「眠れない夜」
第二章 第三十四話
「眠れない夜」
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深夜。
猫神様の社。
境内は静まり返り、
虫の声だけが、
夜の静寂の中へ小さく響いていた。
眠る時間になり、
ミル、ノワ、ルナ、ナナは、
クロの魂を猫神様にお願いし、
掛け軸のある和室で別れていた。
そして今。
四人は別室に敷かれた布団へ入り、
静かに眠っている。
そんな中。
ノワだけが、
布団の中で目を開けていた。
ノワ
「……」
目を閉じる。
けれど。
眠れない。
もう一度、
目を開ける。
天井を見つめる。
今日一日の出来事が、
何度も頭の中を巡っていた。
森で出会った魂。
聞き覚えのある声。
そして。
ずっと会いたかった兄との再会。
クロ
『ノワ』
その声を聞いた瞬間。
胸の奥から、
色々な感情が溢れた。
嬉しかった。
本当に、
嬉しかった。
ずっと会いたかった。
ずっと、
帰ってきてほしかった。
その兄が、
今ここにいる。
そして。
クロ
『次の猫生へ進みます』
兄が選んだ答え。
ノワは、
その決断を応援すると決めた。
それでいい。
それが一番いい。
そう思っている。
なのに……
襖の隙間から差し込む月明かりは、
静かに部屋を照らしている。
ノワは薄暗い部屋の天井を走る光の線を眺めていた。
どれくらい、
そうしていただろう。
ノワは再び目を閉じる。
ノワ(心)
「……寝なきゃ」
明日になれば、
また兄と話せる。
まだ、
一緒にいられる時間はある。
だから今は、
眠ればいい。
そう自分へ言い聞かせる。
けれど……
やはり、
眠気はやってこなかった。
ノワ
「……はぁ」
小さく息を吐く。
そして、
ゆっくりと身体を起こした。
隣の布団で横になっていたミルの瞼が、
ほんの少しだけ開いた。
ノワが何度も寝返りを打っていたことも、
なかなか眠れずにいたことも、
ミルは気付いていた。
けれど。
今は、
一人になりたいのかもしれない。
そう思い、
ミルはそのまま静かに見送った。
ノワは、
ルナとナナを起こさないように、
静かに布団を抜ける。
そして、
そっと部屋を出た。
襖が静かに閉じる。
ノワは一人、
月明かりに照らされた縁側へ出る。
夜の冷たい空気が、
火照った頬を優しく撫でる。
ノワはその空気を感じながら、
縁側を二、三歩、
ゆっくりと歩く。
そして、
静かに腰を下ろした。
見上げれば、
夜空には星が瞬いている。
一人になれば、
少しは落ち着くと思った。
けれど。
聞こえるのは、
静かな虫の声だけ。
何も考えず、
ただ夜空を眺めていたかった。
それなのに。
静かになればなるほど、
頭に浮かんでくる。
今日、
ずっと考えないようにしていたこと。
ノワ
「……兄さん」
小さな声が漏れる。
ノワ
「死んじゃったのね……」
その言葉を口にした瞬間、
胸の奥が強く、
締め付けられた。
ノワは胸を押さえる。
分かっていた。
最初から、
分かっていたはずだった。
今のクロには、
もう身体がない。
昔のように、
その身体に触れることもできない。
一緒にご飯を食べることもできない。
昔みたいに、
同じ家で暮らすこともできない。
今日久しぶりに会えた兄は、
もうこの世を生きてはいなかった。
だが兄は帰ってきた。
ずっと聞きたかった、
「ただいま」を聞けた。
自分も、
「おかえり」と言えた。
それだけでも、
十分幸せなことなのかもしれない。
なのに……
今度は、
あの言葉が頭に浮かぶ。
クロ
『次の猫生へ進みます』
昔。
クロが旅へ出た日。
寂しかった。
本当は、
ずっと一緒にいたかった。
それでも。
兄が見たいと言った外の世界を、
自分の寂しさだけで諦めさせたくなかった。
だから、
送り出した。
それに、
いつか帰ってくると思っていた。
また会えると、
そう思っていた。
でも兄は帰ってこなかった。
そして今日。
ようやく、
もう一度会うことができた。
