「静かな異常」
第二章 第十話
静かな異常
――
夜。
猫神様の社。
掛け軸の部屋。
部屋の中には、
ミルの楽しそうな声が響いていた。
ミル
「だからですね!」
「ルナって本当に同じ猫ですか!?って思ったんです!」
ソラ
「……にゃ?」
ミルは掛け軸の前に座り、
楽しそうに猫じゃらしを振っている。
穂先は掛け軸の向こう側で、
ふわふわと揺れていた。
ミル
「猫じゃらし全然反応しないんですよ!」
「普通ちょっと位見ますよね!?」
「なのにルナ!」
「“それ楽しいの?”って顔してたんですよ!」
ソラ
「……にゃぁ」
ソラは小さく鳴く。
ミル
「ビックリですよね!」
ソラの耳が、
ぴくっと揺れる。
ミル
「あとですね!」
「ナナの魚クッション追いかけてたらですね!」
ソラ
「にゃ?」
ミル
「ノワの座ってたイスにぶつかっちゃって!」
「飲み物ばしゃーって!」
ソラのしっぽが、
少しだけ揺れる。
ミル
「ノワすっごい顔しててですね!」
「“ミルぅ……”って!」
ソラ
「……にゃっ」
小さく鳴く。
少しだけ楽しそうに、
耳が立っていた。
ミル
「でもナナは」
「“大丈夫よ”って言ってくれたんですよ!」
「優しいですよね!」
ソラは静かにミルを見る。
その明るさが、
少し眩しかった。
また傷付くかもしれない。
危ない目に遭うかもしれない。
それでもミルは、
こんな風に笑って会いに来てくれる。
ソラは小さく目を細めた。
その時。
襖の向こうから、
足音が聞こえてくる。
ノワ
「ミル」
ミル
「ひゃい!?」
襖が開く。
ノワが部屋へ顔を覗かせる。
ノワ
「もう遅いのよ」
「早く寝なさい」
ミル
「ドキワクトーク中です!」
ノワ
「ソラを休ませてあげなさい」
ミル
「はーい……」
ミルは少ししゅんとする。
ノワは小さく息を吐いた。
ノワ
「あと」
「さっき私の名前呼んでなかった?」
ドキッとした反応をするミル。
ミル
「い、言ってないですよ!」
その反応を見てノワは眉を寄せる。
ノワ
「いいや絶対言ってた!」
ミル
「ソ、ソラまた明日来ますね〜!」
ミルは慌てて立ち上がり部屋を飛び出す。
ノワ
「あっ!」
「こら!待ちなさい!」
ミルが廊下を走っていく。
ノワもその後を追いかける。
だが。
途中でぴたりと止まる。
ノワは少しだけ振り返った。
ノワ
「ソラ!」
ソラ
「……?」
ノワ
「おやすみ」
ソラの耳が、
ぴくっと揺れる。
ソラ
「……にゃぁ」
ノワは襖の隙間から、
ニヤッとした顔を覗かせる。
そして襖が閉まる音と共に、
廊下の奥へ消えていった。
静かな部屋。
ソラはしばらく、
閉じられた襖を見つめていた。
さっきまで響いていたミルの声が、
まだ耳に残っている。
楽しそうに話す声。
何度止めても、
真っ直ぐに自分へ向かってくる姿。
ソラは、
ほんの少しだけ目を細める。
そして。
ぽつりと呟いた。
ソラ
「……やっぱり」
「ミル姉様ってすごいです」
静かな声。
そのしっぽは、
ほんの少しだけ嬉しそうに揺れていた。
その時。
襖がゆっくりと開く。
猫神様
「賑やかじゃのう」
ソラ
「猫神様!」
猫神様は、
ゆっくりと部屋へ入って来る。
掛け軸の前まで来ると、
静かに腰を下ろした。
猫神様
「随分賑やかじゃったのぅ」
ソラ
「……はい」
ソラのしっぽが、
小さく揺れる。
猫神様
「馴染めておるみたいで安心したわい」
ソラ
「皆さん……優しいです」
静かな声。
ソラ
「優しすぎるくらい」
少しだけ、
視線が落ちる。
ソラ
「だから」
「また危ない目に遭わせてしまうんじゃないかって」
「少し怖いです」
猫神様は、
黙ってソラの言葉を聞いている。
ソラ
「なのにミル姉様」
「全然止まらないんです」
ほんの少しだけ、
困ったように耳が下がる。
だが、
その声は少し嬉しそうでもあった。
猫神様
「ミルらしいのぅ」
ソラ
「……はい」
ソラのしっぽが、
少しだけ揺れる。
ソラ
「でも」
「やっぱりミル姉様ってすごいです」
