「ドキワク晩御飯」
第二章 第十五話
ドキワク晩御飯
――
しばらくの後。
猫神様の社。
洋室のリビング。
暖かな光が、
部屋を静かに照らしていた。
先程までの重い空気は、
すっかり薄れている。
その代わりに。
部屋いっぱいに、
美味しそうな匂いが広がっていた。
テーブルの上には、
ナナとルナが用意した晩御飯が並んでいる。
白いご飯。
湯気の立つ味噌汁。
こんがりと焼けた鮭。
そして。
テーブルの真ん中には、
ミル達にとって見慣れない料理も並んでいた。
揚げたての唐揚げ。
漬物。
ふっくらと焼かれただし巻き卵。
小鉢に盛られたおひたし。
出来たての料理から、
ほかほかと湯気が立ち上っている。
ミル
「おおー!」
テーブルを覗き込んだミルの目が、
ぱっと輝く。
あっちを見て。
こっちを見て。
並んだ料理へ、
忙しそうに視線を動かしていく。
ミル
「知らないのいっぱいあります!」
ルナ
「今日は少し増やしてみたわ」
ナナ
「ふふ、挑戦ね」
ナナは、
少し得意そうに笑う。
その横でルナも、
並べ終えた料理を見て小さく頷いた。
ノワもテーブルへ近付き、
並んだ料理を見渡す。
ノワ
「……私も半分くらい知らないけど」
ミル
「ドキワク晩御飯です!」
ノワ
「絶っ対今言いたいだけでしょ!」
ミル
「そんな事ないです!」
ノワ
「じゃあ何よ、ドキワク晩御飯って」
ミル
「知らないご飯がいっぱいで、
ドキドキしてワクワクする晩御飯です!」
ノワ
「そのまんまじゃない!」
ミル
「分かりやすいです!」
ミルは、
得意そうに胸を張る。
ノワは、
呆れた様にため息を吐いた。
猫神様
「ほっほっほ」
既に席についていた猫神様が、
楽しそうに二人のやり取りを眺めている。
猫神様
「随分賑やかな晩飯になりそうじゃのう」
ミル
「はい!」
ノワ
「食べる前からこれだけどね……」
その時。
ミルは何かを思い出した様に、
テーブルの上の箸を手に取った。
ミル
「ナナ見てください!」
箸先を揃え、
得意そうに構えてみせる。
ミル
「かなり上手になりました!」
ナナ
「ふふ、本当ね」
ナナは、
ミルの手元を見る。
ナナ
「最初は魚の切り身を掴むのも、
苦戦してたからね」
ミル
「あれ難しいんです!」
ルナ
「ぽろぽろ落としてたわ」
ミル
「魚が逃げるんです!」
ノワ
「魚は逃げないわよ」
その時。
部屋の隅へ、
魚クッションが逃げていった。
ノワ
「……」
ミル
「……」
ナナ
「……」
ルナ
「……」
猫神様
「……」
ミルは、
逃げていった魚クッションを見る。
ミル
「逃げました!」
ノワ
「アンタが言うからでしょ!」
ナナは思わず、
くすっと笑った。
魚クッションは、
部屋の隅からこちらの様子を窺う様に浮かんでいる。
ナナ
「ほら」
「戻っておいで」
ナナが優しく手招きすると。
魚クッションは少しだけ揺れた後、
すいーっとナナのそばへ戻って来た。
猫神様
「ほっほっほ」
「魚も逃げる事がある様じゃの」
猫神様は、
楽しそうに笑っている。
ナナ
「それじゃ」
ナナは、
ぱんっと軽く手を合わせる。
ナナ
「冷める前に食べましょうか!」
ルナも小さく頷く。
皆、
それぞれ席へ座る。
魚クッションも、
何事も無かった様にナナのそばでふわふわと浮かんでいた。
ミルは席に着くなり、
テーブルの真ん中をじーっと見つめる。
その視線の先。
こんがりと揚がった、
大きな唐揚げ。
衣からは、
まだ薄く湯気が立っている。
