第二十四話 「それは、誰の行為だったのか」
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
そのトラブルは、
ごくありふれた形で持ち込まれた。
「取引先が怒ってまして……」
電話口の声は、困っていたが、
どこか当事者意識が薄かった。
理由は単純だった。
現場担当が、
ある約束をした。
納期。
条件。
口頭での調整。
だが、その内容が
社内で共有されていなかった。
「いや、それは対応できませんって
会社としては言いたいんです」
報告に来た社員は、そう言った。
男は、すぐには答えなかった。
——また来たな、と思った。
**“誰の責任か”を
一言で済ませたくなる場面**だ。
以前なら、
「担当の独断ですね」
そう言っていたかもしれない。
だが今は、違う。
「その人、
どんな立場で話しました?」
社員が答える。
「営業です。
名刺も出してます」
男は、机の引き出しから
テキストを取り出した。
**代理・代表行為**の章。
---
そこには、こう書いてある。
> 代理人が、本人の名において行った行為は、
> その効果が本人に帰属する。
男は、ゆっくり言葉を選んだ。
「まず、この話。
**個人の約束か、会社の行為か**を分けよう」
社員が、少し首を傾げる。
「会社の人間がやったんだから、
会社の行為じゃないですか?」
「——“いつも”はね」
男は続ける。
「でも、
代理として成立するには条件がある」
テキストを指で押さえる。
- 本人のためにする意思
- 代理権の存在
- 本人の名で行うこと
「この三つが揃って、
**初めて会社の行為になる**」
社員は黙って聞いている。
「今回、
その営業に
どこまでの権限があった?」
「……いつもの取引条件まで、です」
「じゃあ、
それを超えてた?」
沈黙。
男は、はっきり言った。
「その場合、
**無権代理**になる可能性がある」
---
無権代理。
テキストの文字が、
妙に重く見えた。
> 代理権のない者がした代理行為は、
> 原則として本人に効力を生じない。
——原則として。
男は、そこに線を引く。
「ただし、
話はそれで終わらない」
追認。
本人(=会社)が
後から「よし」と言えば、
その行為は有効になる。
逆に言えば。
「会社がどう動くかで、
**責任の帰属が決まる**」
社員は、少し息を呑んだ。
「じゃあ……
会社としては?」
男は、すぐには答えない。
これは、
処理の問題ではない。
**立ち位置の選択**だ。
---
社長に、簡単に報告する。
状況。
構造。
選択肢。
社長は、少し考えてから言った。
「これ、
追認しないとまずいな」
男は、うなずいた。
「はい。
交渉の余地は残しつつ、
会社の行為として引き取る形が
一番現実的です」
社長は、男を見る。
「……ちゃんと、
理由も説明できるな」
男は、答えた。
「無権代理ですが、
相手の信頼や現場の実情を考えると、
追認した方がリスクが小さいです」
それは、
感情論じゃなかった。
**代理と責任の構造**を
踏まえた上での判断だった。
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夜、
男は一人で、
テキストをもう一度開く。
代理。
代表行為。
使用者責任。
> 事業の執行について、
> 使用者が被用者に加えた損害は、
> 使用者が賠償責任を負う。
行為者と、
責任を負う者は、
必ずしも同じじゃない。
——だから、
会社は怖い。
でも同時に。
——だからこそ、
構造を知らないと
誰かを守れない。
男は、ページの端に書いた。
> 「誰がやったか」ではなく
> 「誰としてやったか」
社長に指摘された
足りなさ。
それは、知識量じゃない。
**線を引き、
引き受ける位置を
言葉にできるかどうか**。
男は、静かに頷いた。
まだ、足りない。
でも、
戻る場所は
もう迷わない。
お読み頂き、ありがとうございます。




