「聞こえない足音」
第四十一話
目を覚ますと、
窓の外が明るくなっていました。
私はいつものように、
隣の布団へ顔を寄せました。
でも、
そこに葵はいません。
そこには、
少し冷たくなった布団と、
まだ消えていない葵の匂いだけが残っていました。
私はまだ、
すぐに「ただいま」って帰ってくるのだと思っていました。
玄関の前で待っていれば、
いつものように扉が開いて、
あの足音が聞こえてくる。
そう信じていたのです。
毎日、
窓辺で外を見ていました。
学校が終わる時間になると、
角の向こうから、
葵が走ってくる気がしていました。
けれど、
聞こえてくるのは、
知らない人たちの足音ばかりでした。
私はその度に、
耳を澄ませてしまうんです。
夕方になるたび、
私は玄関へ向かいました。
それでも、
扉は開きません。
「ただいま」の声も、
軽やかな足音も、
もう聞こえませんでした。
お母さんは、
よく泣いていました。
お父さんは、
疲れた顔で帰ってきます。
家の中には、
重たい空気と、
押し殺すようなお母さんの泣き声ばかりが、
増えていったんです。
私は分かりませんでした。
何が起きたのか。
どうして帰ってこないのか。
ただ、
胸の奥だけが、
ずっと落ち着かなかったのです。
何日そうしていたのか、
もう覚えていません。
ある日の夕方でした。
玄関の前で座っていた私の鼻先へ、
ふっと風が流れます。
その中に、
あの日の匂いが混ざっていました。
重くて、
冷たい、
あの知らない匂いです。
私は顔を上げました。
もう一度、
風が吹きます。
間違いありません。
じっとしていられませんでした。
あの匂いの先に、
葵がいる気がしたのです。
私はリビングへ走りました。
少しだけ開いていた窓へ飛びつき、
前足をかけます。
身体を押し込み、
何度も力を込めました。
窓が、
ぎいっと小さく開きます。
冷たい外の空気が、
隙間から流れ込みました。
帰りを待つだけだった家を、
私は初めて、
探しに行くために出たのです。
外の世界は、
思っていたよりずっと広く、
知らない匂いであふれていました。
車の音。
人の声。
冷たい風。
どこを見ても、
知らないものばかりでした。
怖くて、
何度も足が止まりそうになりました。
それでも、
私は進みます。
あの匂いを追って、
ただひたすら走りました。
曲がったことのない角。
通ったことのない道。
細い路地。
薄暗い場所。
お腹は空き、
足も痛くなっていました。
それでも、
止まりたくなかったのです。
やがて、
物陰の向こうに、
見覚えのある姿が見えました。
あの男でした。
私は息を潜め、
暗がりの中から見つめます。
男は誰かに向かって、
苛立った声で吐き捨てました。
男
「クソ……面倒なガキだったぜ」
男
「結局、何も手に入らなかった」
その言葉が、
葵のことを言っているのだと、
私はすぐに分かりました。
その声だけは、
忘れていません。
あの日、
葵を連れていった声でした。
その姿を見た瞬間、
私は、
許せないという気持ちを知ったのです。
――第四十一話 完




