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第44話 私一人では守りません

 王都の結界網を組み直す。


 言葉にするのは一瞬だが、必要なものを数えると、それだけで紙が二枚要った。現行の外周結界が四十七箇所、七番塔から北へ伸びる補助線が十二箇所、それに図面へ載っていない古代線が判明しているだけで九箇所。


 合計六十八を、同時に組み替える。


「人が足りません」


 局長が最初に言った。


「足ります」


 セレナは答えた。


「六十八箇所に術者を置く必要はありません。置くのは、線が交わる場所だけです」


 地図へ印をつけていくと、全部で十一箇所になった。


「十一なら」


「十一です。ただし、全員に判断させます」


     *


 組み直しの理屈は、三日前から決まっていた。王宮地下の核が持たない以上、そこへ集まっている負荷をどこかへ逃がす必要がある。ただし、逃がした先が壊れれば同じことになる。


 だから、一箇所へ逃がさない。


「六十八箇所へ、薄く配ります」


 セレナは黒板へ線を引いた。


「今、王都の結界は外周を厚く、内側を薄く作っています。外から来るものを止める形です」


「それが普通では」


 バルドが言う。


「普通です。ただ、今回は内側から来ます」


 線を引き直す。


「外周の出力を下げて、内側の古代線へ回します。核から出た負荷を、六十八箇所で少しずつ受けます。一箇所あたりの負担は、今の三割以下になります」


「外周が薄くなりますね」


「なります。小型魔獣が入ります」


 セレナは即答した。


「入った分は、騎士団と光班で処理します。避難路は既に開いています」


 局長が黒板を見た。


「街を守らずに、地下を守るのですか」


「両方は守れません」


 部屋が静かになった。


「どちらかを選ぶなら、地下です。街へ入る小型魔獣は倒せます。核が割れたら、倒せません」


 十一箇所の担当を決めるのに、四半刻かかった。


 名前を書き出す時、セレナは一度手を止めた。自分の名前を、どこに置くか。


 中央に置けば、全体の均衡を見られる。ただし、それは雪谷でやって失敗した形だった。あの時は三箇所で、今回は十一箇所ある。


 置かないと決めた。


「私は、どこにも入りません」


 書き終えてから、そう言った。


「では、全体の調整は」


「十一人でやってもらいます」


 局長が眉を寄せた。


「相互に、ですか」


「はい。隣り合う二箇所で、数値を突き合わせてください。全体を見る人間を置かないので、そのぶん、隣を見てもらいます」


「それで足りますか」


「足りるようにします」


 セレナは十一箇所を線で結んだ。地図の上に、いびつな輪ができる。


「一箇所が上げたら、隣が下げる。それだけです。私が真ん中で全部を読むより遅いですが、私が倒れても止まりません」


 バルドが低い声で言った。


「アシュフォード様が真ん中に立った方が、精度は高いでしょう」


「高いです」


「では」


「精度と、止まらないことのどちらを取るかです」


 セレナは筆を置いた。


「今日は、止まらない方を取ります」


 十一人の内訳は、こうなった。


 エドガー、リース、マルタ、バルド。局から四人。営繕府の石工が二人。光魔法班からミレイユを含めて二人。それに、王宮施設課の技師が一人。


 残る二人が決まらなかった。


「経験のある術者が、あと二人要ります」


 局長が名簿を繰る。


「南翼の……いえ、彼は昨日から現場です」


「現場から戻す必要はありません」


 セレナは名簿を見た。


 術者の名前が並んでいる。半年前、自分はこの名簿のどれも覚えていなかった。今も半分は知らない。ただ、知らないままで配置できる形にはなっている。


「資材管理の方は、術者ではありませんね」


「ええ。魔力の扱いは」


「数値は読めますか」


 局長が顔を上げた。


「読めます。二十年帳簿を見ていますから」


「では、一人はあの方に」


「しかし、術式が」


「術式は要りません。十一箇所のうち、二箇所は流量を読んで隣へ伝えるだけです。読む方が正確なら、その方がいい」


