「帰る場所」
第三十八話
光が、
弾けた。
結界の中で渦巻いていた無数の欠片が、
一斉に眩く輝く。
ノワ
「ミル!?」
ルナ
「……っ」
ナナ
「ミル!」
伸ばされたその声も、
届かない。
次の瞬間だった。
現実では、
瞬きほどの一瞬。
弾けた光から、
ミルの中へ何かが流れ込んでいった。
――
私はソラ。
息も白くなる日の夕方でした。
冷たい風が吹く、
細い路地の隅。
段ボール箱の影で、
小さく丸くなっていました。
お腹は空いていて、
身体は汚れていました。
でも、
寂しいことには、
もう慣れていたんです。
空腹で眠れない夜も。
朝になっても、
何も変わらないことも。
そういうものだと、
思っていました。
その時です。
ぱたぱたと、
明るい足音が近づいてきました。
顔を上げると、
そこにいたのは、
黒い髪と黒い瞳の女の子でした。
けれど、
今のミル姉様と、
顔も背丈も瓜二つでした。
その子は、
私を見つけると、
とても悲しそうな顔をしたんです。
葵
「……大丈夫?」
やさしい声でした。
どうして知らない人が、
そんな顔をするのか分かりませんでした。
逃げようとも思いました。
でも、
その子の匂いは、
とてもあたたかかったんです。
葵
「寒かったよね」
そっと頭に触れた手は、
びっくりするくらい優しくて、
動けなくなってしまいました。
葵
「もう大丈夫だよ」
その言葉に、
不思議な程安心しました。
次の瞬間、
私は抱き上げられていました。
葵の腕の中はあたたかくて、
聞こえてくる鼓動も優しくて、
知らないはずなのに、
ずっと前から知っていた場所みたいだったんです。
葵は、
私を抱いたまま路地を駆けていきました。
揺れる景色。
流れていく街の灯り。
私はただ、
そのぬくもりの中で、
目を細めていました。
やがて、
明るい家の前で、
葵は足を止めました。
玄関の扉が開き、
温かな空気と灯りが溢れ出します。
女性
「葵? 遅かったじゃ――」
言葉は途中で止まりました。
私を見つけたからです。
葵
「お母さん、この子……!」
葵
「路地裏でひとりだったの」
葵
「すごく寒そうで……」
母親は驚いた顔のまま、
ゆっくり近づいてきました。
私は少し身を固くしました。
知らない大人だったからです。
けれど、
その人からも、
葵と同じ匂いがしました。
優しくて、
安心する匂いでした。
母親
「……そう」
母親はしゃがみ込み、
私と同じ目線になって言いました。
母親
「おかえり」
その言葉は胸の奥を、
じんわりと熱くさせました。
葵
「まずは温めなきゃ!」
葵は靴も揃えず、
そのまま家の中へ駆けていきました。
慌てた足音。
楽しそうな声。
私は揺られながら、
明るい天井を見上げていました。
柔らかなタオル。
ぬるま湯に濡らした布。
汚れた身体を、
優しく拭いてもらいました。
葵
「大丈夫、大丈夫」
葵
「もう寒くないからね」
こわばっていた身体から、
少しずつ力が抜けていったんです。
そのあと運ばれた部屋には、
あたたかな暖房がついていました。
小さなお皿に、
ご飯が置かれます。
葵はねこまんまと言っていました。
いい匂いでした。
生まれて初めてのものに、
最初は警戒していた私も、
一口食べた瞬間、
夢中になって食べていました。
葵
「ふふっ」
葵
「いっぱい食べていいよ」
その笑い声を聞きながら、
私は初めて、
暖かい想いに触れました。
食べ終える頃には、
身体はぽかぽかと温まっていました。
さっきまで震えていた足も、
もう止まっています。
葵は床に座り込み、
嬉しそうに私を見つめていました。
葵
「よかったぁ……」
葵
「ちゃんと食べてくれた」
自分のことみたいに喜ぶ人を、
私は初めて見たんです。
その夜、
私は毛布の上で横になりました。
ふわふわで、
沈み込むような柔らかさでした。
すると、
葵もその横へ寝転び、
顔を近づけてきました。
黒い瞳が、
まっすぐ私を見つめています。
怖くない目でした。
ずっと見ていたくなる目でした。
葵
「ねえ」
葵
「今日から、うちにいる?」
私は戸惑いました。
悪い人間もいることを、
知っていたからです。
でも、
それ以上に、
葵と一緒にいたいと思ったんです。
私は小さく鳴きました。
すると葵は、
今にも飛び跳ねそうなくらい喜び、
家じゅうに聞こえる声で笑いました。
私は、
その声がとても好きでした。
しばらくして、
葵は私を見つめながら言いました。
葵
「名前、どうしようかな」
窓の外には、
夜の空が広がっていました。
葵
「……ソラ」
葵
「ソラってどう?」
ソラ。
私は、
その名前をすぐに好きになりました。
葵
「今日からあなたは、ソラ」
頭を撫でられた瞬間、
私は初めて、
自分にも帰る場所が出来たのだと思えました。
――第三十八話 完
ここから数話だけですが、
ソラ編入ります。




