第45話 王太子廃嫡
評議会が開かれたのは、防衛戦から九日後だった。
九日かかったのは、被害の集計に時間が要ったからである。死者十一名、負傷四百七十三名、倒壊三十九棟、半壊二百六十一棟。避難した市民は、記録に残っているだけで一万二千を超えた。
数字が出るまで、誰も政治の話をしなかった。それは、この王都では珍しいことだったらしい。
セレナは集計に加わらなかった。数を数えるなら、現場を見た者がやった方が正確である。代わりに、結界局の技術監理官として地下核と結界網の状態についての報告書を作った。八十六頁になった。
「長すぎませんか」
エドガーが言うと、セレナは首を振った。
「短くすると、読んだ人が判断できません」
「読み切れないと思います」
「目次と要約を三頁つけました。全部読むのは、次にここを直す人だけでいいです」
十二年前、王宮地下へ入った人間は三行しか書かなかった。その三行のせいで、今回は二十年ぶんの確認をやり直している。八十六頁が長すぎるかどうかは、次に降りる人が決めればいい。
*
評議会の議題は三つあった。
一つ目は結界局の改革、二つ目は北部および両国の同時修復に関する予算と体制。そして三つ目が、責任の所在だった。
一つ目は、思ったより早く決まった。
一か月前に作った空白の一覧が、そのまま資料として使われた。三十七箇所の空白と、部署をまたぐ照会記録の様式である。防衛戦の九日間でその様式が実際に機能したことも、記録に残っていた。
「異論はありませんな」
評議会の一人が言った。
「ただし、これを運用する人員が要る」
「二十二名です」
セレナは即答した。
「内訳は資料の第四章にあります。既存の局員から十四、新規採用が八。うち三名は術者でなくて構いません」
「術者でなくて」
「数値を読み、部署をまたいで並べる仕事です。二十年帳簿を見てきた方の方が、術者より正確でした」
資材管理の男の名前は、報告書へ書いてある。防衛戦の夜に南西を担当し、指示になかった判断で隣の隣を確認した人物だった。
二つ目も、通った。
北部九箇所とノルトハイム側の同時修復。期間は半年、両国の技師が共同で行う。ノルトハイム側の窓口はイルゼ・ダールマン、王国側はヴァレンシュタイン辺境伯領の結界調査・修復顧問。
「顧問というのは」
評議会の一人が資料を見た。
「アシュフォード公爵令嬢ですな。しかし、それでは王宮の職と」
「兼務です」
ラングレー子爵が答えた。
「二か月前に、私が前例を作りました」
その言い方に、何人かが顔を上げた。
「前例を、作った」
「作りました。作らなければ、この方は来ておられません」
半年前、この子爵は書式の不備を確認して判を押すのが仕事だと思っていた人物である。前例がないという理由で謝罪の語を落とした側でもあった。
今日は、前例を作ったと自分から言っている。
*
三つ目に入ったのは午後だった。議長が、被害集計の綴りを机へ置く。
「では、経緯の確認に移ります」
部屋の空気が変わった。ここまでの二つは技術と予算の話である。三つ目だけが違った。
最初に読み上げられたのは、時系列だった。
五年前、ヴィンター商会から旧施設に関する照会が始まる。以後五年で十一件。全部、開示可能な情報として処理された。
七か月前、北部の古代基点で最初の破壊が確認される。辺境伯領から王都への報告があり、営繕案件として処理された記録が残っていた。
同じ月、王都七番塔に亀裂。北市場に魔獣侵入。報告書の記載は『人的被害なし、物損軽微』である。
三か月前、王都外周結界の大規模障害。角兎十七、負傷八名。
二か月前、正式な要請書が北へ送られる。
「ここまでで、王太子府が受け取った報告は十九件です」
議長が言った。
「十九件のうち、王太子殿下ご自身が目を通されたものが四件。残り十五件は、王太子府の書式判断で処理されています」
アルベルトは黙って聞いていた。反論も、頷きもしない。
十九件という数字は、セレナも今日初めて聞いた。自分が北で書いた報告も、そのうちの何件かに入っているはずだった。
