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資格を学んで人生やり直し  作者: 仕事が生きがい~結婚諦めた~
第四章 その資格の名前は後から付いてくる

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幕間 線の外を見る

この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。

喫煙室は、相変わらず静かだった。

換気扇の低い音と、遠くの業務音が、壁を一枚隔てた向こうで混じり合っている。


男が火をつけると、少し遅れて社長が入ってきた。

言葉は交わさない。

並んで煙を吐く、その沈黙が、この場所の会話の始まりだった。


しばらくして、社長が口を開く。


「……取ったんだって?」


短い一言だった。

男は頷くだけで答える。


「はい。確認ですけど」


その「確認」という言い方に、社長は小さく笑った。


「らしいな」


資格の話は、そこで終わった。

祝いの言葉も、評価もない。

それで十分だった。


しばらく間を置いて、男が言う。


「守れたと思ってたんです。

でも、ただ見てただけでした」


社長は煙を灰皿に落とし、男の方を見ないまま続けるのを待つ。


「今回は、誰も怪我してない。

事故も起きてない。

でも……落ちなかっただけでした」


男の声は、淡々としていた。

反省というより、報告に近い。


「自分がいないと、同じ判断はできなかった。

線が、自分の目の中にしかなかった」


社長は、ゆっくりと頷く。


「それに気づいたなら、もう十分だ」


男は少しだけ首を傾ける。


「十分、ですか」


「気づかないまま、線を引き続ける奴の方が多い」


社長は言い切った。


「線を引けるのは、才能じゃない。

責任感だ。

でもな、線の外を見るのは……覚悟だ」


男は、その言葉の重さに、黙り込む。


これまで、線を引くことに集中してきた。

越えさせないために。

戻せるようにするために。


だが、線の外まで見続けることは、

どこにも属さない立ち位置を引き受けることだった。


「正しい判断をした、で終わると楽なんだ」


社長は続ける。


「でも、『誰が見落とされるか』まで考え始めると、

居心地は一気に悪くなる」


男は、第四十一話で見た“守れなかった名前”を思い出す。

線のこちら側で、正しかったはずの判断。

それでも、取りこぼしたもの。


「……正解があっても、

守れないものは、残るんですね」


「残る」


社長は短く答えた。


「だから、線を引いたら終わり、じゃない。

むしろそこからが始まりだ」


煙が静かに立ち上る。


「線を守る奴は、いずれ交代できる。

仕組みにすればいい」


社長は男の方を見て、少しだけ声を落とした。


「でも、線の外に立つ奴は、そう簡単に替えが効かない」


男は、はっとする。

それは期待でも、役割の押し付けでもない。

ただの事実だった。


「お前がやったのは、正解を広げたことじゃない」


社長は言う。


「正解から、**お前を引っ込めた**ことだ」


男は息を呑む。


自分が前に出ないようにした。

判断を回路にした。

いない場所で、線が動くように設計した。


それは、楽になるためじゃない。

必要なくなるための準備だった。


「怖くなかったか」


社長が訊く。


「自分がいなくても、回るってことは、

自分が要らなくなるってことだからな」


男は少し考えてから、答えた。


「怖いです。

でも……残れない線の方が、もっと怖い」


社長は、満足そうに笑った。


「なら、もういい」


煙草を消し、立ち上がる。


「次はな、線を引く話じゃなくなる」


男も立ち上がる。


「線を持たない奴が、どう判断するか。

お前がいなくても、線が生き続けるか」


社長はドアに手をかけたまま、振り返って言った。


「それを見る役だ。

お前は、もう当事者じゃない」


扉が閉まる。


喫煙室に、一人残された男は、

最後の煙を、ゆっくりと吐き出した。


線は、もう自分のものじゃない。


それでも、目を逸らさない。

線の外に立ち続ける胆力だけを、

静かに引き受けて。

お読み頂き、ありがとうございます。

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