Chap1 ep15-切り札、出陣
ラドエフは重い瞼を開くと焦燥に駆られた。
「きづね"、生かしだごとぉ、後悔させ――」
視界に広がったのは青空ではなく格子状の木材、正確には天井である。左手には布が巻かれていた。上体を起こすことができず、僅かに痛む右脚の確認は叶わない。とは言え、命は救われた。真っ先に浮かんだのは3班分隊だが、劣悪な消耗状態に陥っていた彼らが相手にできるような敵ではない。他の候補を考える間もなく、急激な眠気に襲われ、再び瞼を閉じた。
♦︎昨日、皇都街道
大鎌使いの後方で魔物の集団との戦闘に終止符を打った3班分隊に降りかかった希望は一瞬にして絶望に変わる。
「ラドエフ!」
叫ぶ精霊使いの視線の先にあるのは、全身に紫炎を纏う狐の魔物と地面に転がる灰骸、剣、大鎌、そして仰向けになった大鎌使いであった。駆け寄ろうとしたフローセル班一行を止めるように暴風が巻き起こる。
「っ!? 生きてる?」
弓手が呟いた。
「限界放出だ。あいつなら十分あり得る」
「それなら余計大変じゃない! どうするの!?」
魔力量が負の値になった経験がある者にのみ起こる現象で、"疲労による生命の危機"がトリガーであるとされている。死に際に限界以上の魔力を使った魔術師によく見られる現象だった。
凄まじい暴風は、狐型の紫炎の勢いを衰退させ、フローセル班への襲撃を思い留まらせる。しかし暴風の悪足掻きも、そう長くは続かない。段々と勢力を弱め、やがて微風程度に衰えた。狐は確実に衰弱していたものの、それでも尚高い戦闘能力は健在である。
班長を失ったフローセル班と狐との戦闘が繰り広げられようとしていた。それを後方から見守る残りの分隊員達は皆疲れ果てており、誰一人として逃げようとせず、立っている者すらいない。信頼からなのか生への諦めからなのかは定かではないが、そんな分隊員の1人が突然声を掛けられる。
「何をしている? 早く加勢しろ」
既におよそ半日間戦い続けた精鋭達に鞭を打ったのは、事情をしらぬ四番連隊長であった。補佐としてシュレン小隊長とレイエス小隊長を引き連れ、元凶の湖の視察に向かう最中に遭遇する。
「レイエス小隊長!」
レイエス班の後任を務めた班の班長が震えるような声で呼び掛けた。周りに散乱する魔物の死骸と分隊の様子から状況を察した小隊長は連隊長へ耳打ちする。
「――そうか。よく耐えた」
デルデノットは皇都を守った3班分隊を賞賛した。厳密には皇都と逆の方向へ歩んでいた魔物にフローセル班長が絡んだことが原因で巻き込まれただけである。それでも連隊長から褒め称えられるのが名誉であることには変わりなかった。
肩掛けマントの被りと襟巻き布で、目以外の頭部を覆う。魔物討伐隊の長を務めるデルデノットにとっては、これが正装とも言えた。斧を構え、足を進める。随伴しようとする2人の小隊長を振り向くことなく手で制止し、魔力を斧に注ぎ始めた。
「ご苦労であった! そこを退きたまえ」
後方からの声に振り返るフローセル班は動揺を見せるが、灰と化した草原に飛び込む。これから始まる激闘に備え、精霊使いは守護精霊により班長を保護した。
デルデノットが振るった斧が見事に狐に直撃する。手に伝わってくるはずの感触がないのは何とも気味が悪かった。決して強靭には見えない体つきのデルデノットから放たれる猛攻には誰もが驚く。
狐は異常なまでに速い斬り返しを見計らい、僅かな隙を見つけた。そして自身と覆面戦士との間に炎のカーテンを展開する。草原にまで幅を広げ、高さも十分であった。
「逃げられ、た」
厄介そうな魔物を逃してしまった。勝ち筋が見出せず、自らの命を優先したのだろう。高い知能を持つ魔物にはよく見られる行動であった。被りと襟巻き外し、隊員達の方へ振り返ろうとした時、カーテンが降り始める。
降り切ったカーテンの向こうには女が立っていた。衣服からして、皇国の民。袖の辺りが黒く焦げていることを除けば、至っておかしなところはない。デルデノットが声を掛ける前に―突然女が抱き着いた。
「今! 狐のような魔物が・・・・・・」
「え、あ、ああ怪我はありま――?」
違和感に気付いたが、少し遅い。
「連隊長! そいつは!」
ジャックが叫ぶと、口角を上げた女の手が赤紫に灯った。デルデノットの背中に紫炎が纏わり付く。
「あっづ」
幸い、抱き着く力はそう強くなかった。細身の腕で、化けた狐を突き飛ばす。騙し打ちの効果は予想よりも薄く、デルデノットは戦闘継続を選んだ。燃えるように熱い背中に耐えながら、薪を割るように斧を振り下ろす。
水気混じりの衝突音が戦闘の終結を告げる。安堵したのも束の間、後方から飛来した巨大な水の塊に押し飛ばされた。
気の利く小隊長の粋な計らいである。
「すみません連隊長! タイミングを誤りました」
「久しい水遊びだ。まあいい、助かった」
無事に背中は消火されたが、その代償は大きかった。大量に吸水し、重量を増したマントが歩行を阻害する。
「負傷者は運べるか。我々は偵察に行かなければならない」
連隊長と2人の小隊長は本来の目的を果たすべく、湖へと向かっていった。3班分隊で協力し、助かる可能性のある負傷者を皇都へ運ぶ。
♦︎皇都宿場・病床
戸が開く音でラドエフは目を覚ました。相変わらず起き上がることはできない。入室した治癒士が、丸1日意識を失っていた負傷者に話しかける。
「ふろ、せるさん、だい、じょうぶ、です、か?」
大陸共通語を学んでいる最中なのだろう。辿々しいながらも、聞き慣れた言語には暖かみがあった。
「はい。大丈夫、ですよ」
「そう、ですか。たべもの、を、もって、きます」
「ありがとう」
四半刻もしないうちに再び戸が開いた。出された料理は殆どが固形物で、優しいスープはない。見たこともない肉や生茹での芋など、どれもこれも負傷者への労りに溢れた素晴らしい品々である。




