第14話 穿角獣の巣
穿角獣の巣が見つかったのは、その翌朝だった。
丘の中継点が破損した夜、北西の旧鉱山から大きな振動があった。城へ駆け込んできた鉱夫の報告では、坑道の奥から地鳴りが続き、入口付近で黒褐色の魔獣を二頭見たという。
「昨日の逆流で起こしたかもしれません」
セレナが言うと、ローデリックはすぐ否定しなかった。
「可能性は?」
「あります」
自分の失敗と繋がっている可能性。それを口にするのは、思ったより苦しくない。隠す方がずっと悪い。隠したまま調査を続ければ、原因の候補が一つ減った状態で全員が動くことになる。
「行きます」
カイルが剣帯を締める。
「俺も」
「危険です」
「だからだ」
いつもの返事だ。今回は反論しない。
旧鉱山は、城から北西へ一時間半。斜面を削った黒い口が、山肌に横向きに開いている。周囲の草はまばらで、地面には錆びた軌条の跡が二本、途中まで残っていた。
入口には十人ほどの鉱夫が集まっている。今は使われていない坑道だが、春先の排水確認だけは続けていたらしい。
「中に何人?」
カイルが聞く。
「全員出ています」
「よし」
まずそれで安心する。この人はいつも、そこから数え始める。
セレナは入口の壁を確認した。掌を当てると、外の空気より数度低い。
「魔力鉱がありますね」
石工が頷く。
「昔はここから採ってました。質は低いですが」
「穿角獣が来る理由にはなります」
ただし、それだけなら今まで出なかった説明がつかない。
「昨日の逆流で、地下の魔力が一時的に上がった可能性があります」
「餌の匂いが強くなった?」
「近いです」
ガルトが坑道の奥を見る。
「昔、この山にはでかいのがいたぞ」
「でかい?」
「普通の倍くらい」
「巣が残ってるかもしれないな」
カイルが剣を抜いた。
「一頭ずつ誘き出す」
セレナも頷く。
「魔晶石片で入口まで寄せます。狭い場所で囲まれないように」
作戦を決める。石工が崩落危険箇所を見て、騎士が左右を固め、セレナは入口に誘導用の結界を作った。
一頭目は予想通り来た。魔晶石の匂いを追い、坑道から穿角獣が突進してくる。
「左!」
結界で進路をずらすと、カイルが腹側へ剣を入れる。倒れる。二頭目も同じだった。
「いけますね」
騎士が言う。
「まだです」
セレナは坑道奥を見た。振動が止まらない。足の裏で数えると、間隔が短くなっている。
「数が多い」
三頭目。四頭目。作戦は機能していた。
だが、五頭目が出た瞬間、坑道全体が大きく揺れた。
「下がれ!」
石工が叫ぶ。入口上部から小石が落ちた。
次に出てきたのは、今までの個体より明らかに大きかった。肩の高さが人の胸まである。角も太く、根元に岩の粉がこびりつき、先端だけが磨かれたように光っている。
「これか」
ガルトが低く言う。
「昔の大きいやつだ」
巨大個体は入口で止まらず、そのまま突進してきた。
セレナが結界を張る。ぶつかると、膜が大きく歪んだ。
「強い!」
「下げろ!」
カイルの声。結界を維持しながら後退する。
巨大個体の後ろから、さらに二頭。
「三頭同時!」
最初の作戦が崩れた。
「アシュフォード!」
「分かっています!」
考える。一頭ずつ誘導できない。なら、入口を狭くする。
「石工さん! 右壁の支え、外せます?」
「外したら一部落ちるぞ!」
「そこだけ落としたいです!」
石工が壁を見る。迷ったのは二呼吸だけだった。
「できる!」
「お願いします!」
カイルが巨大個体を引きつける。
「騎士二人、左へ!」
ローデリックが叫ぶ。
「小さい二頭を分けろ!」
セレナは巨大個体の右側だけ結界を厚くした。進路が左へ寄る。
「今!」
石工が支えを外す。右側の壁が崩れ、坑道入口の幅が半分になった。土煙が横へ広がり、小型二頭が瓦礫の向こうへ分断される。
「カイル様!」
「見えてる!」
巨大個体が角を下げる。カイルは真正面に立たない。最後まで引きつけ、横へ滑る。
角が地面へ突き刺さった。その瞬間、腹が浮く。
剣が入る。
一度では倒れない。魔獣が身体を振り、騎士が槍で後脚を止めた。