 セレナは名簿へ書き込んだ。


「もう一人は」


 しばらく考え、それから顔を上げた。


「ラングレー子爵へ聞いてください。書記官の中に、数字を速く写せる方がいるはずです」


     *


 配置が終わったのは、夜だった。


 王宮前の広場に、十一箇所の担当が集まっている。局員、石工、光魔法の使い手、資材管理の男、王太子府の書記官。並んでいると、結界局の会議には見えなかった。


 セレナは全員へ紙を配る。


 一枚に書いてあるのは四つだけだった。担当箇所と、上げてよい上限、下げてよい下限、それに隣の担当の名前。


「それだけですか」


 石工の一人が尋ねる。


「それだけです」


「もっと細かい指示は」


「ありません」


 セレナは紙を持ったまま言った。


「上限と下限の間なら、皆さんが決めてください。範囲を超えそうな時だけ、隣へ伝えてください」


「間違えたら」


「間違えます」


 即答した。


「十一箇所全部が一度も間違えないことは、あり得ません。間違えた時に、隣が気づく形にしてあります」


 資材管理の男が手を挙げた。


「私が間違えたら、誰の責任になりますか」


 その質問に、セレナは少し間を置いた。


「読み違えたなら、あなたです」


「はい」


「術者でない方に読ませると決めたのは、私です。渡し方が悪ければ、私の責任です」


 男は頷き、紙を折って懐へ入れた。


 開始は、夜半と決めた。


 地下の核から漏れる量が、この時間帯にわずかに落ちる。二日分の記録で確認してあった。


「配置完了」


 伝令が戻った。


 セレナは王宮前の机に地図を広げ、その前に立った。手には測定石が一つあるが、これは自分が操作するためのものではない。届いた数値を確かめるためだけのものである。


「始めてください」


 合図は、鐘一回である。鐘が鳴った。


 最初の四半刻は、静かだった。


 十一箇所が同時に出力を落とす。外周が薄くなり、内側の古代線が受け始めた。数値の報告が次々に届く。


「北東、下限まで。異常なし」


「西、上限へ寄っています。隣へ伝達済み」


「南、待機」


 セレナは地図の上で聞いていた。手は動かしていないし、指示も出していない。


 落ち着かなかった。三箇所ならまだ全体が見える。十一箇所は見えない。今どこがどうなっているかを、報告が届くまで知ることができない。


「アシュフォード様」


 局長が横に立った。


「何かなさらないので」


「することがありません」


「不安ですか」


「不安です」


 正直に答えた。


「ただ、不安なだけです。数字は予定通りです」


 二度目の四半刻で、西が崩れかけた。


「西、上限を超えます!」


 伝令が走り込む。


「隣は」


「北西と南西です。両方へ伝えました」


「返答は」


「北西は下げました。南西が、まだ」


 セレナは地図を見た。南西の担当は、資材管理の男である。


 行きたい、と思った。走れば四半刻で着く。着けば、自分で流量を読んで、自分で下げられる。それが一番速い。


「アシュフォード様」


 局長が言いかけた。


「待ちます」


 セレナは机の縁を握った。


「あの方は、二十年数値を読んでいます。私より読み違いが少ないはずです」


「しかし」


「待ちます」


 言葉にしながら、これが一番難しいのだと思った。任せると決めるのは、紙の上でできる。任せた相手が遅れている時に、それでも待つ方がずっと難しい。


 伝令が戻ってきたのは、四十を数えた後だった。


「南西、下げました」


「数値は」


「下限へ一段。西も戻りました」


 セレナは息を吐いた。


「遅れた理由は」


「下げる前に、南西のさらに隣を確認したそうです。そちらが先に下げていると、下げすぎると」


 その判断は、セレナが出した指示に入っていない。入っていないのに、正しかった。


 三度目の四半刻で、地下から音が上がった。


 王宮の中庭で、石畳が割れた。


 伝令が駆け込んでくるより先に、地面を通して分かった。核の負荷を六十八箇所へ分けたことで、地下二層へ届く量が落ちている。二百年、同じ量を受け取り続けていたものが、急に減った分を取りに来た。


