第14話「隠れ木に射し込む陽光」
バルザックの逮捕から数日が経過した。
王都の裏社会にはびこっていた黒い靄が晴れ、街には活気と安心感が戻ってきている。
雲ひとつない青空が広がる午後。
カフェ『隠れ木』の店内は、これまでにないほどの賑わいを見せていた。
入り口近くの大きなテーブル席には、東区の孤児院からやってきた子供たちが鈴なりに座っている。
マーサ院長の引率のもと、事件解決のお祝いとしてリゼが彼らを招待したのだ。
「リゼお姉ちゃん、このケーキ、すっごく美味しい」
口の周りにクリームをいっぱいつけたレオが、満面の笑みで声を上げる。
隣では、ミアが両手でフォークを握りしめ、宝石のように輝くフルーツタルトを少しずつ大切そうに口に運んでいた。
サクサクに焼き上げられたパイ生地。
その上には、濃厚な甘さのカスタードクリームと、朝一番で市場から仕入れた新鮮な苺や白桃がたっぷりと乗せられている。
表面に塗られたシロップが、光を反射して艶やかに光っていた。
「急いで食べなくても、まだたくさんあるからね。紅茶のおかわりはどう」
リゼはエプロン姿でテーブルの間を立ち回り、子供たちの空いたグラスに温かい林檎の紅茶を注いでいく。
焼きたてのパイ生地の香ばしい匂いと、甘いカスタードクリームの香りが、狭い店内を幸せな空気で満たしていた。
カウンター席の端では、非番のルークが私服姿でその光景を眺めている。
鎧を脱いだ彼の表情は、騎士としての重圧から解放され、年相応の柔らかなものになっていた。
「子供たちがこうして笑っていられるのも、平和になった証拠だね」
ルークは手元の珈琲カップを持ち上げ、芳醇な香りを楽しむように目を閉じた。
今日の珈琲は、苦味を抑え、果実のような華やかな酸味と甘みを持つ浅煎りの豆を使用している。
争いのない穏やかな午後にふさわしい、明るい味わいのブレンドだ。
丁寧に抽出された液体は、透き通った琥珀色をしている。
「ええ。マーサ先生も、最近はよく眠れるようになったと仰っていました。ルーク様たち騎士団の皆様が、街を守ってくださっているおかげです」
リゼはカウンターの奥に戻り、洗い物をしながら静かに微笑んだ。
窓からは、傾きかけた太陽の光が黄金色の束となって差し込んでいる。
光の粒子が、埃一つない清潔な床板の上で踊っていた。
子供たちの無邪気な笑い声。
カップとソーサーが触れ合う軽やかな陶器の音。
ストーブで沸く湯の優しい響き。
それらすべての音が重なり合い、リゼの耳にはどんな名曲よりも美しい交響曲のように聞こえた。
リゼはふと手を止め、店内の光景をまばたきもせずに見つめた。
前世の記憶。
それは常に、血の匂いと硝煙、そして死にゆく者の呪詛の声に彩られていた。
誰も信じず、誰にも心を許さず、ただ暗闇の中で他人の命を刈り取るだけの機械のような人生。
転生してからも、その冷たい感覚はずっと心の奥底にこびりついていた。
いつかまた、裏切られ、すべてを失う日が来るのではないかという見えない恐怖。
しかし今、彼女の目の前にあるのは、血の匂いなど欠片も存在しない温かな日常だ。
自分が淹れた珈琲で笑顔になる人がいる。
自分が焼いたお菓子で喜んでくれる子供たちがいる。
自分の身を案じてくれる優しい騎士がいる。
前世から引きずっていた冷たい孤独が、この瞬間、完全に溶け去っていくのをリゼは感じた。
これは、与えられた奇跡ではない。
自らの意志で戦い、自らの手で掴み取った、かけがえのない幸福なのだ。
彼女の小さな胸の奥に、熱い感情がこみ上げてくる。
暗殺者としての古い魂は、今日、この陽だまりの中で永遠の眠りについた。
今の彼女はただの、珈琲と甘いお菓子を愛する、十歳のカフェの店主である。
「リゼちゃん、どうしたの。なんだか、すごく嬉しそうに泣いているみたいだけど」
ルークが不思議そうに首を傾げる。
リゼは慌てて目尻を指先で拭い、太陽のように明るい笑顔を向けた。
「なんでもありません。ただ、今日の陽射しが、とても暖かくて気持ちがいいなと思っただけです」
窓の外には、抜けるような青空がどこまでも広がっている。
リゼは新しい珈琲豆の袋を開けた。
香ばしい匂いが広がり、彼女の新しい人生の幕開けを優しく祝福していた。