「もう一度!」
カイルが踏み込む。二撃目で巨大個体が崩れ、地面が震えた。
「終わり?」
誰かが言う。
「まだ二頭います」
セレナは瓦礫の向こうを指す。小型二頭は、今度は落ち着いて処理できた。
数分後、坑道は静かになる。残ったのは、崩れた土から立ち上る細い埃だけだった。
セレナは壁にもたれ、息を整えた。
作戦は途中で崩れた。でも、全員が動いた。石工が地形を見て、ローデリックが騎士を分け、カイルが巨大個体を止めた。自分は進路だけ作った。
全部を自分で組み直す必要はなかった。壊れた部分を、それぞれが自分の手の届く範囲で埋めたのだ。
「怪我は」
カイルが近づいてくる。
「ありません」
「本当に?」
「はい」
今回は即答できる。
「そっちは?」
「ない」
「見せてください」
「何を」
「腕」
巨大個体の角を避けた時、鎧の袖が裂けている。
「かすっただけだ」
「それ、私が言うと怒りますよね」
カイルが黙った。セレナは少しだけ笑う。
「見せてください」
傷は浅く、血も止まっていた。
「消毒は必要です」
「分かった」
意外に素直だ。
「今日はどうしたんです?」
「何が」
「反論しない」
「君がうるさくなる前に終わらせたい」
「失礼ですね」
けれど悪い気はしなかった。
坑道の奥を安全確認した結果、巣は古い採掘区画にあった。魔力鉱が露出し、その周辺を穿角獣が掘り広げている。壁面は削り取られ、角の跡が幾筋も残っていた。昨日の逆流で鉱石が一時的に活性化した痕跡もある。
「やはり私たちの試験が引き金です」
セレナは記録する。
「全部?」
ローデリックが聞く。
「いいえ。巣そのものは以前からあります。昨日は活発化させただけ」
「なら昨日何もしなくても、いつか出た?」
「可能性は高いです」
それでも、責任が消えるわけではない。早めたのが誰かは、はっきりしている。
「次は、古い鉱脈も調査項目に入れます」
「増えますな」
「増えます」
ローデリックが苦笑した。
「半年で足りますか?」
「……今はそう思いたいです」
*
城へ戻る頃には夕方だった。
馬から降りたセレナの足が、地面についた瞬間わずかに揺れる。長時間の結界維持で脚に力が残っていない。
「歩けます」
反射的に言った。
カイルが横から見る。
「聞いてない」
「まだ何も聞かれてません」
「顔で分かる」
「今日は皆さんそれを使いすぎでは?」
歩き出す。二歩、三歩。その時、膝が少し落ちた。
次の瞬間、身体が浮く。
「え」
カイルに抱き上げられている。
「降ろしてください」
「遅い」
「歩けます」
「さっき見た」
「今度は大丈夫です」
「信用がない」
周囲の騎士が、見ないふりをしている。見ないふりが下手な者が二人ほどいた。リナは完全に見ている。
「恥ずかしいです」
「落とす方が恥ずかしい」
「そういう問題では」
「医務室まで」
セレナは反論しようとして、やめた。確かに歩ける。でも、今ここで意地を張る必要はない。
「……お願いします」
言うと、カイルが一瞬だけこちらを見た。
「今のは正しい」
「またそれですか」
「進歩したからな」
城門をくぐる。いつも見上げていた門の内側が、今日は少し違う角度で流れていった。
自分で歩かなくても、仕事がなくなるわけではない。失敗しても、間違えても、誰かに運ばれても、また次がある。
セレナはそれを、少しずつ覚え始めていた。
医務室でカイルの腕を診てもらう間、セレナは隣の椅子に座って待った。
「帰っていいぞ」
「傷を見せろと言ったのは私です」
「見せた」
「処置が終わるまでです」
医師が笑う。
「辺境伯様、諦めた方が早いですよ」
「味方がいないな」
「普段の行いです」
リナが背後から言う。
カイルが包帯を巻かれる姿を見るのは初めてだった。布が腕へ巻かれていくたび、剣を持つ形をした腕が、ただの腕に見えてくる。
強い人も怪我をする。当たり前なのに、その事実を少し重く感じた。自分が守られる側に入るなら、カイルも同じなのではないか。
