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夜のコンビニと君のブラックコーヒー  作者: アキラ・ナルセ
第13章 前途多難な新学期編

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第122話 呼べない名前

 ――春休み、最後の週。


 生徒のいない静かな校舎の奥、校長室でのことである。


「……新三年A組の担任を、笹沼先生にお願いします」


「はぁ。謹んでお受けいた――」


 深々と頭を下げかけて、僕――笹沼は、手渡された名簿の途中でぴたりと固まった。


『霞 汐乃』


『吉野 大河』


『桜井 澪』


『稲葉 澄仁』『桐崎 杏奈』『深山 湊介』――。


「…………あの、校長先生」


「なんでしょう」


「ど、どういうことですか、これは……」


 生徒会の役員が、全員同じクラスに入っている。


 学年の上位三人も、全員同じクラスに入っている。


 それどころか、名簿のどの名前を見ても、何かしらの“実績持ち”ばかりだ。


 こんなクラス編成、二十年余りの教員生活で見たことがない。


「……理事長の、ご意向です」


 校長先生は、すっと目を逸らした。


(り、理事長の……!?)


 背中を、つうっと冷や汗が伝う。


「あ、あの。それでは、なぜ僕が担任に……? 僕よりずっと優秀な先生が、他にいくらでも」


「昨年度、あなたのクラスからは生徒会の副会長と庶務が出ました。学年一位も出た。理事長は、その“育成の実績”を高く評価しておられるそうです」


(何も、してないんですが……!?)


 断じて言うが、僕は何もしていない。


 吉野くんは勝手に伸びたし、生徒会には勝手にスカウトされていった。


 僕はただ、職員室でお茶を飲みながら見守っていただけである。


「それと、笹沼先生。――名簿の、一番下を」


 言われるがまま、目を落とす。


『関山 八重』


 その名字を見た瞬間、僕の胃が、きゅうっと縮んだ。


「……そんな。嘘でしょう……」


「私からは、以上です。……お互い、頑張りましょう」


 校長先生の目は、完全に死んでいた。


 窓の外では、春の桜が呑気に舞っている。


 ――誰か、胃薬をください。


 * * *


 ――四月。始業式の朝。


「いっただっきまーす!」


 吉野家の食卓に、瑞希の元気な声が響く。


 母さんは夜勤明けで、まだ寝ている。


 今朝の当番は俺だったので、食卓には焼き鮭と味噌汁が並んでいた。


「…………」


「……お兄ちゃん?」


「ん?」


「さっきからお味噌汁、一口も減ってないよ」


「っ! わ、わりぃ。ぼーっとしてた」


 慌てて椀に口をつける俺を、対面の瑞希がじーっと見つめてくる。


 そして、にんまり。


「んっふふー。緊張してるんだ?」


「し、してねーよ」


「嘘だぁ。だって今日って、澪さんと――『付き合ってから初めての登校』でしょ?」


「ぶほっ!!」


 危うく味噌汁を吹き出すところだった。


(な、なんで知って……いや、こいつには全部お見通しなんだった)


『俺と、付き合ってほしい』


『……喜んで』


 ――春休みの、あの夜。


 夜のコンビニの青いベンチで、俺は桜井澪さんと、恋人同士になった。


 あれから何日経っても、思い出すたびに顔が熱くなる。


「いやぁ、めでたい。ほんっとにめでたいねぇ。……で? 学校ではなんて呼ぶの? みお――」


「うわあああ! その話はいい!」


「え〜。だって気になるじゃん。ふたりが同じクラスになれるかどうかも」


「うっ……」


 そう。


 今日は始業式――つまり、クラス替えの日でもある。


 恋人との初めての登校に、クラス替え。


 心臓がいくつあっても足りない。


「まぁまぁ。大丈夫だよ、お兄ちゃん」


 瑞希は味噌汁をずずっとすすると、根拠もなく言い切った。


「お兄ちゃんと澪さんは、離れられない運命だから!」


「な……」


「私の勘、当たるんだよねー。んふふー」


(……こいつ、ほんとに中学生か?)


 まったく、恋愛ごとに関しては一生敵う気がしない。


 ……なんて呆れながらも、単純な俺の緊張は、少しだけほぐれていた。


「ごちそうさま。……じゃ、行ってくる」


「はーい、いってらっしゃい。……あ、お兄ちゃん」


「ん?」


「――そのにやけ顔、直してから行きなよ?」


「!!」


 玄関の姿見に映った俺は、たしかに、しまりのない顔をしていた。


 * * *


 通学路の桜並木は、もう半分ほど葉桜に変わっていた。


 それでも風が吹くたび、残った花びらがはらはらと舞って、道の端に薄桃色の川を作っている。


(三年生、か……)


 今日から、最終学年。


 三年生としての勉強に、生徒会に、バイト。


 それから――恋人と過ごす、初めての学校生活。


 新しいことだらけの一年が、始まろうとしていた。


 ニヤけそうになる口元をもう一度引き締めて、俺は昇降口前の人だかりに突っ込んだ。


 目当ては、貼り出されたクラス分けの表だ。


「よっ、大河! おはよーさん」


 人混みの中から、ひょいと橘が現れる。


「橘か、おはよう。……で、どうだった?」


「ふっふっふ、聞いて驚け。俺とお前は――今年もまさかの同じクラス! 三年A組だ!」


「マジか。腐れ縁にも程があるだろ」


「おいおい、感動の再会だろうが。……で? お前が知りたいのは、そこじゃないよなぁ?」


「うっ」


 橘がにやにやと肘でつついてくる。


(こいつ、ほんとに察しだけはいいんだよな……)


