「繋ぐ者」
第三十五話
歪みが、
鳴いていた。
空気が軋み、
地面がうねる。
景色そのものが、
ゆっくりと捻じれている。
空は暗くない。
昼のはずなのに、
この場所だけ色が濁っていた。
周囲の木々は不自然に歪み、
地面には黒い亀裂が走っている。
まるで、
世界そのものが悲鳴を上げているようだった。
だが――
その中心に立つ歪み猫だけは、
異様なほど整っていた。
巨大な身体。
四足で立っているはずなのに、
見上げるほど高い。
鋭い爪。
黒く濁った毛並み。
その身体には、
赤黒い模様が脈打つように浮かんでいた。
それはまるで、
キジトラ模様が歪んで滲んだようにも見える。
口元からは、
異様に長い牙が覗いている。
その瞳だけが、
底の見えない闇を宿していた。
ミル
「……あれが、ソラ……」
ノワ
「ええ」
ノワ
「でも、油断しないで」
ルナ
「本体だけじゃない」
ルナ
「周囲の空間ごと敵だと思って」
ナナ
「……うん」
歪み猫は、
静かにこちらを見ている。
なのに、
その存在感だけで息が詰まる。
空気が重い。
立っているだけで、
身体が押し潰されそうな感覚。
次の瞬間――
歪み猫が消えた。
ノワ
「ミルッ!」
ミル
「えっ――!」
その瞬間、
右側から衝撃が迫る。
ノワが割り込む。
レイピアが閃く。
光が弾けた。
キィィン――!!
凄まじい衝撃。
ミルとノワの身体が、
地面を滑るように吹き飛ばされる。
土煙が舞う。
石片が弾け飛ぶ。
ノワ
「……っ!」
腕が痺れる。
重い。
以前とは比較にならない。
それでも、
ノワはすぐに体勢を立て直す。
ノワ
「ミル!油断しすぎよ!」
ノワ
「集中して!」
ミル
「は、はい!」
ルナ
「相変わらずミルばかり狙うのね」
ナナ
「本当になんでなの?」
歪み猫が、
再び姿を消す。
ルナ
「右から来る!」
ミルは咄嗟に飛ぶ。
直後。
爪が、
さっきまでいた地面を抉った。
轟音。
地面が裂け、
黒い衝撃が走る。
ミル
「っ……!」
ノワ
「……厄介ね」
ルナ
「位置感覚ごと歪められている」
ルナの糸が空間へ伸びる。
だが、
軌道そのものが揺らいでいた。
狙いがズレる。
空間そのものが、
正常ではない。
ミル
「なら!」
立ち上がる。
猫じゃらしが、
ピンクの光を纏う。
想いが集束する。
ミルは踏み込み、
勢いよく振り抜いた。
今度は当たる。
歪み猫の肩口に、
浄化の光が走る。
黒が弾け、
光が内部へ食い込む。
だが、
次の瞬間には、
その傷口が闇に飲まれていく。
ミル
「戻ってます!?」
ノワ
「浄化できた場所も、すぐに戻るの、ねっ!」
再び光が走る。
ノワの鋭い光撃が、
同じ場所を穿つ。
キィン――!!
今度は深く食い込む。
歪み猫の身体が揺れた。
ルナ
「……そういうこと」
ノワ
「浄化できた部分なら通る!」
ノワ
「同じ場所を叩き続けなさい!」
ミル
「はい!!」
四人が同時に動く。
ミルの浄化が、
歪み猫の肩を裂く。
ノワの鋭い光撃が、
開いた傷口を穿つ。
歪み猫が、
低く唸り声を上げる。
鋭い爪が、
薙ぎ払うように振るわれた。
だが――
ルナの毛糸が走る。
脚を絡め取り、
体勢を崩す。
振り抜かれた爪は軌道を逸れ、
地面だけを深く抉った。
ナナの魚クッションが、
横合いから叩き込まれた。
ドンッ!!