その考えはまだ形にならず、セレナは黙って包帯の白さを見ていた。
*
翌朝、坑道入口へ再確認に行くと、鉱夫たちはすでに瓦礫を片づけ始めていた。
「危険区域には入らないでください」
セレナが声をかける。
「分かってますよ」
昨日助けを求めてきた鉱夫が笑う。
「印をつけてもらった場所より奥には行きません」
地面には赤い杭が並んでいた。石工たちが昨日のうちに立てたものだ。危険範囲が、誰でも見れば分かるようになっている。
「これは良いですね」
「アシュフォード様が『分からない人でも分かる形に』って言ったんでしょう」
「私が?」
「昨日です」
疲れていて、あまり覚えていない。自分の口から出た言葉が、覚えていないうちに杭になって立っている。
「ちゃんと仕事してますね」
「自分で感心しないでください」
リナが横から言った。
坑道の入口では、昨日倒した巨大個体を調べている。角の根元に、青白い鉱粉が付着していた。
「やはり地下の魔力鉱を食べています」
セレナは手袋越しに粉を採取する。
「昨日の逆流だけで、あれだけ大きくなる?」
カイルが聞く。
「いいえ。成長には時間がかかります。少なくとも数年はここにいたはずです」
「誰も気づかなかった」
「使っていない坑道ですから」
問題は、見えない場所で育っていたこと。そして、何かがきっかけで表へ出てきたことだ。
「古代結界も同じかもしれません」
「何が」
「ずっとあった。でも、見ていなかった」
カイルは坑道の暗がりを見る。
「見てなかったから、急に問題になったように見える?」
「はい」
王都の七番塔も、北の結界網も、たぶん同じだ。壊れ始めたのは昨日ではない。昨日まで誰かが支え、誰かが見落とし、誰かが偶然持たせていただけだった。
「嫌な話だな」
「でも、見つけたなら直せます」
「全部?」
「全部は無理です」
以前なら、反射的に『やります』と言っていた。今は違う。
「優先順位をつけます」
「誰と」
「皆で」
カイルの口元が少し緩む。
「それでいい」
坑道を離れる前、セレナは鉱夫たちへ一つだけ頼んだ。
「今後、地鳴りや魔力鉱の光が変わったら、採掘の問題だと思わず城へも知らせてください」
「結界の話かもしれないから?」
「はい」
「分かった」
一人では見えない。だから、見る人を増やす。昨日の失敗から得た答えは、少しずつ形になっていた。
城へ戻る途中、ガルトが巨大個体の角を荷車から覗き込んだ。
「昔のよりでかいな」
「昔も見たんですか」
「子どもの頃、一度だけな」
「その時の記録は?」
「あるわけない」
セレナはすぐ帳面を出した。
「では、今書きます。場所と季節を覚えている範囲で」
ガルトが笑う。
「何でも書くな、お嬢ちゃん」
「残さないと消えるので」
聞き取りを始める。老人の記憶は日付では出てこない。麦の背丈、雪の残り方、父親がまだ生きていたかどうか。そういう目印で場所を探り当てていく。
魔獣を倒したことだけでは足りない。なぜそこにいたのか、前にもいたのか、次は何を見るべきか。今日の戦いも、明日の誰かが使える形にして初めて終わる。
城門へ着く頃には、空が赤く染まっていた。
荷車の上では、巨大個体の角が布に包まれている。戦利品として飾るためではない。削って断面を調べ、魔力鉱の成分を確かめるためだ。
「最後まで仕事ですね」
リナに言われ、セレナは笑った。
「でも今日は、先に夕食にします」
「それなら合格です」
夕食の席では、今日の作戦変更が騎士たちの話題になっていた。
「石工の壁落とし、あれは効いたな」
「でも次は先に退路を二つ作ろう」
「巨大個体が出る前提で?」
「出ない前提よりましだろ」
セレナは会話を聞きながらスープを口へ運ぶ。
誰も最初の計画が外れたことを責めていない。次はどうするかを話している。その輪の中に自分の失敗も普通に混ざっていて、混ざったまま、誰も取り出さない。
それが、思っていたより心地よかった。
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