第十二幕 城巡り、そして花火大会
8月。夏休みも半ばを迎えたある朝。
りんか、まひる、音羽、綾音、風花、美春、そしてアリスの七人は、隣県へ向かう電車に揺られていた。
「もうすぐ青峰市だよ!」
窓の外を眺めていたりんかが声を弾ませる。
「朝から元気だね……」
まひるは眠そうに目をこする。
「だって今日は旅行だよ? しかも花火大会!」
「日帰りだけどね」
音羽が笑った。
三年生たちは進路活動や予定が重なり、今回は不参加。
『だったら私たちだけで、どっか遊びに行こうよ!』
りんかの一言で決まった行き先が、隣県の観光都市・青峰市だった。
城下町として知られ、街の中心には青峰城がそびえる。夜には青峰川で大規模な花火大会も開かれる。
「お城なんて久しぶりに見るかも」
美春が観光パンフレットを開く。
「天守まで登れるみたいですよ」
「絶対行こう!」
りんかが即答する。
「その前に食べ歩きでしょ」
風花はすでにスマホで店を探していた。
「朝から食べること考えてる……」
綾音が苦笑する。
そんな六人を眺めながら、アリスは窓の外へ目を向けた。
遠くに、白い天守が小さく見え始めている。
「……日本にいるうちに、一度くらいこういう場所へ来てみたかったわ」
「じゃあ今日は、思いっきり観光しましょう」
音羽が笑う。
「ええ」
アリスも小さく笑い返した。
やがて車内アナウンスが、青峰駅への到着を告げる。
「よーし!」
りんかが立ち上がる。
「後輩組七人、夏の日帰り旅行――スタート!」
「だから車内で叫ばない!」
音羽のツッコミと笑い声を乗せたまま、電車は青峰駅のホームへ滑り込んでいった。
改札を抜けると、七人の目の前に夏の城下町が広がった。
「おおーっ!」
りんかが真っ先に声を上げる。
駅前には観光案内所や土産物店が並び、大通りの正面には白い天守が青空の中にそびえていた。
「見えた! あれ青峰城だよね!」
「ここから歩いて二十分くらいみたいです」
美春がパンフレットを確認する。
「じゃあ行こう!」
「待って。途中に食べ歩きできる通りある」
風花がスマホを見せる。
「行こう!」
「目的変わってない?」
音羽が笑う。
「城は逃げないから!」
「食べ物も逃げませんよ……」
まひるが小さく突っ込んだ。
七人は観光客で賑わう大通りを歩き始める。
やがて近代的な駅前から、格子戸の商家や暖簾を掲げた和菓子屋、古民家風の店が並ぶ城下町へと景色が変わっていった。
「なんか、前に行った撮影所を思い出しますね」
綾音が辺りを見回す。
「あー、時代劇のセット!」
「確かに似てる」
風花も頷いた。
アリスは古い商家を見上げる。
「あの時は、こういう町並みを一から作っていたのよね」
「本物みたいでしたけど、裏側は木材で組まれてましたね」
まひるが懐かしそうに答える。
「でも今日は本物の城下町か」
りんかが笑った。
「撮影所では私たちも町娘やったもんね!」
「ひのり先輩、見えない刀まで振ってたし」
音羽が苦笑する。
「『悪代官!』ってやつですね」
綾音も思い出して笑った。
そんな話をしながら歩いていると、店先から焼き団子の香ばしい匂いが漂ってきた。
「……いい匂い」
風花が足を止める。
「やっぱ食べるんじゃん」
「これは不可抗力」
「何が?」
「匂い」
「食べよ食べよ!」
りんかもすぐに乗っかる。
七人は団子を買い、食べながら再び城へ向かった。
アリスも一口かじる。
「……美味しい」
「アリス先輩、初めて?」
「ええ」
「じゃあ今日は日本観光ツアーだ!」
りんかが笑う。
「あなたも観光客でしょう」
「確かに!」
七人の笑い声が、夏の城下町に溶けていった。
やがて建物の間から、お堀に囲まれた青峰城の巨大な石垣が姿を現した。
「うわ……近くで見ると全然違う」
綾音が足を止める。
堀の向こうには高い石垣と白壁。その先には城門がそびえていた。
「石、一個一個デカくない?」
風花が見上げる。
「これを機械もない時代に積んだのよね」
アリスの言葉に、まひるも石垣を眺める。
「撮影所のセットとは、やっぱり違いますね」
