第12話「地下迷宮の死神と正義の足音」
◇ルーク視点
王都の貴族街。
優雅な音楽が流れていた夜の空気は、怒号と金属の擦れ合う音によって無残に打ち破られていた。
バルザック家の正門を、数十名の重武装の騎士たちが包囲している。
部隊の先頭に立つルークは、手にした長剣を鞘に納めたまま、力強く前へと進み出た。
「騎士団からの緊急の通達である。バルザック卿に、重罪の疑いで捜査令状が発行された。抵抗する者はすべて公務執行妨害で捕縛する」
ルークのよく通る声が、広大な前庭に響き渡る。
入り口を塞ごうとしていた傭兵たちは、正規の騎士団が放つ重圧の前に、次々と武器を捨てて膝をついた。
昨夜、リゼのカフェで苦い珈琲を飲んだ後、事態は急転直下で動いたのだ。
ゼスの所持品から見つかった暗殺の依頼書。
そこに記されていた特殊な暗号インクを、騎士団の専門官が徹夜で解読することに成功した。
内容は、バルザックが孤児院を含む東区の土地を不法に占拠するため、目障りな人物の抹殺を指示したものだった。
動かぬ証拠を前に、ついに王宮の法務省も令状を発行せざるを得なくなったのである。
「一階の広間を制圧しろ。客人を傷つけないように誘導するんだ。私は三階の執務室へ向かう」
ルークは部下たちに的確な指示を飛ばし、屋敷の豪華な大階段を駆け上がった。
心臓が早鐘のように鳴っている。
悪党を法の下に引きずり出せる喜びと、得体の知れない不安が混ざり合っていた。
三階の廊下には、不自然な静寂が広がっている。
見張りの男たちが、気絶したまま床に転がっていたからだ。
外傷はほとんどなく、一撃で意識を刈り取られた痕跡がある。
それは、ガルド商会を壊滅させたあの正体不明の義賊の手口と酷似していた。
『彼が、すでに来ているのか』
ルークは息を飲み、突き当たりにある執務室の扉へと急いだ。
◆ ◆ ◆
冷たく滑る石の壁面を、リゼは音もなく登り続けていた。
指先に装着した鉄の鉤が、石の継ぎ目に深く食い込む。
腕の筋力だけに頼らず、背中と腰の筋肉を連動させて体を上に引き上げる。
酸素の消費を最小限に抑える特殊な呼吸法を繰り返し、筋肉の疲労を麻痺させていた。
はるか頭上に見える、隠し扉のわずかな隙間。
そこから漏れ出る室内の光が、徐々に大きくなっていく。
十分な時間をかけ、彼女はついに床下の一歩手前まで到達した。
壁面に鉤を打ち込み、体を空中で固定する。
上の部屋の様子を、聴覚を研ぎ澄ませて探った。
「くそっ、なぜ騎士団がこんなに早く動いたのだ」
バルザックの焦燥に満ちた声が聞こえる。
紙の束を次々と火に投げ込んでいる音がした。
証拠隠滅を図っているのだろう。
部屋の中には彼一人しかいない。
廊下の外からは、多数の金属鎧が擦れ合う音と、ルークの指揮する声が近づいてきていた。
『時間がありませんね。ここでお別れです』
リゼは隠し扉の裏側の構造を指先でなぞり、固定用の歯車を見つけ出した。
鉄の鉤の先端を歯車の隙間にねじ込み、てこの原理で強引に破壊する。
金属が砕ける鋭い音が鳴り、ロック機構が外れた。
リゼは扉を下から強く押し上げ、執務室の床へと音もなく滑り出る。
黒装束の少女が、炎の揺らめく暖炉の前で振り返ったバルザックの背後に、影のように立ち上がった。
「ヒッ……」
バルザックの喉から、蛙が潰されたような悲鳴が漏れる。
穴の底で死んだはずの死神が、無傷で背後に立っているのだ。
彼の精神は恐怖のあまり限界を迎え、腰を抜かして床にへたり込んだ。
「あなたには、法の下で自らの罪をすべて償っていただきます」
リゼの冷たい宣告とともに、執務室の扉が外から激しく蹴り破られた。
「そこまでだ、バルザック卿」
剣を構えたルークが、数名の騎士とともに部屋へとなだれ込んでくる。
ルークの視線が、床に座り込むバルザックと、燃えかけの書類の山を捉えた。
だが、その部屋にはもう一人いるはずだった。
ルークがかすかな気配を感じて窓際へと顔を向ける。
開け放たれた窓。
夜風に揺れるカーテンの向こう側に、夜の闇へと溶けていく黒い影の端が、一瞬だけ見えた気がした。
「……義賊、なのか」
ルークのつぶやきは夜風にかき消される。
バルザックは騎士たちに両腕を拘束され、絶望に満ちた顔で引き立てられていった。
屋敷の屋根の上から、その光景を静かに見下ろす瞳がある。
リゼは黒い布を外し、夜の冷たい空気を深く吸い込んだ。
王都の空には、美しい半月が浮かんでいる。
すべての清算は終わった。
明日からはまた、平穏で温かいカフェの日常が待っているのだ。
リゼは小さく微笑み、月明かりの中を軽やかに家路へと急いだ。