ずっと待っていた兄に、
やっと会えた。
それなのに。
今度はその兄を、
もう一度見送ろうとしている。
ノワ
「……」
俯いたまま、
膝の上で手を握る。
その時。
背後から、
小さな足音が聞こえた。
ノワ
「……?」
振り返る。
そこにいたのは。
ミルだった。
ミル
「……ノワ」
ノワ
「何よ」
ミル
「寂しいです?」
ノワ
「……」
少し間が空く。
ノワ
「……あんた」
「こういう時だけ鋭いわね……」
ミルはノワを心配そうに見つめ、
言葉を続ける。
ミル
「どうなんですか?」
ノワ
「……寂しいわね」
ミルは、
ノワの隣へ静かに腰を下ろした。
ノワ
「でも」
「昔だってそうだった」
「兄さんが旅に出るって決めた時」
「私は止めなかった」
「寂しかったけど」
「兄さんが決めたことだったから」
ノワは、
少しだけ夜空を見上げる。
ノワ
「今回だって同じ」
ノワは、
少しだけ俯く。
そして。
ノワ
「兄さんが次の猫生へ進みたいって言うなら」
「私は応援する!」
そう言い切ったあと、
小さく息を吐く。
ノワ
「……それでいいの」
ミル
「……」
ノワ
「なのに……」
声が、
再び震え始める。
ノワ
「今日会えたのよ……」
「ずっと会いたかった兄さんに……」
「やっと……」
ノワは膝の上で握った手に、
力を込める。
ノワ
「兄さんが旅に出てから」
「ずっと待ってた」
「いつか帰ってくるって」
「ずっと……」
「でも帰ってこなかった」
「それでも」
「会えただけで嬉しかった」
「兄さんが帰ってきてくれたって……」
「やっと帰ってきてくれたって……」
「そう思ってたのに……」
声が震える。
ミル
「ノワ……」
ミルは心配そうにノワを見つめた。
ノワ
「分かってるのよ……!」
「兄さんが決めたことだって!」
「止めちゃいけないって!」
「私だって応援したい!」
「それは嘘じゃないっ!!」
それでも。
もう、
抑えることはできなかった。
ノワ
「でも!」
「本当は……!」
「行ってほしくない!」
ミル
「……」
ノワ
「やっと……!」
「やっと会えたのよ……!」
「もう少し……」
「もう少しでいい……」
「一緒にいたいじゃない……!」
ここまで真っ直ぐに思いを吐き出したのは、
ノワも初めての事だった。
自分が抑え込んでいた願望は、簡単に溢れ出た。
ミルは何も言わず、そんなノワを抱きしめる。
そして頬をノワの額に寄せ、
優しく頭も撫でた。
ノワ
「……っ」
その温もりに触れた瞬間、
ノワの中に残っていた最後の力が抜けた。
ミルの胸元へ、
そっと顔を埋める。
しばらく。
静かな夜の中に、
ノワの泣く声だけが響いていた。
ミルは何も言わず、
ただノワを抱きしめ続ける。
やがて。
少しだけ、
ノワの泣き声が落ち着いてきた頃。
ミルが、
静かに口を開いた。
ミル
「ソラも」
「きっとノワのことを心配してたんだと思います」
ノワ
「……ソラが?」
ミル
「はい」
「クロを紹介した時」
「ソラ、ノワのことを見てました」
「それに、
少し心配そうな声でした」
ミルは、
ノワを抱きしめたまま続ける。
ミル
「ノワのお兄さんなのに」
「魂の姿でここにいるから……」
「ノワは大丈夫なのかなって」
「きっと、そう思ってたんだと思います」
ノワ
「……」
ミル
「ミルもです」
「クロに会えて嬉しかったです」
「ノワに聞いていたお兄さんにやっと会えたから」
少しだけ、
抱きしめる腕に力がこもる。
ミル
「でも」
「嬉しいだけじゃないですよね」
「だってノワは今日」
「大好きなクロにやっと会えたのに」
「そのクロが」
「もう亡くなってるって知ったんですから」
ノワ
「……」
ミル
「それなのに今度も」
「またクロを見送らなきゃいけない」
「悲しくて当たり前です」
「寂しくて当たり前です」
「だから」
「我慢しなくていいんですよ」
ノワ
「……」
しばらく、
ノワは何も言わなかった。
ただ、
ミルの胸元へ顔を埋めたまま、
その言葉を静かに受け止めていた。
