「ミルの歩き方」
第二章 第十七話
ミルの歩き方
――
少しして。
猫神様の社。
洋室のリビング。
食後の片付けも、
ほとんど終わっていた。
先程まで料理でいっぱいだったテーブルも、
すっかり綺麗になっている。
キッチンでは。
ルナが洗い終えた食器を、
一枚ずつ拭いていた。
その隣で。
ナナは食器棚へ、
皿を戻している。
かちゃり。
静かな音が響く。
そのそばでは。
魚クッションが、
相変わらずふわふわと漂っていた。
ナナが右へ動けば。
すいーっ。
右へ。
左へ動けば。
すいーっ。
左へ。
ナナ
「……」
ナナが止まる。
魚クッションも、
ぴたりと止まった。
ナナ
「ふふっ」
その様子に、
ナナは小さく笑う。
一方。
テーブルでは。
ミルとノワが、
最後の拭き掃除をしていた。
ミル
「こっちも綺麗です!」
ノワ
「うん」
ミル
「こっちも!」
ノワ
「ちゃんと拭けてるわね」
ミル
「ふふん!」
先程まで。
同じ場所ばかりを、
一生懸命拭いていたミル。
今ではテーブルの端まで、
ちゃんと布巾を動かしている。
その姿を。
ノワは、
少しだけ眺めていた。
そして。
ふと。
先程のナナの言葉を思い出す。
『失敗する事も、
その子が挑戦した証だから』
ノワ
「……」
ほんの少しだけ。
ノワの表情が、
柔らかくなる。
ミル
「ノワ?」
ノワ
「何でもない」
ミル
「?」
ミルは首を傾げる。
だが。
すぐに気を取り直し。
ミル
「では最後です!」
テーブルの端を。
すーっ。
丁寧に拭いていく。
ミル
「終わりました!」
ノワ
「はい、お疲れ様」
ミル
「はい!」
満足そうな返事。
ノワは、
立ち上がりながらキッチンの方を見る。
そこでは。
ナナが最後の皿を、
食器棚へ戻しているところだった。
ノワ
「……ナナ」
ナナ
「ん?」
食器棚を閉じながら、
ナナが振り返る。
ノワ
「さっきの話」
「ちょっと…分かった気がする」
ナナ
「……そう?」
ノワ
「ええ」
ノワは、
ちらっとミルを見る。
綺麗になったテーブルを前に。
ミルは腕を組み、
どこか満足そうにしていた。
そこに魚クッションがやって来た。
ミルは魚クッションに自信満々とした感じで、
ミル
「これだけ綺麗なら猫神様も褒めてくれます!」
魚クッションも肯定する様に頷く。
ノワはそんなミルを何処か切ない表情で見る。
ノワ
「私、すぐ止めちゃうから」
「もう少し」
少しだけ間を置く。
ノワ
「信じて見てみるわ」
ナナは、
少し驚いた様にノワを見る。
そして。
柔らかく笑った。
ナナ
「うん」
「私も一緒に見てるから」
ノワ
「……ありがと」
ミル
「?」
ミルは、
二人の顔を交互に見る。
ミル
「ドキワクです?」
ノワ
「違うわよ」
「ナナはお母さんじゃなくて、
ママって呼んで欲しいって話よ」
ナナ
「それはそう」
ノワ
「否定しないのね」
ナナ
「ふふっ」
ミル
「……」
ミルは、
二人のやり取りを聞きながら。
少しだけ考える。
そこにルナも戻ってくる。
ミル
「……お母さん」
その小さな呟きに。
三人の視線が、
ミルへ向いた。
ミルは、
何かを考える様に。
少しだけ、
首を傾げていた。
ナナ
「ミル?」
ミル
「お母さんって……」
少し考えて。
ミル
「どんな感じなんです?」
ナナ&ルナ
「「え?」」
ノワ
「どんな感じって……」
ミル
「さっき」
「ナナがお母さんっぽいって、
話してましたよね?」
ノワ
「まぁ……そうね」
ミル
「だから」
ミルは、
少し考え込む。
ミル
「ミルには、
よく分からないです」
ナナ
「……」
ルナ
「……」
その言葉に。
ナナとルナは、
少し驚いた様に顔を見合わせた。
なんと返せばいいのか。
