昨日までのお隣さん(一)
友人に恋人が出来たらしい。
朝、教室で教科書を広げていると、満面の笑みで近づいてくる姿。
──付き合えたんだ。
そう報告してくれた友人の表情はとても嬉しそうで。
それ自体はめでたいし、私も祝福を送りたいと思う。だとしても、限度を守って欲しいと思うのは間違いだろうか。
「それでな。あいつ、付き合うってなってから、ずっと俺にくっ付いてるんだ。登校の時なんて、俺の腕にずっと──」
「あ゛ー! 朝から甘いんだよ! その、くそ甘い話、まだ続くのか!?」
「これからだろ?」
不思議そうに私の視線を返す友人。その視線は、私がおかしい、と言っているかのようで。
反論しようと口を開くが、口から出るのは溜息。
頭を過るのは、日々私に語っていた片想い話。それが叶って幸せそうな表情を見ていると、その口を塞ぐのも違う気がして。
話を遮ることを諦め、友人の甘く、重い話を聞いていると、教室の入り口からか細い声が聞こえた。
「ゆ、悠真。これ、今日のテスト範囲のノート」
「おぉ! 助かった」
そう言って、目の前の友人は教室の入り口への方へと消えていく。その後ろ姿に全力の溜息を吐きながら、テストに向けた復習を再開する。
今日は苦手な現社のテスト。朝から甘い話で脳内を埋め尽くされる前に、用語の一つでも、と言葉の塊を詰め込んでいく。
教科書の上で踊り始める単語達。そんな奇怪な光景を錯覚しながらも、一生懸命に苦手な言葉達を飲み込んでいく。
そんなことを一人で格闘していると、視界の端に二人分の足が見えた。
嫌な予感を抱きながらも、ゆっくりと視線を上げる。そこに立っていたのは、甘い話を投げる爆弾魔。そして、その隣には小柄な女子生徒。
「……一応言っとくが、私は勉強中だからな?」
「俺の彼女を紹介させてくれ」
「聞いてたか?」
私の懇願に近い声が右から左に抜けて行くのが見えた。
今の現状が嬉しくて、私にどうしても話したいと伝わってくる友人の表情。ずっと……それこそ、私達の関係が友人になった夏の頃から、ずっと聞かされていた片想い。それが成就したのが、本当に嬉しいのだろう。
私は、形だけの溜息を吐いて、目の前の友人へと促す。
「隣の……君が、寒河江の彼女さんなのかな?」
「は、はい……森 麗香、です」
身体の大きさと比例するかの様なか細い声。よく悪態をつく──と聞いていた想像の姿とは正反対で、そんな雰囲気は微塵も感じさせず。いや、その悪態すら、隣で嬉しそうにしている奴にとっては可愛いと思う原因だったらしいが。
森 麗香と名乗った少女──いや、同じ学年の生徒に対して少女は失礼だろうか。彼女は、大人しく、まるで借りてきた猫かのようで。
「そうか、森さんか。よろしくな。私は北条──森 麗香と言ったか?」
友人の彼女。どこまで仲良くするのが普通なのだろうか、と考えながらも手を差し出す。
しかし、彼女の名前を頭の中で繰り返すと呼び起こされる記憶。期末テストの度に掲示板に貼られる、成績上位者。一年間を通し、常に一番上に書かれていた名前と同じ名前。
真ん中より下を走っている友人へと、怪訝な表情を向ける。
「高嶺の花過ぎないか?」
「何がだ?」
彼女は、私から微妙に隠れる位置で彼氏の服の裾を掴み。掴まれている側は、本当に嬉しそうに。
私は何を見せられているのだろうか。心の内でも溜息を吐きながら、黒板の上に掛けられた時計へと目をやる。そこには、テスト開始まで十分を切っていることが示されていた。
残り時間の少なさに天を仰ぎながら、会話を切ろうと試みる。
「いや……二人がそれでいいなら、いいんだ。その、申し訳ないが、私は勉強をしたくてな。もし、急用がなければ──」
「あ、あの……これ、もし良かったら。悠真から、北条さんにはお世話になったって」
そう言った渡されたのは、表紙に『現社』と書かれたノート。何の変哲もない普通のノート。
恐る恐る受け取り、中身を開いてみれば、赤、青、緑と色とりどりな、でもとても見やすいノート。まるで、誰かに向けた物かのようにとても丁寧で。