歪み猫が、
大きくよろめく。
ミル
「効いてます!!」
ノワ
「止めずに畳みかけるわよ!」
ルナ
「今なら押せる」
ナナ
「うん!」
ミルが踏み込む。
猫じゃらしが、
ピンクの光を弾けさせる。
打ち込まれる浄化の一撃。
ノワの光撃が、
その隙間を正確に貫く。
ルナの毛糸が空を走りって腕を縛り、
歪み猫の爪の軌道を逸らす。
ナナの魚クッションが、
何度も体当たりを叩き込む。
歪み猫は咆哮し威嚇する。
四人の連携は、
完全に噛み合っていた。
歪み猫を、
確かに押し込み始めていた。
そして――
歪み猫が、
大きく身を沈める。
空気が変わる。
ルナ
「…何か…来る!」
次の瞬間。
咆哮。
空気そのものが爆ぜた。
衝撃波が、
地面を抉りながら広がる。
木々が吹き飛び、
景色が歪む。
ミル
「っ――!」
ノワ
「ミル!!」
ノワは、
咄嗟にミルの前へ飛び出す。
レイピアが光を放つ。
ぶつかる。
弾ける。
それでも、
衝撃は止まりきらない。
ノワとミルの身体が、
大きく吹き飛ばされる。
ルナも、
足元をさらわれるように後方へ流される。
ナナは、
壁に叩きつけられ息を詰まらせた。
ナナ
「……っ」
視界が揺れる。
砂煙が舞う。
崩れた地面の向こう。
ミルが、
たった一人で立っていた。
その前には歪み猫。
ナナ
「ミル!」
叫ぶ。
しかし届かない。
ミルは、
こちらを見た。
ミル
「大丈夫です!!」
ミル
「信じてください!!」
その笑顔は、
少しだけ引きつっていた。
何かを続けて言っている。
でも、
声が聞こえない。
ノワ
「何よ……これ……!」
ノワも、
拳を叩きつける。
光が散る。
だが、
壁は揺らぎもしない。
ルナ
「空間そのものが……分断された……!」
ルナの声にも、
焦りが混じる。
壁へと駆け寄るナナ。
ナナ
「ミル!」
もう一度叫ぶ。
届かない。
歪み猫が踏み込む。
巨大な爪が振るわれる。
ミルは、
紙一重でかわす。
地面が裂ける。
石片が宙を舞う。
次の一撃。
飛び退く。
着地が乱れる。
それでも、
立つ。
呼吸が荒い。
肩が上下している。
ナナ
「……やだ」
また来る。
ミルが避ける。
でも、
少しずつ遅れている。
ノワ
「ミル!!」
見えない壁を、
何度も拳で叩きつける。
光が散る。
それでも、
声は届かない。
ノワ
「返事しなさいよ!!」
ナナは、
震える手で、
魚クッションを抱きしめた。
助けたいのに、
届かない。
その瞬間――
脳裏に、
光景がよぎる。
食卓。
ミルの笑い声。
ノワの呆れ顔。
ルナのため息。
自分の笑顔。
あの時間。
何気ない日々。
大切な場所。
守りたい場所。
ナナ(回想)
「私も、ちゃんとここに居られてるって思うから」
ナナ
「ただ居させて貰うなんて私の甘えだ……」
ナナは涙を滲ませながら小さくこぼす。
ルナ
「ナナ?」
ナナの周囲から銀色の光の粒が出現した。
ルナ
「あなた…」
ナナ
「今私が出来る事は全部やるわ!」
――
猫神様の社。
猫神様
「遂にか……」
――
歪み猫が、
再び襲い掛かる。
ナナ
「……っ」
ナナは顔を上げた。
迷いなき瞳が、
静かに銀色へと変わっていく。
ルナ
「……!」
空気が変わる。
魚クッションが、
淡く光を帯び始める。
ナナ
「離さない……」
魚クッションが、
ふわりと浮く。
――
踏み込む歪み猫――
――
ナナ
「この想いも……」
空間が震える。
ミルが身構える――
ナナ
「この日々も……」
四人を隔てる壁に、
亀裂が走る。
ノワ
「……何よ、これ!」
ルナ
「まさか――」
――
飛びかかる歪み猫――
――
ナナ
「笑顔の明日に――」
ナナ
「全部――」
魚クッションが眩く光る。
ナナ
「繋ぐ!!」
世界が揺れた。
――
爪を振りかぶる歪み猫――
――
ナナ
「今、この瞬間を!!」
魚クッションが消える。
次の瞬間。
ミルの目の前に、
魚クッションが現れた。
ミル
「えっ――!?」
歪み猫
「!!」
ナナが勢い良く右手を前へ突き出す。
――
ナナ
「――ディメンションアタック!!」
――
振り下ろされた爪を、
真正面から弾き飛ばす。
轟音。
衝撃。
見えない壁が、
砕け散る。
バリンッ――!!
砕け散る光の粒の中から、
現れたのは、
姿を変えた魚クッションだった。
丸く柔らかな面影を残しながら、
身体はすらりと引き締まり、
背びれと尾びれが愛らしく揺れている。
口元には小さな牙が並び、
可愛らしさと頼もしさが同居していた。
空を泳ぐその姿は、
サメになった魚クッションだった。
ミル
「わぁ……!」
ミル
「かわいいです!」
目を輝かせる。
サメは一度くるりと宙を回ると、
嬉しそうにナナの元へ戻ってくる。
そしてナナの周囲を泳ぎながら、
守るように寄り添った。
ノワ
「……何よ、それ」
ルナ
「魚クッションが……進化した……!」
ナナは前を向いたまま、
歪み猫を真っ直ぐ見据える。
銀色の瞳が、
強く光っていた。
ナナ
「もう、誰も一人にしない!」
ナナ
「みんな、繋いでみせるよ!!」
ミルと歪み猫を包んでいた残りのドーム状の結界が、
やさしい光に包まれる。
次の瞬間――
パリンッ、と澄んだ音を立て、
無数の光の欠片となって弾け飛んだ。
ミル
「ナナ!!」
ノワ
「やっと通った……!」
ルナ
「……すごい」
歪み猫は低く唸り、
初めてわずかに後退した。
その瞳に、
明確な警戒が宿る。
サメはナナの肩口をくるりと回り、
再びその傍らへ戻る。
ナナは前を見据えたまま、
力強く叫んだ。
ナナ
「みんな、行くよ!」
ミル
「はい!!」
ノワ
「当然よ!」
ルナ
「ええ」
歪み猫が唸る。
だが、
流れは変わった。
――第三十五話 完




