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第8話 夕食

 城へ戻ったのは、完全に日が落ちてからだった。


 門をくぐった途端、静かだった城内が一気に動き始める。松明が次々に灯り、石畳へ長い影が伸びた。厩舎の方から人が走り出し、医務室の扉が開き、誰かが誰かの名前を呼ぶ。


 捕虜六人。回収した弓と短剣、魔晶石の粉、王都式の留め具、古代結界石の紋様を写した紙。


 朝より重くなった鞄を肩から下ろす前に、ローデリックが部下へ指示を飛ばした。


「捕虜は別々に収容。武器は番号を振って記録してから武器庫へ。粉袋は封をする。馬は厩舎、怪我人は先に医務室へ」


「はい!」


 兵士たちが散る。言い直しも聞き返しもない。この人が要点を並べる速さは、書類を捌く時と同じらしかった。


 捕虜の一人が足を引きずっている。セレナは、その男を護送している兵士へ声をかけた。


「待ってください」


 兵士が振り返る。


「その人の足、腫れています」


「逃げる時に斜面から落ちました」


「医師には?」


「牢へ入れてから呼ぶ予定です」


 捕虜が鼻で笑った。


「敵に親切だな、お嬢ちゃん」


「傷が悪化すると取り調べができません」


「そっちかよ」


「それに、捕まえた以上、勝手に死なせる理由もありません」


 男は一瞬だけ口を開き、それから何も言わなくなった。


 カイルが兵士へ顎を向ける。


「医務室を先に」


「承知しました」


 護送が再び動き出す。カイルはセレナの顔を見た。


「甘いのか厳しいのか分からんな」


「普通です」


「そうか」


 納得したようには見えなかったが、それ以上は言わなかった。


 夕食の席へ着いた時には、セレナはすでに古代結界の写しを広げていた。


「お嬢様」


 リナの声が低くなる。


「見ているだけよ」


「昨日と同じ言い訳ですね」


「今日は紙を汚さないよう端に置いて――」


 リナが無言で紙を畳んだ。


 向かいのカイルは、助ける気配もなく肉の煮込みを食べている。


「カイル様」


「俺を見るな」


「まだ何も言っていません」


「助けを求める顔だった」


「違います」


「なら食え」


 ローデリックが隣で咳をした。


「私は中立です」


「誰も聞いていません」


「念のため」


 食卓の空気は、王都の晩餐とはまるで違う。


 王宮では、皿の数と会話の順番が決まっていた。誰が先に話し、誰が受けるか。沈黙にも意味があり、笑い声の大きさにまで作法があった。


 ここでは、料理の格式も違えば、誰がどこへ座るかも緩い。騎士が隣の卓で大声を上げ、その奥では厨房の女性が空いた皿を回収している。木の匙が器に当たる音が、あちこちで不揃いに鳴っていた。