「四件のうち、対応を指示されたものが二件。指示の内容は、いずれも近衛の配置に関するものです」
次に読み上げられたのは、別の綴りだった。
七か月前の帰還命令と、それに対するセレナの返書。二度目の使者。そして二か月前の要請書である。
「一度目の命令には、職位、権限の範囲、期間、報酬のいずれも記載がありません」
議長が頁をめくる。
「これについて、殿下はどうお考えですか」
アルベルトが顔を上げた。
「私が承認した」
「はい」
「文面は王太子府が作った。私は目を通し、署名した」
「では、記載がないことをご存じでしたか」
少し間が空いた。
「……気づかなかった」
部屋が静かになった。誰も筆を動かしていない。
「気づかなかった、というのは、読んだが分からなかったという意味ですか。それとも」
「読んだが、その欄が空でも問題だと思わなかった」
アルベルトはそう答えた。
言い訳はしなかった。ただし、言い訳をしないことが、この場では別の意味を持つ。
「なぜ問題だと思われなかったのですか」
「アシュフォードなら来ると思っていた」
評議会の何人かが、資料へ視線を落とした。
「それは、公爵令嬢が王家の要請に従うのが当然だとお考えだったということですか」
「……そうだ」
セレナは、その答えを聞いていた。
四十日ほど前、同じことを本人へ言った。使っておられました、知った上で使っておられました、と。あの時、アルベルトは認めた上で、便利だと思うことと価値を認めることは違うと言った。
今日の答えは、それより一段浅い。
浅いのは、たぶん評議会の場だからだった。ここで深く答えれば、それは自分の失格を認めることになる。それでも、嘘はついていない。
「もう一点、伺います」
議長が続けた。
「三か月前の外周障害の後、王太子府は北部から届いた技術資料を資料庫へ収めています。二週間、開封されませんでした。この判断は」
「私は知らない」
「では、誰が」
「王太子府の書式判断だ」
「その書式を承認されたのは」
アルベルトが口を開き、閉じた。
答えは決まっている。答えれば四度目になる、ということも、たぶん本人が分かっていた。
結論が出たのは、夕方だった。
王太子アルベルトの廃嫡。理由は、王国防衛に関わる情報処理体制の不備を長期にわたり看過したこと、および、それに関する責任を府の書式判断へ帰したことである。
後者の方が重かった。
「判断の誤りは、誰にでもあります」
議長がそう言った。
「ただ、殿下は本日、四度『府が判断した』と仰いました。府に判断させる仕組みを承認したのは、殿下です」
アルベルトは立ち上がり、一礼した。抗弁はしなかった。
その日の夜、セレナは王宮の回廊でアルベルトと会った。
偶然ではない。呼ばれた。
「明日、王都を出る」
開口一番、そう言われた。
「南の離宮ですか」
「よく知っているな」
「王太子府の書式で決まる場所は、そこしかありません」
アルベルトが短く笑った。
「最後まで、そういう言い方をするのか」
「事実を申し上げただけです」
回廊の窓から、王宮前の広場が見える。防衛戦の夜、セレナが地図を広げていた場所だった。今は片づけられ、石畳が新しく打ち直されている。
「一つ聞きたい」
「どうぞ」
「お前は、今日、私に何か言いたかったか」
セレナは少し考えた。王都へ着いて三日目に、言うべきことは全部言った。あの日、この人は「遅い」と言われて否定しなかった。それで終わっている。
「ありません」
「そうか」
「殿下」
「もう殿下ではない」
「では、アルベルト様」
セレナは向き直った。
「一つだけ、お伝えしておきます。今日の廃嫡は、私の報告書によるものではありません」
アルベルトが顔を上げた。
「八十六頁の報告書には、地下核と結界網のことしか書いていません。誰が何を判断したかは、評議会が自分で調べたものです」
「なぜ、それを言う」
「私のせいだと思われると、面倒だからです」
あまりに実務的な理由だったので、アルベルトはまた短く笑った。廃嫡が決まった日に笑う人間を、セレナは初めて見た。
「……そうだな。お前はそういう人間だった」