やがて。
ノワ
「……ミル」
「こういう時だけ……」
「しっかりしてるわね……」
ミル
「こういう時だけです!?」
ミルは少しビックリした顔を見せる。
ノワ
「ふふっ……」
涙で濡れた顔に、
ようやく小さな笑みが戻った。
ミルも、
それを見て嬉しそうに微笑む。
ミル
「それに」
「クロはまだここにいます」
ノワ
「……ええ」
ミル
「だったら」
「一緒にいられる時間を」
「大事にしましょう」
ノワ
「……そうね」
ミル
「いっぱいお話して」
「いっぱいドキワクしましょう、ノワ!」
ノワ
「結局それなのね」
ミル
「はい!」
ノワは、
目元に残った涙を拭う。
ノワ
「いつもだったら呆れるところだけど……」
ミル
「呆れないでくださいよ、ノワ!」
ノワ
「ふふっ……」
「でも」
「悪くないかもね」
ミル
「はい!」
夜の社に、
二人の小さな笑い声が響いた。
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それからしばらく。
二人は並んだまま、
静かな夜空を眺めていた。
やがて。
ミルが、
そっとノワの肩へ寄りかかる。
ノワは少しだけ驚いたようにミルを見る。
けれど、
すぐに小さく微笑むと。
ミルの頭へ頬を寄せるように、
自分もそっと寄りかかった。
二人はそのまま、
しばらく何も言わずに夜空を眺めていた。
ノワ
「……ふぁ……」
不意に、
小さな欠伸が漏れる。
ミル
「眠くなりました?」
ノワ
「……少しね」
ミル
「じゃあ」
ミルは、
寄りかかっていたノワから身体を離す。
ノワ
「あっ……」
ノワは、
少し名残惜しそうな声を漏らす。
そんなノワを気に掛けることもなく、
ミルは少しだけ座り直す。
そして、
自分の膝を、
ぽんぽんと軽く叩いた。
ノワ
「……何よ」
ミル
「どうぞです」
ノワ
「子供じゃないんだけど」
ミル
「知ってます」
ノワ
「……」
ミル
「どうぞです」
ノワ
「二回も言わなくていいわよ……」
そう言いながらも、
ノワは少しだけ迷ったあと、
ゆっくりと身体を横にする。
そして、
ミルの膝へ頭を預けた。
ミルは何も言わず、
ノワの髪を優しく撫でる。
ノワ
「……ミル」
ミル
「はい」
ノワ
「……ありがと」
ミルは、
少しだけ嬉しそうに微笑む。
ミル
「はい!」
ノワは、
静かに目を閉じた。
ミルの手が、
ゆっくりと髪を撫で続ける。
さっきまで、
あれほど眠れなかったのが嘘のように。
ノワの意識は、
自然に眠りへと落ちていく。
やがて。
規則正しい寝息が、
静かな縁側へ聞こえ始めた。
ミル
「……おやすみなさい」
「ノワ」
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その頃。
四人が眠っていた部屋。
静かな暗闇の中。
ルナが、
ゆっくりと目を開けた。
ルナ
「結界…解除」
するとソラ達の居る、
和室を覆っていた結界が解除される。
クロ(遠声)
「うおっ!」
ルナの隣では。
ナナも、
静かに目を開けている。
二人とも、
眠ってはいなかった。
ノワが布団を抜けた事も。
そのあと、
ミルが後を追っていった事も。
二人は、
ずっと気付いていた。
けれど。
二人とも、
追いかけなかった。
ナナが、
ルナへ視線を向ける。
ルナも、
静かにナナを見る。
言葉はない。
それでも、
二人の表情には、
どこか安心したような笑みが浮かんでいた。
ナナは、
そっと目を閉じる。
ルナも、
穏やかな表情のまま目を閉じた。
部屋は再び、
静かな夜に包まれていく。
その頃。
縁側では、
ミルの膝を枕に、
ノワが静かに眠っていた。
ミルは、
そんなノワの髪を優しく撫でながら、
夜空を見上げていた。
静かな星空の下。
姉妹の夜は、
ゆっくりと更けていった。
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第二章 第三十四話 完