 セレナは最初、その騒がしさが落ち着かなかった。けれど今は、話しかけられてもいないのに緊張する王宮の晩餐より、こちらの方が気楽かもしれないと思い始めている。


 誰も自分を見ていない時間があるのは、思っていたより休まる。


「今日の男たち、何か話しましたか」


 パンをちぎりながら尋ねると、ローデリックが頷いた。


「二人ほど。依頼人の名前は知らない。石塚へ手紙を入れれば指示と金が置かれる。支払いは王都銀貨でした」


「金具と同じ方向ですね」


「ただし、王都の商人ならどこでも手に入る銀貨です」


「それだけでは絞れません」


 セレナは煮込みを一口食べる。


「木札は?」


「同じ赤二本線が三枚」


「黒い印については?」


「知らないそうです」


 やはり役割が分かれている。赤い印を追う者、黒い印を知る者、古代結界へ魔獣を誘導する者。


 全員が全体像を知らないように作られている。糸を一本切っても、隣の糸には届かない編み方だ。


「面倒な相手ですな」


 ローデリックが言う。


「でも、痕跡は残っています」


「消せない?」


「完全には。人が動けば何か残ります」


 カイルが肉を切りながら聞いた。


「次は何を見る」


「城の記録です。それと、谷の古代結界と城地下の古い線が繋がっているか」


「繋がってたら?」


「範囲を調べます」


「どこまで」


「分かるまで」


 カイルが手を止める。


「それ、いつ終わる」


「分かりません」


「正直だな」


「嘘をついても仕方ないので」


 リナがセレナの皿を見る。


「それより、あと三口」


「数えていたの?」


「はい」


 食事と仕事の両方を同時に監視されるのは、少し不本意だった。


     *


 食後、騎士の一人がセレナへ声をかけてきた。昨日、森で西側を任せることに反対した若い騎士だった。


「アシュフォード様。少しいいですか」


「はい」


「結界って、戦闘中にどこまで動かせるんです?」


 予想外の質問だった。


「形によります。昨日のような小型なら、基点さえ固定すれば角度を変えられます」


「じゃあ、盾みたいに持って歩ける?」


「それは効率が悪いです。術者自身が基点になるので、魔力消費が大きすぎます」


「なるほど」


 隣から別の騎士が口を挟む。


「矢だけ弾くことは?」


「できます。ただ、全部ではなく方向を絞った方がいいですね」


「じゃあ正面だけ?」


「はい。敵の弓兵の位置が分かるなら」


 質問が次々に来る。どれも実戦の言葉だった。持てるか、走れるか、何秒もつか。図面の話をする者は一人もいない。


 王都の結界局では、術者同士で話すことはあっても、騎士からこうして具体的に聞かれる機会は少なかった。


「皆さん、結界師と一緒に戦ったことはないんですか」


「ほとんどないです」


「王都から術者が来ること自体、珍しいからな」


「なら、簡単なことだけでも共有した方がいいですね」


「教えてくれるんですか」


「私がいない時でも、別の結界師と組めるように」


 その言葉に、自分で少し驚いた。以前なら、自分が次も来る前提で考えていた気がする。


「明日の夕方、時間があれば」


「お願いします!」


 若い騎士が嬉しそうに頭を下げる。


 カイルが少し離れたところで、そのやり取りを見ていた。


「何です?」


 セレナが聞く。


「いや」


「何か言いたそうです」


「教えるの好きなんだな」


「必要だからです」


「そういうことにしておく」


「本当に必要です」


「分かった」


 たぶん、分かっていない顔だった。


 その流れで、古代結界の写しをローデリックと三人で確認することになった。ただし時間を決めたのはリナである。


「十五分です」


「分かっています」


「十六分になったら紙を回収します」


「そこまでしなくても」


「昨日までの実績を考慮しています」


 ローデリックが笑いを堪えながら、写しの角を押さえた。


「この紋様、城の地下と同じですか」


「完全には同じではありません。でも、線の重ね方が似ています」


 セレナは指で紙の上を追う。


「今の結界は、一つの基点に一つの役割を持たせることが多いんです。防御、浄化、安定化。でもこれは、一つの線に複数の意味を重ねています」


「効率がいい?」


 カイルが聞く。


「逆です。扱いにくい。一箇所いじれば、関係のない機能まで動きます。ただ、広い範囲を少ない基点で繋ぐなら理にかなっています」


「古い時代は人が少なかった?」


「それも考えられます」


 セレナは顔を上げた。


「でも、まだ仮説です」


「分かった」


 カイルはそこで話を止めた。


 王都では仮説を口にすると、その場で結論を求められることが多かった。正しいのか、間違っているのか、いつまでに答えが出るのか。答えられないと分かると、その話題自体が机から下ろされた。


