 * * *


 そんな賑やかなグラウンドの隅で。


 ぽつん、と立ち尽くしている人影が、一つあった。


 関山さんだ。


 ジャージ姿ですら、どこか気品を漂わせている彼女は、握力計をまじまじと見つめ、静かに首をかしげていた。


「……これは、何の儀式ですの?」


「い、いや、儀式じゃなくて。握力測定だよ、関山さん」


 見かねた俺が声をかけると、彼女はこてん、と首を傾けた。


「あくりょく……。この機械を、握ればよろしいの?」


「そうそう。思いっきり、ぎゅっと」


「……ぎゅっ」


 ぷるぷると震える、細い指。


 結果は、ちいさな、ちいさな数字だった。


「まあ……。わたくし、非力ですのね」


 しょんぼりと肩を落とす関山さんは、なんだか、ちょっと可愛かった。


 ――と。


「関山さーん!」


 そこへ、駆けてきたのは大島さんと、澪だった。


「ねえねえ。今日のお昼さ、よかったら、一緒に食べない?」


「ぜひ、ご一緒したいなって……ど、どうかな?」


 澪が、緊張の面持ちで誘う。


 昨日の電話で言っていた、あの「お昼のお誘い」だ。


 関山さんは、二人を交互に見つめ、しばらく黙り込んだあと。


「……よろしいの? わたくしなんかと、ご一緒で」


「もちろん!」


「うん。……関山さんと、一緒がいいな」


「…………」


 関山さんの、感情の読めなかった瞳が。


 ほんの少しだけ、揺れた気がした。


「……では。お言葉に、甘えさせていただきますわ」


 その、遠慮がちな頷きに。


 澪と大島さんが、ぱっと顔を輝かせた。


(……よかったな、澪)


 少し離れた場所からそれを見ていた俺は、胸の奥が、じんわりとあたたかくなるのを感じた。


 昨日まで、教室でぽつんとしていた人が。


 今日は、少しだけ困ったように、笑っている。


 ……人が変わるきっかけなんて、案外、そんな些細なことなのかもしれない。


 * * *


 と――ふいに、澪がこちらを振り向いた。


 ぱち、と目が合う。


 澪はいたずらっぽく口角を上げて、ちいさく、目配せをしてきた。


(……ね? うまくいったでしょ)


 とでも言いたげな、その得意げな顔。


 俺は一瞬どきりとして、とまどったが。


 つられるように、小さく笑顔を返した。


 ――が。


 その一部始終を、ばっちり見ていた人物がいた。


 大島さんだ。


 俺と澪を、交互に見比べて。


 にんまりと、実に嬉しそうな笑みを浮かべている。


(……げっ)


 やばい。完全に、なにか勘づかれた。


 俺は慌てて目を逸らし、明後日の方向を向く。


 ……まったく。


 この化け物クラスは、勉強も運動も規格外なうえに。


 俺の心臓に悪い人間まで、多すぎる。


 ――と。


 ぽん、と。


 背後から、誰かの手が、俺の肩に乗せられた。


「吉野くん。……青春ですね」


「うわっ!? い、稲葉!?」


 振り返ると、いつもは冷静沈着な生徒会会計が。


 珍しく、口の端をわずかに緩めて、そこに立っていた。


(お前まで、その台詞を言うのかよ……!)


 どうやら、心臓に悪い人間は。


 まだまだ、増えていきそうだった。


 ――でも。


 平凡な俺には刺激が強すぎる、この毎日も。


 ……悪くない。


 柄にもなく、そう思える春だった。


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