「クロの決意」
第二章 第三十二話
クロの決意
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猫神様の社。
夕暮れ。
石段を上がり、
ミル達はゆっくりと境内へ足を踏み入れる。
縁側では、
猫神様が湯飲みを片手に、
穏やかな表情で座っていた。
ミルは猫神様の姿を見つけると、
ぱっと表情を輝かせる。
両手を大きくばんざいしながら、
元気いっぱい駆け寄った。
ミル
「ただいまですー!」
猫神様
「ほっほっほ」
「おかえり」
ミルは嬉しそうに笑う。
その後ろから、
ノワ、ルナ、ナナがゆっくりと歩いてくる。
ノワの腕の中には、
ルナの組んだ小さな結界に包まれたクロの魂。
境内へ入ったところで、
ルナが毛糸玉へそっと手を添える。
すると、
クロを包んでいた光の結界が静かに解けていく。
クロ
「……あれ?」
クロの炎が、
少し戸惑うように揺れる。
ルナ
「ここなら大丈夫よ」
「もう結界の外にいても問題ないわ」
クロ
「そうなのか?」
ルナ
「ええ」
「ここは猫神様の社だから」
クロ
「そっか」
「じゃあ、
お言葉に甘えて」
クロの魂が、
淡く炎を揺らめかせながら、
ノワの隣へふわりと浮かぶ。
ルナは猫神様の前まで来ると、
静かに一礼する。
ルナ
「猫神様」
「魂を一匹、お連れしました」
猫神様
「うむ」
猫神様は静かに頷く。
ノワは、
隣に浮かぶクロへちらりと視線を向けた。
兄を猫神様へ紹介するなんて、
生きていた頃には想像もしなかった。
ちゃんと挨拶できるのかしら。
そんな心配が、
ほんの少しだけ頭を過る。
クロの魂が、
猫神様の前へ出た。
クロ
「初めまして」
「クロって言います」
「しばらくお世話になるみたいです」
ノワ
「……!?」
ノワの目が、
僅かに見開かれる。
敬語。
あの兄さんが。
敬語を使っている。
ノワ(心)
「……ちゃんと敬語使えるんだ」
クロ
「おい」
ノワ
「何よ」
クロ
「今、
失礼なこと考えなかったか?」
ノワ
「別に」
クロ
「絶対考えてただろ」
ノワ
「猫神様の前よ」
「ちゃんとしなさい」
クロ
「ちゃんとしてるだろ!」
ルナ
「……!」
ナナ
「……まあ」
二人の視線が、
同時にノワへ向いた。
ナナは目を細め右手で口元を覆う。
ノワ
「……何よ」
その隣で、
ミルも不思議そうに首を傾げる。
ミル
「?」
ノワ
「?」
猫神様
「ほっほっほ」
楽しそうな笑い声が、
境内へ響く。
ノワはクロに視線を戻し、
僅かに口元を緩めた。
……やっぱり兄さんだ。
猫神様
「よう来たの」
クロ
「ありがとうございます」
「……何か、
ちょっと緊張しますね」
少し照れ笑いをしたような声が響く。
猫神様
「そう肩の力を抜くがよい」
「わしは怖い神様ではないぞ」
クロ
「それ聞いて安心しました」
少し笑ったような声が返る。
そのやり取りを、
ノワは少し後ろから静かに見つめていた。
何だろう。
少しだけ照れくさい。
それでも。
昔と変わらない兄の声を聞いていると、
どこか安心する自分がいた。
穏やかな空気が、
境内をゆっくりと流れていく。
やがて。
猫神様は湯飲みを縁側へ置き、
静かにクロへ視線を向けた。
猫神様
「さて、クロよ」
「これからのお主について、
少し話をしよう」
その一言で、
和やかだった空気が少しだけ引き締まる。
クロの炎も、
静かに揺らめいた。
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ミルは、
ぱたぱたと足音を鳴らしながら縁側へ上がり、
猫神様の隣へちょこんと腰を下ろした。
その前。
縁側の外側には、
ノワ、ルナ、ナナが立っている。
クロの魂は、
ノワの傍らに静かに浮かんでいた。
三人は猫神様を囲むように、
その言葉を待っていた。
夕暮れの優しい風が、
境内をゆっくりと吹き抜けていく。
猫神様は、
穏やかな眼差しでクロを見つめた。
猫神様
「クロよ」
「お主も、
自分が今どのような状態にあるのかは分かっておるじゃろう」
クロ
「……何となくは」
「俺、
もう死んでるんですよね」
猫神様は静かに頷く。
猫神様
「うむ」
「今のお主は、
魂だけの存在じゃ」
「本来ならば天界へ向かい」
「次の生へ進むことになる」
クロは何も言わない。
ただ、
淡く揺らめく炎だけが、
