「懐かしい名前」
第二部 第二十九話
懐かしい名前
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新しく出会った魂。
クロ。
その名前を聞いてから、
ノワの胸は落ち着かなかった。
まさか。
そんなはずはない。
そう思っているのに。
頭の片隅には、
どうしても一匹の猫の姿が浮かんでしまう。
ノワ(心)
「……兄さん?」
「まさかね……」
何度そう否定しても、
目の前を漂う魂が気になって仕方がなかった。
それでも一行は、
猫神様の社を目指して森の中を進んでいく。
先程までと変わらない、
穏やかな空気の中。
今度はミル達が、
クロへ自分達の名前を伝える番だった。
ナナはにこりと微笑む。
ナナ
「では、私から」
「ナナです」
「よろしくお願いしますね」
クロ
「ナナか!」
「よろしくな!」
少し間を置いて、
クロの光が明るく揺れる。
クロ
「それにしても、
綺麗なお嬢さんだな!」
ナナ
「まあ」
ナナは少し照れたように微笑む。
ナナ
「ありがとうございます」
クロ
「ははっ!」
ナナ
「それから」
ナナは隣に浮かぶ魚クッションへ、
そっと視線を向けた。
ナナ
「この子は」
「うお太です」
その瞬間。
ミル
「えっ!?」
「うお太っていう名前だったんですか!?」
ノワ
「初耳なんだけど」
ミルとノワは驚いた顔でナナを見る。
ルナ
「私は知ってたわ」
ミル
「えぇ!?」
「いつ付けたんですか!?」
ナナ
「実は、
昨日の夜に付けたのよ」
ミル
「昨日ですか!?」
ナナ
「ええ」
ノワ
「まぁ名前があった方が良いわね」
ミルは、
うお太へ顔を近付ける。
ミル
「でも」
「どうして、
うお太って名前にしたんです?」
ナナ
「ふふっ」
「それはね」
ナナは、
うお太へちらりと視線を向ける。
ナナ
「この子に似合うかなって思ったの」
ミル
「おおー……」
ノワ
「絶対もっと理由あるでしょ」
ナナは何も答えず、
ルナへ視線を向ける。
ルナもナナを見つめ返し、
二人は小さく笑い合った。
うお太は、
どこか嬉しそうにぷかりと上下へ揺れた。
クロ
「うお太か!」
「いい名前じゃん!」
「よろしくな!」
うお太は、
もう一度小さく揺れた。
ミル
「うお太!」
「これから改めてよろしくお願いします!」
うお太は、
また嬉しそうに揺れる。
ナナは嬉しそうに微笑んだ。
ルナ
「次は私ね」
「ルナよ」
クロ
「ルナ!」
「よろしく!」
ルナ
「ええ、よろしく」
ミルは一歩前へ出る。
ミル
「ミルです!」
「よろしくお願いします!」
クロ
「ミル!」
「よろしくな!」
「ドキワク仲間!」
ミル
「はい!」
「ドキワク仲間です!」
二人は思わず笑い合った。
そして。
皆の視線が、
最後の一人へ向く。
ノワは少し遅れて、
その視線に気付いた。
ノワ
「……」
先程から。
どうしても、
目の前を漂うクロのことが気に掛かっていた。
名前だけなら、
ただの偶然。
そう思おうとしているのに。
一度浮かんでしまった兄の姿が、
頭から離れてくれない。
ノワは小さく息を吸った。
ノワ
「……ノワよ」
その瞬間。
クロの光が、
僅かに揺れた。
クロ
「ノワ?」
その名前を確かめるように、
もう一度小さく揺れる。
クロ
「懐かしいなぁ」
「俺には昔、
妹が二匹いてさ!」
「そのうちの一匹が、
ノワっていう名前だったんだよ!」
その言葉に。
ノワの身体が、
ぴくりと震える。
ノワ(心)
「妹……」
「二匹……」
偶然?