ミル
「……」
ナナ
「ミル?」
ミル
「……」
ミルの手が、
ゆっくりと唐揚げへ伸びていく。
ナナ
「ちゃんといただきますしてからね?」
ミル
「……はっ」
ぴたり。
ミルの手が止まる。
そして。
何事も無かったかの様に、
慌てて姿勢を正した。
ノワ
「今、絶対取ろうとしてたでしょ」
ミル
「はいっ!」
ノワ
「少しは待つことを覚えなさいよね」
ミル
「ドキワクです!」
ノワ
「どういう事よ」
ノワは頭を抱え、
呆れた声を出す。
ナナ
「ふふっ」
ルナ
「冷めるわよ」
ノワ
「はいはい……」
猫神様も、
小さく肩を揺らして笑っていた。
そして。
皆で手を合わせる。
四人
「いただきます」
猫神様
「いただきますじゃ」
その直後。
ミルの箸が、
真っ先に唐揚げへ伸びた。
ノワ
「早っ!」
ミルは慎重に箸を動かし、
唐揚げを一つ掴み上げる。
少し危なっかしく揺れたものの。
今度は落とさない。
ミル
「取れました!」
ナナ
「上手上手」
ミル
「ふふん!」
得意そうに笑う。
箸の先では、
揚げたての唐揚げから湯気が立っていた。
こんがりとした衣。
鼻をくすぐる、
香ばしい匂い。
ミルは、
すんすんと鼻を動かす。
耳が、
ぴーんっと立った。
ミル
「……これ絶対美味しいやつです!」
ナナ
「慌てて食べなくても逃げないわよ」
その言葉に。
ミルは、
ちらっと魚クッションを見る。
魚クッションは、
ナナのそばで大人しく浮かんでいる。
ミル
「大丈夫そうです!」
ノワ
「何を確認したのよ」
ルナ
「それよりミル」
ミル
「はい?」
ルナは、
ミルの箸先にある唐揚げを見る。
ルナ
「中までかなり熱が入ってるから気を付けて」
ノワ
「熱いの苦手なのよね……」
そう言いながら。
ノワも少し慎重に、
湯気の立つ唐揚げを見つめる。
その横で。
ミル
「……」
唐揚げを見る。
湯気が立っている。
ルナを見る。
もう一度、
唐揚げを見る。
そして。
ミル
「いただきます!」
ノワ
「ちょっ――」
ぱくっ。
止めるより早かった。
次の瞬間。
ミル
「はひゅっ!?!?」
びくんっ!
ミルの身体が跳ねる。
耳が、
ぶわっと逆立った。
ミル
「あっ、あひゅいですっ……!!」
ノワ
「だから言ったでしょ!?」
ミル
「れもおいひほうはっはんれふ!」
ノワ
「何言ってるか分かんないわよ!」
ミル
「れもっ……!」
ノワ
「口に物入れながら喋らない!」
ミルは涙目になりながら、
必死に口元を押さえる。
ノワ
「もう!」
ノワは慌てて立ち上がる。
急いでコップへ、
冷たい水を注ぐ。
氷が、
からんっと小さく鳴った。
ノワ
「ほら、水!」
ミル
「んんっ!」
ミルは両手でコップを受け取る。
ごくっ。
ごくっ。
勢いよく水を飲む。
ノワ
「ゆっくり飲みなさい!」
ミル
「んぐっ……!」
しばらくして。
ミルは、
ほっと息を吐いた。
逆立っていた耳も、
ゆっくりと元へ戻っていく。
ミル
「……助かりました」
ノワ
「まったく……」
ミル
「ありがとうございます!」
ノワ
「次からちゃんと冷ましなさいよ」
ミル
「はい!」
素直な返事。
ナナは、
そんな二人を見ながら小さく笑っている。
ルナも、
僅かに口元を緩めていた。
猫神様も、
湯飲みに手を添えながら穏やかに眺めている。
猫神様
「元気なのは良い事じゃが」
「飯は逃げんぞい」
ミル
「はい!」
ノワ
「さっき魚は逃げたけどね」
ミル