ミレイユが婚約の解消を申し出たのは、その二日後である。
場所はベルローズ伯爵邸の応接室で、セレナは同席していない。後で本人から聞いた話である。
「引き留められましたか」
「いいえ」
ミレイユは茶を注ぎながら答えた。
「一つだけ聞かれました。どうしたいか、と」
セレナは手を止めた。防衛戦の夜、アルベルトはラングレーへ同じことを言っていた。今日は南へ行くと言われた、止めなかった、と。
「それで、何と」
「解消したいです、と答えました」
「理由は」
「聞かれませんでした」
ミレイユは茶器を置いた。
「半年前なら、理由を用意していたと思います。家の事情とか、時期が悪いとか。今日は用意しませんでした。用意しなくても済むと分かっていたので」
「分かっていた、というのは」
「あの方は、聞くようになりました。遅かったですけれど」
遅い、という語を、この人も使った。用意した言葉ではないのだろう。ただ、同じ相手に同じことを感じた人間が、少なくとも二人いる。
セレナは茶を一口飲んだ。
「私も、同じことを言いました」
「遅い、と」
「はい」
「同じ言葉ですね」
ミレイユが少し笑った。
「私たち、あまり似ていないと思っていましたが」
「似ていないと思います」
「そうですね。ただ、同じ人に同じことを言いました」
結界局長の職を提示されたのは、その翌日だった。
場所は評議会ではなく、局長室だった。現局長が自分から席を立ち、椅子を勧める。
「私は北翼へ戻ります」
「なぜです」
「三年やって、三十七箇所の空白に気づけませんでした」
局長はそう言った。
「気づかなかったのではありません。気づく仕事が誰の担当でもないと、私が決めていました」
セレナは何も言わなかった。否定する材料がない。三十七箇所の空白のうち十七は、自分が埋めていたせいで見えなかったものである。
「あなたが局長になれば、局は変わります。改革案も、あなたが作ったものです」
評議会からの正式な打診も、机の上に置かれていた。王宮結界局長、任期の定めなし、俸給は現行の局長職と同額である。
「お受けできません」
セレナは即答した。
「理由を伺っても」
「三つあります」
セレナは椅子へ座った。
「一つ。私はヴァレンシュタイン辺境伯領の結界調査・修復顧問です。北部と両国の同時修復が、半年残っています」
「兼務は認められます」
「二つ目です」
セレナは続けた。
「この局が変わったのは、私が改革案を作ったからではありません。私が半年いない間に、二人一組の担当表を作った方がいます。私の記録を四部に増やして貸出簿をつけた方がいます。型番を逆から引いて、五年分の照会を並べた方がいます」
「あなたが渡した資料があったからです」
「資料は紙です。読んだのは、この局の人です」
貸出簿には、二週間で十九件の記録があった。名前は十一人。そのうち半分以上を、セレナは今も知らない。
セレナは局長を見た。
「私が局長になれば、次に何かが起きた時、皆さんは私の判断を待ちます。半年前と同じです」
「三つ目は」
「これが一番大きいのですが」
セレナは少し間を置いた。
「私は、ここに帰りたくありません」
局長が動きを止めた。
「王都が嫌なわけではありません。十年いた場所ですし、直したい塔もまだあります。ただ、帰る場所ではありません」
「では、どこが」
「辺境です」
*
その夜、セレナは宿舎で辺境への手紙を書いた。
三か月の任期は、あと四十六日残っている。
評議会の決定、結界局の改革、二十二名の増員、北部と両国の同時修復の予算。それに、局長職を辞退したこと。
最後に、一行だけ足した。
『任期が明けたら発ちます。帰ります』
書いてから、その二文を見た。発つ、と、帰る。半年前は、片方しか書けなかった。
窓の外では、王都の結界灯が並んでいる。防衛戦の後、外周の出力は薄いままだった。それでも、通りは明るい。
六十八箇所が、少しずつ受けている。どこにも、自分の名前は入っていない。
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