 カイルは、分からないものを分からないまま置いておける。それは、思っていた以上に仕事がしやすかった。


「十五分です」


 リナが宣告する。


「今、ちょうど面白いところなのに」


「明日もあります」


 紙が回収される。セレナが惜しそうにその行方を目で追うと、カイルに笑われた。


「何です?」


「いや。結界の前だと分かりやすいなと思って」


「何がですか」


「楽しそうだ」


 返事に困り、セレナは残っていた茶を飲む。否定はしなかった。


     *


 部屋へ戻ろうとしたところで、厩舎の方から馬のいななきが聞こえた。一頭ではない。何頭も同時に騒いでいる。


「何だ?」


 カイルが先に動き、セレナたちも後を追った。


 厩舎では、繋がれた馬たちが壁際へ寄り、落ち着かなく蹄を鳴らしていた。目が白く、耳が後ろへ倒れている。藁と汗と、獣の匂いが濃い。


「急にです」


 馬番が言う。


「何か音がしましたか」


「何も」


 セレナは床へしゃがんだ。石張りの床で、継ぎ目に藁屑が詰まっている。手袋を外し、掌を押し当てて魔力を測った。


「……ここにもあります」


「何が」


「古い線です」


 床下から、ごく弱い脈動が伝わってくる。昼間に見た谷の古代結界と同じ周期だ。同じ心臓が、別の場所で打っている。


「厩舎の下に結界が?」


 ローデリックが目を見開く。


「今の城の図面にはありません」


 セレナは床板の継ぎ目を追った。


「でも、動いています」


 馬が一頭、大きく身体を振る。脈動が強まった。


「一度止めます」


「壊していいのか」


「今の結界網とは別系統です。ここだけ切っても城門には影響しません」


「ならやれ」


 セレナは床の隙間へ細い銀針を差し込み、古い線へ直接触れた。


 拒絶ではない。引き込みだ。どこかへ魔力を送ろうとしている。


「やはり同じです」


「谷と?」


「はい」


 簡易封止を入れると、青白い脈動が弱まった。数秒後、馬たちの騒ぎも少しずつ収まる。耳が前へ戻り、一頭が長く鼻を鳴らした。


 馬番がほっと息を吐く。


「何なんです、これ」


「まだ分かりません」


 セレナは床へ手をついたまま考える。


 谷、村、城の地下、そして厩舎。点だったものが、線になり始めている。


 深夜、執務室の大机にローデリックが古い領内図を広げた。現在の地図と重ね、蝋燭を近づけると、下の紙の線が透けて浮かぶ。


 谷の古代石、ハーゼ村の東祠、城門地下、厩舎。位置を一つずつ印で結んでいくと、一本の線が浮かんだ。


「偶然ではないですね」


 セレナは指先で地図をなぞる。


「昔、この一帯に今とは別の結界網があった」


「どこまで広い」


 カイルが聞く。


「この地図だけでは分かりません」


「調べるには?」


「古い記録と、現地確認」


「何日」


「分かりません」


「またそれか」


「まだ始まったばかりですから」


 ローデリックが古い地図の端を押さえた。


「この線、北の山にも伸びています」


「途中で切れてるな」


「紙が破れているだけです」


 セレナはそこへ目を近づける。破れの向こう側、さらに先に、別の線があった。今の国境とは関係なく伸びている。


「かなり古い」


「分かるのか」


「今の領境ができる前です」


 つまり、この結界網はヴァレンシュタイン領だけのために作られたものではない。もっと大きく、もっと古い。誰かが、今より広い範囲を一つの単位として考えていた時代がある。


 セレナの指が地図の上で止まった。


「明日、書庫を見せてください」


「いいぞ」


「できれば朝から」


「朝飯のあとだ」


 先に言われた。セレナは少し不満だったが、リナが満足そうに頷いているので反論はやめる。


「分かりました」


 地図を畳もうとした時、カイルが一枚の紙を抜き取った。


「これも持っていけ」


「何です?」


「今日の捕虜の供述」


「部屋で読みます」


「寝る前に全部読むなよ」


「……努力します」


「努力じゃない」


 ローデリックが横で笑いを堪えている。


 セレナは紙を受け取り、今度こそ部屋へ戻った。


 古い結界網、王都式の留め具、人為的な切断。分からないことばかりだ。なのに、不思議と嫌ではなかった。


 ――いや。


 セレナは廊下の途中で、その言い方を自分で訂正した。


 嫌ではないのではない。面白いのだ。未知の構造を、自分の目で一つずつ確かめていくことが。


 王都では、この感覚に名前をつけないようにしていた気がする。仕事は必要だから行うもので、面白いから行うものではない。そう思っていた方が、続けるのに都合がよかった。


 部屋へ戻る途中、厩舎から一頭だけ小さないななきが聞こえた。さっきまでの怯えた声ではない。


 セレナは足を止めかけたが、そのまま進んだ。今夜はもう確認しなくてもいい。明日、必要な人と一緒に見ればいい。


 その夜、机の上に資料は置いたが、開かないまま灯りを消した。


 寝台へ入ってから、セレナは自分が一日のうちに何度笑ったかを思い返す。数えるようなことではないと思い直し、毛布を引き上げた。


 少なくとも、王都にいた頃より静かな気持ちで眠れそうだった。


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