「怖いはずなのに」
「ちゃんと前に進めるから」
小さな声だった。
猫神様は、
静かに目を細める。
猫神様
「お主も十分頑張っとるよ」
ソラ
「……」
ソラの耳が、
少しだけ動いた。
しばらく、
静かな時間が流れる。
やがて。
猫神様の表情が、
少しだけ真剣なものへ変わった。
猫神様
「……実はの」
ソラ
「?」
猫神様
「ミル達がまた歪み猫と遭遇した」
ソラの耳が、
ぴくっと動いた。
猫神様
「じゃが」
「少し様子がおかしくての」
部屋の空気が、
少しだけ重くなる。
猫神様
「迷い猫を捕まえては閉じ込める様な動きをしておったそうじゃ」
ソラ
「……閉じ込める」
猫神様
「しかも妙に静かで」
「動きも正確じゃったらしい」
ソラは少し黙る。
そして、
静かに視線を落とした。
猫神様
「ソラ」
「歪み猫だった時の事」
「どれくらい覚えておる?」
ソラ
「……あまり」
「はっきりとは覚えていません」
「ずっと嫌な気持ちだけが大きくて」
「苦しくて」
「考える余裕なんて無かったです」
ソラのしっぽが、
少しだけ止まる。
ソラ
「気付いたら」
「壊したくなって」
「逃げたくなって」
「……途中からは」
「自分が何をしてるのかも曖昧でした」
猫神様は、
静かに聞いている。
ソラ
「だから」
「その歪み猫……少し違和感がありますね」
猫神様
「……違和感?」
ソラ
「はい」
「私の時は」
「もっと感情に呑まれる感じでした」
「でもそれだと」
「そんな風に動けない気がします」
「静かに考えて動いてるなんて……」
ソラの耳が、
少し不安そうに下がる。
部屋が静かになる。
猫神様
「……やはりか」
小さな声。
ソラ
「猫神様」
猫神様
「なんじゃ?」
ソラ
「ミル姉様達……大丈夫でしょうか」
その声だけが、
少し震えていた。
猫神様は、
静かにソラを見る。
そして。
小さく笑った。
猫神様
「心配せんでもよい」
「お主の姉達は強い」
ソラ
「……はい」
小さな返事。
そのしっぽは、
ほんの少しだけ安心したように揺れていた。
――
朝。
猫神様の社。
柔らかな朝日が、
障子越しに差し込んでいる。
静かな空気。
……ではなかった。
ミル
「いただきます!」
ノワ
「朝から元気すぎるのよ……」
ミルは朝から元気いっぱい。
対するノワは、
少し眠そうだった。
ナナ
「ふふっ」
「ノワ眠そうねぇ」
魚クッションも、
ナナの隣でふわふわと浮かんでいる。
ノワ
「誰のせいだと思ってるのよ……」
ミル
「私じゃないです!」
ノワ
「夜中まで騒いでたでしょ!」
ミル
「ドキワクトークです!」
ノワ
「同じよ!」
ミル
「でもですね!」
ミルはパンをもぐもぐ食べながら喋る。
ミル
「昨日ソラも“にゃぁ”って言ってました!」
ノワ
「食べながら喋らない!」
ミルは慌てて飲み込む。
ミル
「んぐっ」
ナナ
「ふふっ」
ミル
「絶対楽しかったと思うんです!」
ノワ
「ほんとにあんたは……」
ノワは頭を抱える。
ルナは静かにお茶を飲んでいる。
だが、
どこか考え込んでいた。
ミル
「ルナ?」
ルナ
「……何?」
ミル
「朝から難しい顔してます!」
ルナ
「別にしてない」
ノワ
「してるわよ」
ルナ
「……」
ルナは小さく視線を逸らす。
ナナ
「昨日の事?」
ルナ
「……少し気になってるだけ」
静かな声。
空気が少しだけ落ち着く。
ミルも、
少しだけ真面目な顔になる。
ミル
「今日も探します」
真っ直ぐな声。
ノワ
「無茶はしない」
すぐに返ってくる。
ミル
「……はい」
ミルは少しだけ口を尖らせた。
ナナ
「ふふっ」
「ちゃんと聞いて偉いわねぇ」
ミル
「聞いてます!」
ノワ
「顔が不満そうなのよ」
少しだけ笑いが漏れる。
魚クッションも、
楽しそうに小さく揺れていた。
だが。
ルナだけは、
静かに考えていた。
迷い猫は減っている。
なのに、
反応だけが増えている。
あの異常な感覚が、
頭から離れなかった。
――
第二章 第十話 完