いや、所々に書かれた『悠真へ』なんて注釈を見れば、誰に向けられた物かなんて一目瞭然で。
友人の片想いが、実は両想いだったなんて知らされて、私はどんな反応をすればいいのだろうか。私は、小さく笑いながらノートを閉じる。
「いいのか? 森さんの勉強道具だろう?」
「私はもう、復習し終わったから。悠真は……今から暗記させても遅いと思うから」
使われることのなかった悲しいノート。
友人への評価を数段下げながら、そのありがたい提案を受け取る。これを、昨日貸して貰えてたら私の点数は数段上がっていただろう。そんな心残りを抱きながら、私の前から去っていく二人を見送る。
明日にでも返してくれればいいから──と言葉を残し、二人は腕を組み教室の外へ。
「……それでも、お前は勉強した方がいいんじゃないか」
そんな呟きなど届かず、二人は消えていく。
私は友人は、あんなに残念な奴だっただろうか、と考えてしまい。そんな友人への感想を頭の片隅に追いやりながら、私は時計を再び見つめる。
テスト開始まであと数分。どれだけ詰められるか。
何度目になるかも分からない溜息を吐きながら、見やすく、そして綺麗に纏められたノートへと視線を落とす。
***
「どうやったら、あんな綺麗なノートが取れるのだろうか」
テスト終了後、学生の波に紛れながら学校の最寄り駅まで歩く。
テストの手応えは程よく。もう少し点数を上げたいと思うが、勉強が出来る人間はノートを取る時点で差があるようで。
スクールバッグの奥に丁寧に入れられた借り物のノート。その存在に羨望のような感情を抱きながら、小さく溜息。
「落ち込んでいても仕方がないな。それより、明日から再開する部活のためにも──」
春には新入生が入り、新制バスケ部となる。先輩として、後輩に示しのつかない恰好は見せられない。勉強だけではなく、スキルとしても。
引退していった先輩達の姿を思い浮かべながら、自分はどんな風な姿を後輩に見せられるだろうか──なんて、少しこっぱずかしい事を考えながら歩いていく。
「近所の公園で練習をするか? いや、明日のために今日は早く寝た方が」
「お前、相変わらず独り言が多いな」
反射的行動。
部活で鍛えられた反射神経を総動員し、手に持っていたスクールバッグを声のした方へ全力で振りぬく。中には教科書とノート。速度も相まって、十分鈍器としての性能も──。
「あぶねぇだろ……おい、なんだその、仕留めそこなったか、みたいな表情は」
「急に話しかけるな。つい、殴ってしまうだろ」
「もう事後なんだよ」
どこか飄々とした男。平日の、夕方の時間に女子生徒に話しかける姿は、私の目からも怪しさ全開で。
声を掛けられた瞬間、小さな悲鳴を上げてしまい。その恥ずかしさから、この男をどう締め上げようかと本気で考える。
「物騒なこと考えてない?」
「世界平和について考えていた」
そんないつも通りのやり取りを交わし。「車、乗ってくか?」という誘いに、感謝を伝え乗り込む。
見た目は可愛いらしい丸い車の中は、副流煙の温床で。分かり切っていたその状態に、私は後部座席の窓含め全開にしていく。
「寒いだろ……」
「私の健康の方が大事だろ」
胸ポケットから取り出そうとしていたタバコを取り上げながら、私は笑みを返す。
私の曲げる気のない視線に、降参だ、と言わんばかりに男は手を上げる。悲壮感まで感じる男の背中が、運転席へと腰かけ車のエンジンをかけていく。
少しの振動の後、車内に温かな風が舞う。しかし、その風は、全開の窓から再び外へ。
助手席へと座れば、僅かに残る煙の匂いが身体を包む。初めて嗅いだ時は不快と感じた香りも、不本意ながらも慣れてしまい。
私がシートベルトをするのを見届けると、車がゆっくりと動き出す。運転手のだらしない恰好とは打って変わって、とても丁寧な運転。そんな運転に身を任せながら、私は一瞬で通り過ぎる光景を眺めていく。
「……寒いな」
「だから言ったじゃねーか」
そんな何気ないやり取りに小さく笑い、私は目を閉じる。