「でも、本物を見た後だと、セットの見え方も変わりそう」
音羽が言うと、まひるはすぐに頷いた。
「これを再現するなら、どんな素材を使うんだろう……」
「もう作る側の見方になってる」
風花が笑った。
七人がそのまま進むと、太い木材で組まれた大きな城門が現れる。
「でっか!」
りんかが目を輝かせた。
「なんかテンション上がってきた!」
「嫌な予感」
音羽が呟いた、その直後。
りんかが腰を低くして城門の奥を睨んだ。
「敵の将軍はどこだ!」
「りんか先輩! きっと天守です!」
なぜか綾音まで乗ってくる。
「よし綾音! 攻め込むぞ!」
「はい!」
「……何と戦うつもりなの」
アリスが呆れたように言う。
「敵将!」
「敵将です!」
「いないわよ」
風花が二人を見比べる。
「……ひのり先輩が二人いるみたい」
「えっ、私そんなに!?」
「りんか先輩は前からでしょ」
「ひどっ!」
美春もくすりと笑う。
「綾音ちゃんまで、かなり影響されていますね」
「ちょっと乗ってみただけだから!」
そんな二人を見ていた音羽が、ふと城門を見上げた。
「……でも、せっかくなら」
小さく息を吸う。
「ブオォォォォ――!」
「おおっ!?」
「音羽先輩!?」
突然、法螺貝のような低い音が響き渡った。
さらに音羽は声色を変える。
「敵襲ー! 城門を守れー!」
「門を固めろー!」
まるで城内に家来たちがいるような声に、周囲の観光客まで振り返る。
「すごい! 本当にいるみたい!」
綾音が目を輝かせる。
すると音羽は、今度は重厚な声へ切り替えた。
「――時は令和。舞風学園演劇部七名、天下分け目の城攻めに挑まんとしていた」
「ナレーションまで始めないで!」
「敵兵、その数――およそ一万」
「増やしすぎよ!」
「対する舞風勢、わずか七名。しかし、彼女たちに退くという選択肢はなかった――」
「……ここまでやるなら私も行く!」
風花まで拳を上げる。
「風花ちゃんまで!?」
「直感大事!」
美春も静かに城門を見る。
「では敵兵が城門の内側に待機している設定にしましょう」
「設定を追加しない!」
「……じゃあ私は、負傷した人の手当てを……」
「まひるまで参加しない!」
次々と飛んでくるボケに、アリスが頭を抱える。
「あなたたち、普通に城を見ることはできないの!?」
「アリス先輩はどうします?」
「参加しないわよ!」
一拍。
「……ただし、正面突破は非効率ね。二手に分かれた方がいいわ」
「一番本気じゃん!」
「違う!」
りんかが見えない刀を構える。
「よーし! 全軍、城門突破だー!」
「おーっ!」
「ブオォォォォ――!」
再び法螺貝が響く。
「――かくして舞風勢は、難攻不落の城門へ進軍を開始したのである!」
「普通に入場しなさい!」
笑いながら、七人は城門をくぐっていった。
以前は撮影所で、作られた江戸の町を役として歩いた。
今日は本物の城を、自分たち自身として歩いている。
「そういや撮影所でも、ひのり先輩こんな感じだったよね」
「時代劇のセットで『悪代官を成敗する!』って」
「……やっぱり似てるじゃん」
「違う! 私は敵将だから!」
「そこ重要なんだ……」
七人の笑い声が、城内へと続いていった。
その先に現れたのは、白壁と黒瓦を重ね、夏空へそびえる青峰城の天守だった。
城内へ入ると、外の暑さとは違うひんやりとした空気が流れていた。
「涼し……」
風花が息を吐く。
城内には青峰城の歴史や瓦、武具、当時の衣装などが展示されている。
「お、刀!」
りんかが展示ケースへ寄っていく。
「触れないよ」
「分かってるって!」
「さっき敵将探してた人だから一応」
「信用ないなぁ!」
一方、まひるは再現された衣装をじっと見つめていた。
「……やっぱりそこ見るんだ」
「気になるんです」
「撮影所でもずっと見てたもんね」
「それはそれ、これはこれです」
そんなやり取りをしながら城内を見て回り、七人は天守へ続く階段へ向かった。
「思ったより急!」
綾音が手すりにつかまる。
「昔の人、毎日これ上ってたの?」