静かに猫神様の言葉へ耳を傾けていた。
猫神様
「天界では次の生を待ち」
「やがて今生の記憶は整理され」
「新たな命として生まれ変わる」
「それが魂の循環じゃ」
穏やかな声だけが、
静かな社へ響いていく。
クロの炎が、
小さく揺らいだ。
クロ
「……記憶は」
「やっぱり無くなるんですか」
猫神様
「うむ」
「今生の記憶を、
そのまま次の生へ持っていくことはない」
「じゃが」
「そこで生まれた想いや」
「魂へ刻まれたものまで、
全て消えてしまうわけではない」
「形を変え」
「その魂の一部として、
次の生へ受け継がれていく」
クロの炎が、
ゆっくりと揺らめく。
その言葉を、
一つ一つ噛みしめているようだった。
誰も口を開かない。
ミルも。
ルナも。
ナナも。
そしてノワも。
ただ、
クロを静かに見守っていた。
穏やかな沈黙が流れる。
しばらくして、
揺らめいていた炎が少しだけ落ち着く。
どこか、
迷いが晴れたような空気が漂った。
クロ
「……なるほど」
少しだけ笑ったような声が響く。
クロ
「次の生か……」
クロの炎が、
静かに揺れる。
少しだけ、
考えるような間が流れた。
その間。
クロの炎が、
ノワの方へ僅かに傾く。
やっと会えた。
だからこそ。
いつまでも、
ここに留まっているわけにはいかない。
クロの炎が、
小さく揺れる。
ノワは、
そんなクロを静かに見つめていた。
やがて。
クロ
「……決めました」
「俺」
「次の猫生へ進みます」
穏やかな声だった。
迷いがないわけではない。
それでも。
クロ自身が考え、
選んだ答えだった。
その言葉を聞いた瞬間。
ノワ
「……待って」
その一言で、
その場の空気が止まる。
ノワ自身も、
頭より先に飛び出したその言葉に戸惑っていた。
クロの炎が、
僅かに揺れる。
それでも何も言わず、
ノワの言葉を待っていた。
ノワ
「……」
何かを言わなければ。
そう思うのに、
言葉が出てこない。
どうして自分は、
兄を呼び止めたのか。
何を言おうとしたのか。
自分でも、
上手く分からなかった。
ノワ
「……ごめん」
「何でもない」
クロの炎が、
小さく揺れる。
ノワ
「ちょっと……」
「びっくりしただけ」
クロ
「……そっか」
ノワ
「ええ」
短い返事。
それ以上、
言葉は続かなかった。
胸の奥に引っ掛かった何かだけが、
消えずに残っている。
けれどノワは、
それが何なのかを考えないようにするかのように、
小さく息を吐いた。
クロ
「……ノワ」
ノワ
「何?」
クロ
「会えて良かった……」
「本当に……」
少しだけ間を置く。
クロ
「モモのことも聞けた」
「元気にしてるって聞いて安心した」
少しだけ笑ったような声になる。
クロ
「相変わらず、
あっさりしてる所も……
あいつらしいな」
ノワ
「ええ」
クロの炎が、
穏やかに揺れる。
クロ
「ノワに会えて」
「モモの想いも聞けて」
「俺はもう、
次に進んでもいいって思えた」
「だから」
「次の猫生へ進もうって決めた」
ノワは、
黙って兄の言葉を聞いていた。
クロ
「次はどんな世界が待ってるんだろうな」
「またドキドキしたり」
「ワクワクしたり」
「そんな毎日だったら嬉しい」
その言葉に、
ミルは嬉しそうに微笑んだ。
ノワは静かに目を閉じる。
少しだけ息を吸い、
ゆっくりと吐く。
そして。
もう一度、兄を見る。
ノワ
「……分かった」
「兄さんが決めたことなら」
「私は応援する」
クロの炎が、
僅かに揺れる。
ノワ
「だから今日は」
ノワは、ほんの少しだけ笑ってみせた。
ノワ
「兄さんが見て来たドキワク……
聞かせてよね」
クロの炎が、
もう一度小さく揺れた。
クロ
「……ああ」
少しだけ間を置いて。
「いっぱいあるぞ」
ミル
「ドキワクですか!?」
クロの炎が、
今度は明るく揺れる。
ミル
「ミルも聞きたいです!」
「すっごく聞きたいです!」
クロ
「じゃあ今日は長くなるぞ」
ミル
「やったーーー!」
バンザイして嬉しそうにはしゃぐミルを見て、
ノワは思わず小さく笑う。
ナナも優しく微笑み、
その隣では、
うお太が嬉しそうに揺れている。
ルナも、
どこか安心したように表情を和らげた。
その様子を眺めながら、
猫神様は静かに目を細める。
猫神様
「ほっほっほ」
穏やかな笑い声が、
夕暮れの社へ優しく響いた。
第二章 第三十二話 完




