昨日までの腐れ縁(四)
「明日最終日だから、お前ら頑張れよー」
担任の先生が、そう言って教室から出ていく。
教室は、今日のテストから解放された喜び。テストの出来に落ち込む声。明日のテスト終わりの予定を今から相談する会話。
私とは関係ないそれらを横目に、急いで帰る準備を進める。
昨日の電話越しの勉強会。その最後に交わした約束。
──私が迎えに行くから教室で待っていて。
昨日のように、あの寒い昇降口で待たれるより、億劫だが他の教室に行った方が精神的に良い。
教室を出て、人がごった返す廊下を進んでいく。
男子の大きい身体が廊下を塞ぎ、壁際に寄って大きな壁を避け。
女子が集団で固まっていて、その間を一言入れて抜けて行く。
どうやって声を掛けようか、と考えながら目的のクラスが見えてくる。滅多に来ない、他クラス。
知らない人に声を掛ける必要があるかもしれない。そう思うだけで、足がすくみ。
しかし教室の前に見えるあいつの後ろ姿。
「帰ろ──」
声を掛けようとして気付く。
あいつの正面には知らない女子生徒。クラスメイトだろうか。楽し気に会話をしている。
声を掛けたら邪魔だろうか。少し待った方がいいだろうか。
少し遠くから二人を見つめる。
しかし、悪いと思っていながら二人の会話が気になってしまって。
楽しそうに話しているあいつの声が聞こえる。
「──でさ。急に食べ始めてさ。可愛いだろ」
「分かった分かった。お前がそいつのことを好きなのは分かったから、帰らせてくれ」
好きな人、いるんだ。いつも隣にいるくせに、そんな話を聞いたことがなかった。
そう言えば、いつも、私の話に合わせてくれて。私から話を振るなんて、あまりしたことなかったかもしれない。
好きな人がいるなら、教えてくれればよかったのに。私に付き合わせてたら、邪魔かもしれない。
頭ではそんな考えが次々に湧き出てくる。
でも、そんな考えが一つ、また一つ浮かんで来るたびに、胸が苦しくなる。
明日から、いや、今日この瞬間から。隣には誰もいなくなるかもしれない。
気付けば、両手は強く握られていて掌には爪痕が残っている。手に残る汗をスカートで拭き取りながら、考える。
いくら考えようと、出る答えは一つ。
「邪魔……だよね」
朝、眠気でボーっとした私を引っ張る手も。
学校からの帰り道、後ろから差す日差しで伸びる、大きさの違う影も。
全部さようなら。
早く、家に帰ろう。こんなつまらない所より、布団の中の方が何倍もマシだから。
大股で、速足で、私は一人、学校を後にする。
***
家の最寄り駅。
私より圧倒的に大きな人の壁。その人混みを、掻き分けながら道路沿いへ。
高校入学後、毎日通った帰り道。今日は、いつもより長く、道幅も大きく感じる。横を通る車は、より近く。青へと待つ信号は長く。
まるで知らない道を歩いているような気分。身体が憶えているから歩く帰り道。
気付けば家の前。玄関を跨いだ所で、何も変わらない独りぼっちな世界。
制服も着替えず、布団に潜り込む。暗闇の中で、携帯の明かりだけが私を照らして。
消費しきったSNS、動画、そして面白さが分からない漫画。
目を閉じたって眠気は訪れず。
布団の中で丸まり、時間が過ぎるのをただ待つ。
暗い、寒い、寂しい。
眠れなくても、ただ、目を閉じる。何を視界に入れるよりか、少しはマシな気がして。
そんな小さな抵抗をしていると、静かな空間に訪問を知らせるチャイムが鳴り響く。
一瞬身体を硬直させるが、無視を決め込み、再び目を閉じる。しかし、再度鳴り響く甲高い音。二度、三度。鳴りやまないチャイム音。
「もう……やめてよ……」
重い足取りで部屋を出て操作パネルへ。
家の中は、私の部屋同様真っ暗で。電気も付けず、ゆっくりと一階へ。
その間も鳴りやまないチャイム音。
「……誰ですか」
パネルを操作し、応答モードに切り替える。
もし勧誘だったら、ぶん殴ってしまうかもしれない。それほどまでに、静寂を破ったチャイム音に苛立ちを感じてしまう。
『やっぱりいるじゃねーか! せめて、メッセージの返信ぐらいしろよ!』
パネル越しに返ってきたのは、よく知る声。音質の悪いパネル越しでも、それはよく分かった。
反射的に声を発しようとするが、すぐに押し留まる。
「……何か用」
『何か用って……お前が教室で待ってろって言ったから待ってたんだろ』
そんなことを言うために、わざわざ来たのだろうか。最寄り駅が同じとは言え、家同士は十五分以上離れているというのに。
「……ごめんなさい。これでいい?」
『そうじゃなくて! 怪我とかないんだよな?』
「怪我?」
何を言っているのだろう。どうして私が怪我をしたと思っているのか。
そう言えばメッセージがどうって。
手に持っていた携帯を操作すれば、確かにメッセージが複数届いていた。
──まだかかるか?
──保険の先生が、帰るお前を見たって聞いた。
──返信ぐらいしてくれ。
──もしかして何かあったのか?
──一旦、お前の家に行くから、メッセージ見たら返信してくれ。
届いていたメッセージを見て、慌ててパネルへ話しかける。
「ご、ごめん! 何もない。ただ……私が邪魔だと思ったから……」
『何もないならいいけど。それよか、邪魔って何がだよ』
「好きな……人の……」
私の小さな呟きが、誰もいない真っ暗な室内に悲し気に落ちていく。