風花がぼやく。
「運動不足ね」
アリスが後ろから言う。
「アリス先輩に言われたくない」
「どういう意味?」
「スポーツセンターの平均台」
「……忘れなさい」
即答だった。
「まだ根に持ってる!」
笑いながら何層もの階段を上り――。
「着いたー!」
最上階へ出た瞬間、夏の風が吹き抜けた。
「うわぁ……!」
眼下には城下町と青峰へ続く大通り。遠くには山々が連なり、青峰川が陽光を反射している。
「高っ……」
綾音がおそるおそる窓際へ近づく。
「さっきの駅、あそこじゃない?」
「あ、本当だ!」
りんかが身を乗り出しかける。
「危ない」
「はい」
音羽に止められ、すぐに引っ込んだ。
「あの川で花火やるんだよね」
風花が青峰川を指差す。
「夜は全然違う景色になりそうですね」
美春も遠くを眺める。
アリスは窓辺に立ったまま、しばらく街を見つめていた。
「……日本にいる間に、こういう景色を見られて良かったわ」
そして静かにスマホを取り出す。
「写真、撮っておこうかな」
「だったらみんなで撮ろうよ!」
りんかがすぐに反応した。
近くの観光客に頼み、七人は青峰市を背に並ぶ。
「アリス先輩、もっとこっち!」
「近いわよ」
「風花も笑って!」
「笑ってるし」
「それ真顔!」
わいわいと位置を整え――。
「はい、チーズ!」
カシャッ。
夏空と青峰市を背景に、七人の笑顔が一枚の写真に収まった。
「おお、いいじゃん!」
りんかが画面を見せる。
「りんか先輩、ピース大きすぎます」
「そこが私らしさ!」
みんなが笑う中、アリスもスマホを取り出した。
「……私にも送って」
「もちろん!」
りんかは笑顔で答えた。
青峰城を出た七人は、城下町の和食処で昼食を取ることにした。
「私は天丼!」
りんかは即決。綾音はとろろ蕎麦、美春は天ざる蕎麦、まひるは焼き魚定食、風花は親子丼を選ぶ。
「食べ歩きするんじゃなかったの?」
「これは別腹」
「親子丼は別腹じゃないでしょ」
綾音が笑った。
音羽は青峰名物の炊き込みご飯御膳。アリスは焼き魚や煮物、胡麻豆腐などが並ぶ青峰御膳を注文した。
やがて料理が運ばれてくる。
「最高!」
丼からはみ出す海老天に、りんかが目を輝かせる。
「……うま」
風花も親子丼を頬張り、満足そうに目を細めた。
「急に元気になったね」
「食事は大事」
一方、アリスは小鉢を不思議そうに見つめていた。
「これは?」
「胡麻豆腐です」
「豆腐なの?」
一口食べて、少し目を丸くする。
「……思ってたのと違う。でも美味しいわ」
ふと、アリスが音羽の御膳を見る。
「音羽、それも美味しそうね」
「食べます?」
「いいの?」
「胡麻豆腐と交換なら」
「ちゃっかりしてるわね」
「交渉成立ですね」
「もう決定なの?」
音羽が笑いながら炊き込みご飯を取り分ける。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。じゃあ、こっちも」
二人は小鉢を交換する。
「こういうのも旅行っぽくていいね!」
りんかが天丼を食べながら笑う。
「りんか先輩は食べるのに夢中じゃないですか」
「だって美味しいんだもん!」
そんな他愛のない会話を交わしながら、七人の賑やかな昼食は過ぎていった。
昼食を終えた七人は、城下町の土産物屋へ立ち寄った。
「見て! 木刀ある!」
りんかが棚から一本取り上げる。
「これ買おうかな!」
「買ったら先生に預けないとね」
音羽がさらりと言う。
「え、なんで?」
「修学旅行じゃないんだから」
「じゃあ預けなくていいじゃん!」
「そもそも買わなくていいでしょ」
笑いながら店内を回り、部員たちへの菓子をいくつか選んで店を出た。
その後は古い町家の残る路地を歩いたり、小さな神社に立ち寄ったり、甘味処でかき氷を食べたり。青峰川沿いでは昼間に登った城を背景に写真を撮り、ベンチで休みながら他愛のない話をした。
そうして気の向くままに城下町を巡っているうちに、夏の太陽はゆっくりと西へ傾いていった。
夕方になると、町の空気が一変した。