 灰色の腕が石畳の縁を掴み、続いて巨体が地上へ這い出したという。脚は六本。地下で見つかった黒い爪と同じ形だった。


 全長は、白竜の二倍近い。


 ただし、その古代魔獣は、それまで動きが鈍かった。核から注がれる量が減ったぶん、力が落ちている。落ちたことに気づいたらしく、地下へ戻ろうとした。


「戻らせるな!」


 カイルの声が中庭から届く。


 騎士団が退路を塞ぐ。ただし、体格が違いすぎた。腕の一振りで盾が二枚割れる。


「アシュフォード様、中庭が」


「見えています」


 セレナは中庭の方角を見た。ここからは壁で見えず、届くのは報告と音だけである。


「結界を回せますか」


 局長が尋ねる。


「回しません」


「しかし」


「十一箇所のうち一つでも動かすと、輪が崩れます」


 セレナは地図を押さえた。


「中庭は騎士団と光班に任せます」


 その判断は、口にした瞬間から胃が重くなった。カイルがあそこにいる。左脇腹はまだ完治していない。相手は白竜の倍ある。


 それでも、動かせるものが一つもなかった。


 中庭では、ミレイユが光を最大にしていた。


 古代魔獣は、目が退化している。二百年、光のない場所にいたからだった。代わりに、魔力の位置で相手を捉えている。


 だから、光そのものは効かない。効いたのは、光の下で騎士たちが互いの位置を確認できることだった。


「右へ三!」


「盾、二枚重ね!」


 カイルは正面に立たない。魔獣が腕を振るたびに、その内側へ入る。踏み込みは一歩で、振りは小さい。


 三度目の腕を避けた時、膝の裏を切った。巨体が沈む。完全には倒れないが、片膝が地面についた。


「今!」


 騎士六人が同時に槍を入れる。首ではなく、肩の付け根。二百年、床の溝から魔力を受け続けていた場所だった。


 そこだけ、鱗の重なりが薄い。地下の測定記録に書いてあったことだった。溝が最も集中していた方角と、魔獣の体の向きを重ねれば、どこが薄いかは計算できる。


 計算したのはリースで、伝えたのはマルタである。


 カイルは、その紙を懐に入れて中庭へ出ていた。


 魔獣が倒れたのは、夜半から二刻後だった。


 報告が届いた時、セレナは地図の前に立ったままだった。


「討ちました」


「怪我人は」


「騎士が七名。重傷はありません」


「閣下は」


 伝令が一瞬、間を置いた。


「傷は開いていないと」


「本人がそう言ったんですか」


「はい。それから、『後で君が確かめろ』と」


 セレナは筆を置いた。


 確かめさせる、というのは、以前にはなかった言い方である。


「分かりました。四箇所目へ行きます」


 結界網の組み直しが終わったのは、夜明けだった。


 六十八箇所の出力が、新しい配分で落ち着いた。外周は薄く、内側の古代線が核の負荷を分けて受けている。


 地下の測定値は、四割二分まで戻った。三割九分から三分だけである。ただし、下がっていない。


「持ちますか」


 局長が尋ねる。


「半年は持ちます」


「半年」


「その間に、北部九箇所と両国の同時修復を終わらせます」


 セレナは地図を畳んだ。十一箇所の担当が、順に戻ってくる。誰も走っていない。全員、自分の担当を最後まで見てから来ていた。


 資材管理の男が、最後に来た。


「遅くなりました」


「二度、助かりました」


「二度?」


「一度は下げた時。もう一度は、隣の隣を確認した時です」


 男は少し驚いた顔をした。


「指示にありませんでしたが」


「なかったので、書き足します」


 セレナは記録帳を開いた。


『下げる前に、隣の隣の状態を確認する』


     *


 朝の光が広場へ入る頃、セレナは中庭へ行った。


 古代魔獣の死骸は、まだそのままだった。人が十人がかりで測っている。


 カイルは中庭の端に座っていた。医師が包帯を替えている。


「開いてない」


 セレナが何か言う前に、そう言った。


「確かめます」


「言ったのに?」


「確かめろと仰ったでしょう」


「言った」


 カイルは大人しく腕を上げた。


 包帯の下を見る。傷口は開いていない。血の滲みもなかった。


「本当ですね」


「言っただろ」


「言ったことと、開いていないことは別です」


「厳しいな」


 セレナは包帯を戻した。


 それから、中庭の中央を見た。石畳が割れ、その下から巨大なものが引き上げられている。二百年、床の溝が注ぎ続けていた相手だった。


「一つ、報告があります」


「言え」


「結界網の組み直しが終わりました。半年は持ちます」


「君が張ったのか」


「いいえ」


 セレナは首を振った。


「十一人が張りました。私は、どこにも入っていません」


 カイルはしばらく黙っていた。


「真ん中に立たなかったのか」


「立ちませんでした」


「立った方が速いだろ」


「速いです。精度も高いです」


 セレナは中庭の朝の光を見た。


「ただ、私が倒れたら止まります」


 言葉にすると、それは半年前から何度も言われてきたことだった。橋の上で、雪山で、旧兵舎で、同じことを別の人から何度も言われている。


 今日、初めて自分の手でそうした。


「私一人で守る国には、もうしません」


 カイルは何も言わなかった。


 それから、包帯を巻き終えた腕を下ろして、短く答えた。


「そうか」


 それだけだった。


 褒めもしないし、確認もしない。ただ、聞いた。


 セレナは、その返事でよかったと思った。


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