一瞬、
迷ったからだ。
ミルの表情は、
いつもとそれほど変わらない。
悲しそうでもなく。
寂しそうでもなく。
ただ純粋に。
分からないから、
聞いている。
そんな顔だった。
ナナ
「……覚えてないの?」
ナナは、
出来るだけ穏やかに尋ねる。
ミル
「はい」
ミルは、
小さく頷いた。
ミル
「気付いた時には」
「もう、
人間のお家にいたので」
少し考える。
ミル
「だから」
「猫のお母さんの事は、
よく分からないです」
静かな声だった。
それは。
悲しい思い出を語る声ではない。
ミルにとっては。
思い出せないのではなく。
そもそも、
覚えているものがほとんど無い。
だから。
分からない。
ただ、
それだけだった。
ノワ
「……無理もないわよ」
ナナ
「?」
ノワ
「この子」
「本当に小さい頃に、
別の家へ引き取られてるの」
ノワは、
ミルへ視線を向ける。
ノワ
「母親と一緒にいた事を覚えてなくても、
おかしくないくらい小さい頃にね」
ルナ
「……そうだったの」
ノワ
「ええ」
ナナは、
ミルを見る。
ナナ
「じゃあ」
「ずっと、
その人達と暮らしてたのね」
ミル
「はい」
「いっぱい遊んでもらいました」
ナナ
「そう」
ミル
「ご飯もいっぱい食べました!」
ノワ
「それは見れば分かるわよ」
ミル
「どういう意味です!?」
ノワ
「そのままの意味よ」
ミル
「むぅ……」
少し頬を膨らませるミルに。
ナナは、
思わず小さく笑った。
ミル
「でも」
ミルは、
少し考える。
ミル
「一緒に過ごして」
「仲良くなった人達は、
みんな大切です」
ナナ
「……そう」
ミル
「はい」
今度の返事は、
先程より少しだけ柔らかかった。
特別な事を言ったつもりは、
ないのだろう。
ミルにとっては。
ただ、
当たり前の事だった。
一緒に話して。
一緒に遊んで。
一緒に過ごして。
仲良くなった。
だから。
大切。
ただ、
それだけだった。
ルナは、
そんなミルを静かに見つめている。
ノワも。
何も言わず、
ミルを見ていた。
ミルが誰にでも、
最初から受け入れられてきた訳ではない。
自分から近付いても。
変わった猫だと、
距離を置かれる事もあった。
話しかけても。
相手が同じ様に、
近付いてくれるとは限らなかった。
それでも。
ミルは。
新しく出会った誰かまで、
最初から諦める事はしなかった。
話してみなければ、
分からない。
一緒に過ごしてみなければ、
分からない。
その先に。
大切だと思える誰かが、
いるかもしれないから。
それは。
ミルがこれまで歩いてきた中で、
自然と心の中に根付いたものだった。
目の前の相手と、
まず話してみる。
一緒に過ごしてみる。
そして。
仲良くなれたなら、
一緒に笑いたい。
そうやってミルは。
これまでも一つずつ、
誰かとの繋がりを見つけてきた。
ナナ
「……」
ナナは。
そんなミルを、
静かに見つめていた。
お母さんを知らない。
その言葉だけを聞けば。
少し寂しく聞こえる。
けれど。
目の前のミルは。
それを理由に、
誰かとの繋がりを遠ざけてはいなかった。
むしろ。
自分から手を伸ばして。
一つずつ。
大切な繋がりを、
増やしてきた。
ナナは、
ほんの少しだけ目を細める。
そして。
ミルは再び、
少し考え込む。
ミル
「……お母さん」
視線を少し落とし、
その言葉をもう一度口にしてみる。
言葉としては知っている。
人間の家でも。
テレビでも。
何度も聞いた事がある。
けれど。
自分にとって、
それがどんな存在なのか。
やっぱり。
よく分からない。
ミルは、
ゆっくり顔を上げた。
その視線の先には。
ナナがいた。
――
第二章 第十七話 完