「逃げました!」
ナナ
「ふふっ」
ミルは改めて、
残った唐揚げを見る。
さっきまでの勢いは、
もう無い。
真剣な顔で。
ふーっ。
ふーっ。
何度も唐揚げへ息を吹きかける。
ノワ
「極端な反応ね……」
ミル
「もう熱いの嫌です!」
ふーっ。
ふーっ。
念入りに冷まして。
ミルは恐る恐る、
唐揚げを口へ運ぶ。
さくっ。
ミル
「……」
ゆっくり噛む。
さくさくとした衣のあとから、
柔らかな鶏肉の味が広がる。
次の瞬間。
ミル
「……!」
ぱぁっと、
目が輝いた。
ミル
「美味しいです!!」
さっきまで涙目だったとは思えない、
満面の笑顔。
ルナ
「現金な反応……」
ミル
「ノワも食べてください!」
ノワ
「分かったから」
そう答えながらも。
ノワは、
少しだけ気になった様に唐揚げへ箸を伸ばす。
一つ掴み上げる。
ノワ
「……」
じっと見る。
まだ少し、
湯気が立っている。
そして。
隣のミルを見る。
ミルは、
期待に満ちた目でこちらを見ていた。
ノワ
「……」
ふーっ。
ノワはしっかりと冷ましてから、
慎重に口へ運ぶ。
さくっ。
ノワ
「……」
ぴたりと、
動きが止まる。
ミル
「ノワ?」
ノワ
「……」
ミル
「どうです?」
いつの間にか。
ナナも。
ルナも。
猫神様も。
ノワの反応を見ていた。
ノワ
「……これは」
もう一度、
ゆっくり噛む。
そして。
ノワ
「確かに美味しいわね!」
その目が、
ほんの少し輝いていた。
ミル
「ですよね!」
ナナ
「やった!」
ナナの表情が、
ぱっと明るくなる。
そして。
勢いよく、
ルナへ片手を上げた。
ナナ
「イエーイ!」
ルナ
「……え?」
突然差し出された手を、
ルナは一瞬見つめる。
ナナは、
満面の笑顔で待っている。
ルナ
「……」
少し戸惑いながらも。
ルナも、
そっと手を上げる。
ぱちんっ。
ナナ
「イエーイ!」
ルナ
「い、いえーい……」
言った直後。
ルナは、
かなり恥ずかしそうに視線を逸らした。
ノワ
「……何してるのよ」
ナナ
「嬉しかったから」
ルナ
「私までやる必要あった?」
ナナ
「一緒に作ったんだから、
一緒に喜ばないと」
ルナ
「……そう」
そう言いながらも。
ルナの口元は、
ほんの少しだけ緩んでいた。
猫神様
「ほっほっほ」
「美味い飯が作れたなら、
喜ぶのも悪くなかろう」
ナナ
「ですよね!」
ルナ
「猫神様まで……」
ミル
「ミルもイエーイしたいです!」
ナナ
「する?」
ミル
「します!」
ノワ
「もう食べなさいよ!」
賑やかな声が、
リビングへ響く。
その間にも。
ミルの箸は、
既に次の料理へ向かっていた。
ミル
「次これ食べます!」
ノワ
「結局食べるんじゃない!」
ミル
「今度はちゃんと冷まします!」
ノワ
「漬物は冷まさなくていいわよ!」
ミル
「ふーふー」
既に手遅れだった。
ミル
「そうなんです?」
ノワ
「見れば分かるでしょ!」
ナナ
「ふふっ」
ルナも、
小さく笑う。
猫神様も、
楽しそうに食事を続けていた。
湯気の立つ料理。
食器の触れ合う音。
賑やかな声。
少し前まで漂っていた、
重い空気はもうそこには無かった。
明日になれば。
また、
考えなければならない事がある。
それでも今は。
暖かな料理を囲んで。
笑って。
初めての味に驚いて。
皆で同じ時間を過ごしていた。
そんな穏やかな夜の中。
ミル達のドキワク晩御飯は、
まだ続いていた。
――
第二章 第十五話 完