 俺は観念して、掲示板の「三年A組」の欄に目を走らせた。


 ――あった。


『桜井 澪』


 その四文字を見つけた瞬間、心臓がひとつ、大きく跳ねた。


「よかったなぁ、大河ぁ?」


「う、うるせぇ」


「……で、だ。浮かれてるところ悪いが、話はそれで終わりじゃないんだなぁ」


「あ?」


「見ろよ、この名簿。今年のA組……ちょっと面子がえぐいぞ」


 言われるがまま、あらためて名簿を上から下まで目でなぞる。


『霞 汐乃』


『稲葉 澄仁』


『桐崎 杏奈』


 ――生徒会の、全員。


 おまけに『深山 湊介』の名前まであった。


「……は? なんだこれ」


「な? すごいだろ。誰だよ、このクラス組んだの」


(生徒会が、丸ごと同じクラス……?)


 去年までの俺なら、ただの偶然で済ませていたと思う。


 でも――さすがに、これはできすぎている。


 * * *


 キーンコーンカーンコーン♪


 教室に入ると、そこはもう、新しいクラスの浮ついた空気で満ちていた。


 朝のホームルームまでは、しばしの自由時間だ。


「ふっ……三年目にして、ついに同じ教室。やはり僕と君は、運命の好敵手のようだね、大河くん!」


「はいはい。今年もよろしくな、深山」


 初日から通常運転の深山の向こう――窓際の最前列では、汐乃が涼しい顔で文庫本を開いていた。


 その隣の席では、稲葉が几帳面な手つきで、辞書やノートを机に並べている。


「おはようございます、吉野くん。……いやはや、教室でも会長の隣とは。妙な新年度になりましたね」


「稲葉もそう思うか。というか生徒会、ほんとに全員このクラスなんだな……」


「ええ。連絡事項を伝える手間だけは、省けそうですが」


 と、後ろから肩を、つんつんとつつかれた。


 振り返ると、桐崎が腕を組んで立っている。


「……吉野。このクラスのこと、なにか知らないの」


「いや、俺もさっぱりだ。桐崎こそ、書記として何か聞いてないのか」


「聞いてたら、わざわざ訊かないわよ」


 ごもっとも。


 俺たちのやり取りが聞こえていたのか、汐乃がぱたんと文庫本を閉じた。


「大河。このクラス編成、どう見る」


「どうって……正直、気味が悪いくらい都合がいいな、って」


「ふむ。――私も今朝から考えているが、答えに辿り着けん」


 ……あの汐乃が、だ。


 学年で一番、何でも知っている人が「わからない」と言っている。


 そういえば――さっきから教室のあちこちで、似たような会話が聞こえてくる。


「なあ、お前って確か、去年の数学オリンピックの……」


「そういうアンタは、水泳で全国行ったでしょ。……ってか、この教室おかしくない?」


 どうやら、俺と橘が気づいた程度の話じゃない。


 このクラスの四十人は、全員が全員、何かしらの“持ち主”らしい。


 そして、もう一つ。


 窓際の一番後ろに――誰も座っていない席が、ぽつんと一つだけあった。


(本格的に、何かがおかしいぞ……?)


 と、その時だった。


「ねぇねぇ澪っち、今年も一年よろしくねー!」


「ふふ。こちらこそだよ、彩花ちゃん」


 聞き覚えのある声に、思わず振り返る。


 窓際の一角で、大島さんと笑い合う女子生徒。


 下ろした黒髪に、すっきりとした目元。


 ――桜井さんだ。


 目が合う。


「あ」


「……お、おはよう、大河くん」


「お、おう。おはよう……さ、桜井さん」


 ……。


 …………。


(――言えなかったぁぁぁ!!)


 違うんだ。


 春休みの最後、俺はたしかにこの人を「澪」と呼んだ。


 夜のベンチで、たしかに呼べたんだ。


 なのに――昼の教室、しかもクラスメイトの視線がある中では、難易度が跳ね上がるというか、なんというか。


「……ぷっ。あはは! なにあれ、初々しいー!」


「お、大島さん!?」


 大島さんが遠慮なく笑い、桜井さんは真っ赤になって俯いてしまった。


 机の下で、俺の足が勝手にじたばたと暴れる。


 三年生、初日。


 前途は多難である。


 と――教室の前の扉が、がらりと開いた。


 入ってきたのは、担任の笹沼先生。


 二年のときから持ち上がりの、おっとりが取り柄のおじさん先生だ。


 ……なのだが。


(……あれ? なんか、顔色悪くないか?)


 心なしか、目が泳いでいる。


 教卓に教材を置く手も、どこかぎこちない。


 先生はひとつ大きく深呼吸をすると、絞り出すような声で言った。


「え、えー……ホームルームを、始めるよ。その前に……み、みんなに、と、とても大事な、お知らせがあるんだ」


 ざわついていた教室が、しん、と静まり返った。


(大事な、お知らせ……?)


 窓の外で、葉桜がさわりと揺れる。


 ――この“お知らせ”こそが、俺たち三年A組の、てんやわんやな一年の幕開けだった。


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