そう思おうとする。
けれど。
胸の奥のざわめきは、
大きくなるばかりだった。
ミル
「そうだったんですね!」
「どんな妹さんだったんですか?」
クロ
「しっかり者だったよ!」
「俺が何かやらかす度に、
『兄さん!危ないからやめて!』って」
「毎回怒られてた!」
ルナ
「ふふっ」
「何となく想像できるわ」
ナナ
「とてもお兄さん思いだったんですね」
クロ
「そうなんだよ!」
「本当、
優しい妹だったなぁ」
クロの光が、
穏やかに揺れる。
クロ
「俺さ」
「昔から、
家の外の世界に憧れてたんだ」
その言葉に。
ミルは腕を組み、
何度も深く頷いた。
クロ
「俺達が住んでた家の周りだけじゃなくてさ」
「もっと遠くまで行ったら、
何があるんだろうって」
クロの光が、
少しだけ明るさを増す。
クロ
「知らない場所を歩いて」
「見たことのない景色を見て」
「色んな猫に会ってさ!」
「いつか自分の足で、
外の世界を旅してみたいって思ってたんだ」
ミル
「それはドキワクですよね!」
クロ
「だろ!」
「俺もずっと、
そういうのにドキドキワクワクしてた!」
その言葉に、
ミルは嬉しそうに頷いた。
けれど。
ノワは何も言わない。
クロが話していることを、
ただ黙って聞いていた。
クロ
「その夢のことは、
妹にもよく話してたよ」
「いつか絶対、
この家を出て旅するんだって」
「ノワはその度に、
心配そうにしてたけどな」
ノワ
「……」
クロ
「でも」
「一度も、
行っちゃ駄目とは言わなかったんだ」
クロの光が、
柔らかく揺れる。
クロ
「『兄さんが本当に行きたいなら、
私は応援するわ』って」
「そんなこと言ってくれてさ」
「それでも最後には必ず」
「『でも、
危ないことだけはしないでね』って」
「ははっ」
「最後まで、
心配されてたよ」
ノワの胸が、
強く締め付けられる。
忘れていない。
何度も聞かされた、
兄の夢。
楽しそうに外の世界を語る兄を、
心配しながら見ていた自分。
それでも。
その夢を諦めてほしいとは、
思わなかった。
クロ
「それで」
「本当に家を出る日が来てさ」
クロの光が、
静かに揺れる。
クロ
「最後に家を出る時もさ」
「本当は寂しかっただろうに」
「『……頑張ってね、兄さん』って」
「笑って送り出してくれたんだ」
その声には、
どこか懐かしむような響きがあった。
ナナ
「優しい妹さんだったんですね」
ルナ
「……きっと、
お兄さんの夢を応援したかったのね」
クロ
「うん」
「あいつ、
昔から俺のこと心配ばっかりしてたから」
クロの光が、
僅かに揺れる。
クロ
「だからさ」
「もしノワが、
俺が死んだことを知ったら」
「きっと怒るんだろうな」
「『兄さん、
あれだけいつも気を付けてって言ったのに』ってさ」
「ははっ」
「怒らせちゃったかなぁ」
明るく話すクロの光は、
穏やかに揺れていた。
ノワは俯いたまま、
静かに拳を握る。
名前だけじゃない。
妹が二匹いたこと。
兄を心配していたこと。
そして。
家を出ていったこと。
聞けば聞くほど、
クロの話はノワの記憶と重なっていく。
そしてノワには、
モモという名の妹がいた。
ノワ(心)
「まさか……」
「本当に……?」
それでも。
まだ。
ノワは最後の一歩を踏み出せずにいた。
胸の奥から込み上げるものを、
必死に押さえる。
震えそうになる声で、
ゆっくりと尋ねる。
ノワ
「……もう一匹は?」
クロ
「ん?」
クロの光が、
小さく揺れる。
そして。
何気ない声で答えた。
クロ
「ああ!」
「モモだよ!」
その瞬間。
ノワの思考が止まった。
ノワ
「……っ」
森を抜ける風の音が、
遠くなったように感じた。
クロ。
妹が二匹。
ノワ。
家を出た兄。
そして。
モモ。
胸の中で散らばっていたものが、
その名前を最後に、
一つへ繋がった。
もう、
偶然なんかじゃない。
否定する理由も。
疑う余地も。
何も残っていなかった。
ノワの頭の中が、
ぐちゃぐちゃになる。
嬉しい。
信じられない。
どうしてここにいるの。
どうして死んでいるの。
聞きたいことが、
次から次へと溢れてくる。
なのに。
何一つ、
言葉にならない。
胸の奥から込み上げてくるものを、
もう押さえきれなかった。
ノワの金色の瞳に、
じわりと涙が滲む。
それでも目を逸らさず、
目の前で揺れる小さな光を見つめる。
ノワ(心)
「間違いない……」
「兄さんだ」
第二部 第二十九話 完