浴衣姿の人々が増え、通りには屋台が並ぶ。焼きそばやたこ焼きの香りが漂い、提灯にも次々と明かりが灯っていく。
「うわー! 一気にお祭りっぽくなった!」
りんかが声を弾ませる。
「青峰城も」
美春が振り返った。
夕闇の向こうでは、昼間に登った白い天守がライトアップされている。
「朝から見てるのに、全然違って見えますね」
綾音が呟く。
アリスも少しの間、その光景を眺めていた。
「日本の花火大会って、こういう雰囲気なのね」
「ここからが今日のメインイベントですよ」
音羽が笑う。
「お城はメインじゃなかったの?」
「両方メインです」
「便利な言葉ね」
二人が笑い合う。
やがて七人は、屋台と提灯の明かりに導かれるように、花火大会の会場となる青峰川の河川敷へ向かった。
河川敷へ着く頃には、辺りはすっかり夜の色に包まれていた。
青峰川の水面には提灯や屋台の明かりが揺れ、その向こうにはライトアップされた白鷺城が静かに浮かんでいる。
「いい場所じゃん!」
りんかが空いていた場所を見つけ、七人は並んで腰を下ろした。
「先輩たちにも送っとこう」
りんかが城と川を一枚に収め、演劇部のグループへ送る。
【りんか】
『もうすぐ花火! 白鷺城もめっちゃ綺麗!』
ほどなくして返信が届いた。
【ひのり】
『いいなーー!! 私も行きたかった!!』
【七海】
『夜の城もいい雰囲気だね』
【唯香】
『楽しんできてね。帰りは気をつけて』
「唯香先輩、やっぱり保護者みたい」
風花が笑う。
「ひのり先輩は予想どおりだね」
綾音もスマホを覗き込んだ。
そんなやり取りをしているうちに、会場の照明が少し落ちた。
「始まるみたいですね」
美春が空を見上げる。
やがて――。
ヒュルルルル……。
一筋の光が夜空へ昇った。
ドンッ――!
「うわぁっ!」
黄金色の大輪が夜空いっぱいに広がる。
続けて赤、青、緑。
次々と打ち上がる花火が青峰城を照らし、川面にも鮮やかな色を映していった。
「大きい……!」
綾音が目を輝かせる。
「音まで身体に響くね」
音羽も空を見上げた。
風花は一度スマホを構えたものの、すぐに下ろす。
「……写真じゃ全然伝わらないな」
「じゃあ直接見とこ!」
りんかもスマホをしまった。
しばらく七人で花火を眺めていると、アリスが静かに呟いた。
「……来てよかったわ」
「でしょ?」
音羽が隣で笑う。
「去年は、こうして一緒に花火を見るなんて思わなかったですね」
「私もよ」
アリスも笑った。
「去年だったら、花火の見方まで指導されそうですけど」
「しないわよ」
「『姿勢が悪い』『もっと腹式呼吸で感動しなさい』とか」
「そんなこと言うわけないでしょう!」
音羽が吹き出す。
アリスも呆れながら、結局一緒になって笑った。
「また二人で笑ってる!」
りんかが振り返る。
「今日ずっと仲良しじゃん!」
「花火見なさい」
「はーい!」
七人の笑い声が、花火の音に重なった。
やがて終盤を迎え、何本もの光が一斉に空へ昇っていく。
ドン、ドン、ドン――!
夜空を埋め尽くす大輪。
白鷺城も、川面も、七人の横顔も、一瞬だけ真昼のように明るく照らされた。
今度は誰もスマホを構えなかった。
ただ七人で、同じ夜空を見上げていた。
「……来年は、先輩たちも一緒に来ようよ」
りんかがぽつりと言う。
まひるたちが笑って頷く。
けれど、アリスだけはほんの少し目を細めた。
来年の夏には、ひのりたちはもう卒業している。
そして自分も、日本にはいない。
今日と同じ七人で、同じ夏を過ごすことはもうない。
「……そうね」
それでもアリスは笑った。
「いつか、またみんなで来られたらいいわね」
最後の大きな花火が、青峰の夜空いっぱいに咲いた。
朝から城下町を歩き、天守から見た景色を見て、昼食を囲んで笑ったこと。
そして今、七人で見上げている夏の夜空。
いつか、それぞれが別の道へ進んでも――。
この一日は、きっと誰かの記憶の中で、ずっと鮮やかなまま残り続ける。
花火が消えたあとも、七人はしばらく夜空を見上げていた。
続く。




