第十二話 受験しない理由が、通用しなくなった日
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
その日は、
何かが起こったわけじゃなかった。
事故もない。
トラブルもない。
怒鳴り声も、ため息もない。
ただ、
**何も起こらなかった。**
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会議室での打合せ。
議題は、外注先の業務フロー。
「このデータの取り扱い、
どこが責任持つんでしたっけ?」
誰かが、
何気なくそう言った。
その瞬間、
視線が一斉に男に集まった。
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名前は呼ばれない。
肩書きも言われない。
それでも、
「答える人」として
そこに置かれている。
――ああ、
そういう位置なんだな。
男は、
遅れて理解した。
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「契約上は先方ですが、
実務の管理責任はこちらですね」
口は、
自然に動いた。
誰も異を唱えなかった。
メモを取る音だけが響く。
おかしいほど、
静かな時間だった。
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会議が終わったあと、
誰かが言った。
「助かりました」
「そこ、任せてもいいですか」
軽い調子で。
確認するようでもなく。
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男は、
その言葉を断らなかった。
断れなかったのか。
断る理由が、なかったのか。
分からない。
だが一つだけ、
はっきりしていることがあった。
**もう、
“まだ勉強中なんです”
とは言えなくなっていた。**
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夜、
デスクに向かいながら、
男は考える。
試験を受けない理由は、
いくつもあった。
忙しい。
まだ自信がない。
実務で足りている気がする。
どれも、
嘘じゃない。
けれど――
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今日一日、
誰もそれを聞かなかった。
聞かれもしない理由を、
守っていられるのは、
「期待」がないうちだけだ。
いま、男の周りには、
声に出されない期待がある。
**「考えてくれるだろう」
「止めてくれるだろう」
「分かっているだろう」**
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資格があるかどうかは、
きっと関係ない。
けれど、
資格を避け続ける理由を、
説明する必要が出てきた。
その違いが、
男には重かった。
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本棚から、
試験申込の案内を取り出す。
開いて、閉じて、
また開く。
怖さは、消えない。
だが今日、
怖さの“質”が変わった。
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前は、
自分が壊れるのが怖かった。
今は違う。
**曖昧なまま答える自分が、
誰かを守れないことが怖い。**
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男は、
まだ申込みはしなかった。
だが、
もう逃げ道も見ていない。
受験するかどうか、
ではない。
**「受けない自分を、
どう説明するか」**
その問いに、
答えが出なくなった夜だった。
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拾われた男は、
初めて気づいた。
覚悟は、
決意より先に、
役割として現れる。
そしてそれは、
黙ったまま、
逃げ場を塞いでくるのだと。
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