第123話 お見知りおきくださいませ
「え、えー……ホームルームを、始めるよ。その前に……み、みんなに、と、とても大事な、お知らせがあるんだ」
教壇に立った笹沼先生の、その第一声。
ざわついていた三年A組が、一瞬で静まり返った。
大事なお知らせ。
このできすぎたクラスに、これ以上、まだ何かあるというのか。
クラス中の視線を一身に受けて、先生の額にじわりと汗が浮かぶ。
「じ、実は、その……今日から、この三年A組に……へ、編入生が、来ることになったんだ」
「「「はぁ!?」」」
教室が、どっと沸いた。
「編入って、三年でか?」「聞いたことねーぞ、そんなの」「受験の年だよ?」
口々に飛び交う声。
……そうだ。
俺たちはもう、最終学年。
こんな時期に編入なんて、普通はありえない。
(――あの空席。そういうことだったのか)
窓際の、一番後ろ。
ぽつんと空いていた、あの席。
「し、静かに! 静かにして!」
先生はハンカチで額を拭うと、震える声で続けた。
「く、くれぐれも、みんな、そ、粗相のないように……あっ、いや、ちがっ……ふ、普通に! 普通に、仲良くしてあげてね!」
(……いま、粗相って言いかけたぞ、この先生)
仲良く「してあげて」、でもない気がする。
その言い直しが、逆に不穏である。
「そ、それでは……ど、どうぞ!」
先生が、教室の前の扉に向かって、うわずった声をかけた。
がら、と扉が開く。
――こつ、こつ。
静かな足音とともに、その人は入ってきた。
瞬間、教室の空気が変わったのが、はっきりと分かった。
背筋のまっすぐ伸びた、細い立ち姿。
腰まで流れる、艶のある黒髪。
感情の読めない、静かな瞳。
まるで、よくできた日本人形がそのまま歩き出したような――そんな少女だった。
彼女は教壇の中央まで進むと、俺たちのほうへ静かに向き直り、一礼した。
指の先まで神経の通った、完璧なお辞儀。
顔を上げると、鈴を転がすような声で言った。
「――関山八重と、申します」
(関山……?)
どこかで聞いた名字だ、と思った。
いや、聞いたどころじゃない。
この学園の正門の脇、創立記念の石碑に、でかでかと刻まれている名字である。
「ご縁がありまして、本日より、こちらのクラスで学ばせていただくことになりました」
よどみのない、絹のような声。
けれどその表情は――笑っているようで、笑っていない。
「わたくし、学校というものに通いますのは、生まれて初めてですの」
「「「……え?」」」
教室が、ふたたび固まった。
初めて?
学校が?
この、受験を控えた高三の春に?
「ですから、ご迷惑をおかけすることも、多々あるかと存じます。……どうぞ皆さま、お見知りおきくださいませ」
そう言って、彼女はもう一度、深く美しい礼をした。
……。
…………。
――誰も、何も言えなかった。
拍手のタイミングを、全員が見失っていた。
教室に流れる、なんとも言えない沈黙。
それを破ったのは、大島さんの、小さな小さな呟きだった。
「……なにあの子、お人形さんみたいにきれい……」
「……なあ、関山って、理事長と同じ名字じゃね?」
「まさか。偶然だろ……偶然だよな?」
ひそひそと、さざ波のように広がっていく声。
当の本人はといえば、表情ひとつ変えず、笹沼先生に「わたくしの席は、どちらでしょう」と静かに尋ねている。
「あっ、う、うん! か、関山さんの席は、あそこの、窓際の一番後ろだよ」
「まあ。……陽当たりの良いお席ですのね。ありがとう存じます」
(あ、ありがとう存じます……?)
聞いたことのない丁寧語を残して、彼女はしずしずと教室を横切っていく。
こつ、こつ、という足音だけが、静まり返った教室にやけに大きく響いた。
――かくして、窓際の一番後ろの空席は、その主を迎えた。
誰もが横目でそれを追いながら、誰ひとり、声をかけられない。
(す、すごいのが来たな……)
ちらりと右前の席を見ると、桜井さんも目を丸くしたまま固まっていた。
……あの桜井さんが、だ。
高台の豪邸に住む、正真正銘のお嬢様が――「格が違う」という顔をしていた。
そして、窓際の最前列。
汐乃だけが、探るような細い目で、じっと彼女を見つめていた。
「……関山、八重」
小さく落とされたその呟きが、なぜだか妙に、耳に残った。
三年A組、四十人目の生徒。
俺たちの“てんやわんや”な一年に、とんでもない一枚が加わった瞬間だった。




