2【鉈峯】
ここで成果をあげることが、鉈峯優子に課せられた使命であった。
失敗は許されない。己の状況を十二分に理解していた彼女に躊躇はなかった。
同行した三名のスタッフは着々と準備を進めている。
女性助手が組み立て式の簡易ラックに外科用器具を並べ、体躯の良い男性助手が屈んで液体タンクと器具を繋ぎ、数メートル離れた場所では若い男性助手が黒塗りの装置にバッテリーを繋いでいた。
鉈峯が選んだスタッフはみな手際が良く、動きに無駄がなかった。鉈峯はやや離れた場所で書類の束をめくり、各項目のチェックを行っている。
目の前に二〇代前半と思われる女性の死体。
発見当初は、ぬかるんだ土の上に寝た状態だったが、今は白いシーツで全身を包まれ、器具の運搬に使用したトランクケースを背もたれにして座っている。
泥に塗れていた身体は綺麗に拭われ、乱れた髪も整えられていた。
被害者女性はショートボブの似合う可愛らしい顔をしているが、一見して死者とわかる無慈悲な事実は変わらず存在していた。外見上の損傷は見られないものの、時間が経過したぶんだけ内部損傷は進行する。秒単位で死滅し続けている脳細胞のことを考えると、一刻も早く処置に取りかからなければならない。
「微妙なところね」
後方から声をかけられて、鉈峯は顔を顰めつつ振り返った。手を伸ばせば届く近い位置に、グレイ地のパンツスーツ姿の女性が立っていた。三〇代後半と思しき、スタイルの良い長身の女性である。
鉈峯は短く息を吐き、視線をそらして書類に目を落とした。
下唇を噛んで、先週末に購入したばかりの眼鏡フレームを右手で弄る。大好きな女優が映画の中でかけていたものと同じ、アイフォリクス社の眼鏡である。同じ眼鏡をかけたいがために取扱店を五店舗もハシゴしたけれども、そのときの情熱は思いだせないくらい遠い記憶となってしまっている。
「口を挟まないで下さい」鉈峯は感情を押し殺した静かな声で返した。
「怖いわね。私は敵じゃないのよ? 協力して成功させましょうよ」
見下した風にとれる物言いでパンツスーツ姿の女性は言う。
鉈峯は向き直ると、投げつけるように書類の束を渡した。一五センチほどある身長差から、見あげるかたちとなるのは致し方ない。「邪魔です。テントの外にでてもらえますか」
荒い口調で告げるも、女性は動じることなく、挑発するような口ぶりで言葉を返した。「そういうわけにはいかないの。大丈夫なの? 時間が経ち過ぎているように思うけど」
「わかってます」
「急いだら?」
「だから、わかってますって!」
荒げた声に被せて、離れた場所にいた助手が、準備が整ったことを告げた。
鉈峯は頷いて返すと背を向けて、ポケットから医療用の手袋を取りだした。
「イライラはミスを招くわよ」鉈峯の背に向け、女性が言葉を放つ。
鉈峯は無視で答え、背筋を伸ばして顎をあげた。
「イノハラ、ゲヒルン保存溶液の追加投与」女性助手へと指示をだす。天然ゴムラテックス製の手袋が、素材独特のパチリという音をたてた。指示を受けた女性助手は死体に短い黙祷をささげると、注射器の針を顎の下へと突き立てた。薄い赤紫色の液体が被害者女性の体内へ挿入される。「ポンプ用意。タキくん?」
「はいッ」緊張しているのか、若い男性助手は声を裏返らせた。
「計器の数値を読みあげて。三〇秒おきに。これより全胸部切開を行う」
よく通る声で告げた鉈峯は、死体の前に腰を下ろしてラックへと手を伸ばし、銀色に輝くメスを手に取った。




