「歪み猫」
第二十八話
歪んだ影が、揺れる。
黒が重なり、
形を保てていない。
輪郭が崩れ、
滲み、
また無理矢理繋ぎ合わされる。
それでも、
そこに“いる”。
存在しているだけで、
空気が軋む。
重い圧で息が詰まる。
ミルの耳が伏せられる。
本能が警告していた。
近づくな、と。
ノワ
「……来るわよ」
レイピアを構える。
黄色い光が静かに灯る。
ミル
「……はい」
ミルも猫じゃらしを握り直す。
その瞬間。
歪み猫の視線がミルに向く。
黒い奥。
揺れる瞳のようなもの。
歪み猫
「…アオ……イ?」
ミル
「……え?」
知らない名前。
なのに、
胸がざわつく。
一瞬の静止。
次の瞬間――
ミルの視界から歪み猫が消える。
ノワ
「――来る!」
キィン!!
ノワが前に出る。
レイピアで受ける。
重い。
腕が痺れる。
ノワ
「ボサッとしない!」
ミル
「は、はい!」
ナナ
「……お願い!」
魚クッションが飛ぶ。
空中を泳ぐように加速。
ドンッ!!
確かに当たる。
黒が揺れる。
だが――
手応えが、ない。
柔らかい何かを殴ったみたいに、
力が流される。
ナナ
「……え?」
それでもナナは止まらない。
魚クッションへ想いを送る。
何度も。
絶えず攻撃を仕掛ける。
歪み猫の攻撃を抑えるノワ。
キィン!!
キィィン!!
火花が散る。
だが――
重い。
一撃ごとに圧が増していく。
ノワ
「……っ!」
押し込まれる。
靴が地面を削る。
アスファルトに線が走る。
ミル
「ノワ!」
ノワ
「……大丈夫!」
そう言いながらも、
腕が震えていた。
ルナ
「ここ!」
銀色の糸が走る。
空間を縫うように広がる拘束。
だが――
ルナの拘束を避けるように、
歪み猫が消える。
残像のように黒が散る。
次の瞬間、
別方向から現れる。
速い。
読めない。
ルナ
「軌道が……不規則……!」
ナナ
「……っ」
歪み猫が振りかぶる。
巨大な黒い腕。
空気ごと叩き潰すような圧。
それでも歪み猫はミルの方から視線を外さない。
ノワ
「……させない!」
再び受ける。
キィィン!!
衝撃。
腕が痺れる。
だが、
完全には止めきれない。
ノワ
「なんでミルばかり狙うのよ!」
歪み猫は答えない。
黒が揺れるだけ。
ノワ
「……っ!このままじゃっ!」
ミル
「……助けますっ!」
ミルが踏み込む。
猫じゃらしがピンク色に光る。
穂先へ想いが集まる。
ルナ
「ミル、待ちなさい!」
ナナ
「……!」
ミル
「えいっ!!」
ドンッ!!
当たる。
確かに直撃する。
だが――
浅い。
黒がほとんど削れない。
ミル
「……え?」
効いていない。
その瞬間。
ノワ
「ま、待って!」
歪み猫の視線が、
ミルへ向く。
空気が凍る。
振りかぶる。
ノワ
「――ミル!!」
その瞬間、
ノワの金色の目がわずかに光る。
踏み込みが――消える。
ルナ
「!?」
ナナ
「速っ……!」
ノワは横から飛び込む。
ミルを押し退ける。
――ドンッ!!
直撃。
重い衝撃。
ノワが、
まともに受ける。
ミル
「……え」
――スローになる
音が遠のく。
視界だけが鮮明になる。
ノワの体が、
宙に浮く。
ゆっくり。
スカートが揺れる。
ミルの伸ばした手が、
届かない。
ノワの目が、
ミルを見る。
優しく。
安心したように。
ノワ
「……よかった」
――落ちる
ドサッ
音が戻る。
ミル
「……ノワァッ!!」
倒れている。
動かない。
黒い髪が広がる。
レイピアが転がる。
――
歪み猫は、
動かない。
ただノワを見ている。
黒が、揺れる。
一瞬思い出される記憶。
蹴られる感覚。
叩きつけられる衝撃。
苦しみ。
記憶の断片。
誰かを守ろうとした感情。
――
歪み猫は、
再びミルを見る。
――
ミルが駆け寄る。
転びそうになりながら。
ミル
「ノワ!」
ミル
「しっかりしてください!」
ノワ
「……ミ…ル…」
かすれた声。
消えそうなくらい弱い。
ノワ
「無……事…?」
ミル
「はい……はい!」
涙が滲む。
ノワ
「ほん…と?…よかった…」
ミルの手を、
わずかに握る。
震える指先。
そして――
力が抜ける。
ノワ
「……」
動かない。
ミル
「……え?」
ミル
「ノワ……?」
返事がない。
ミル
「ノワぁ!」
声が震える。
ミル
「……私が……」
ミル
「……私が……」
視界が揺れる。
頭が真っ白になる。
足が動かない。
呼吸も上手く出来ない。
――
ナナ
「…ミル!」
ルナ
「下がりなさい!」
二人が前に出る。
ナナ
「……お願いっ!」
魚クッションが飛ぶ。
今までより強く。
強く想いを込める。
ドンッ!!
歪み猫に当たる。
黒が揺れる。
だが――
手応えが、ない。
ナナ
「……やっぱり効いてない!?」
ルナ
「囲む!」
糸が走る。
重ねる。
補強。
締める。
幾重にも。
だが――
バキィッ!!
一瞬で崩壊。
糸が弾け飛ぶ。
ルナ
「……くっ!」
歪み猫が動く。
ゆっくり。
だが確実に。
振りかぶる。
ナナ
「……!」
ルナ
「くっ!」
――その瞬間。
キィィン!!
歪み猫の攻撃が弾かれる。
光の盾。
強い、圧倒的な光。
歪み猫もその光の盾を見ている。
ナナ
「……え?」
ルナ
「……この気配……」
小柄な背中が静かに、
そこに立っていた。
片目を開いて4人を見る。
猫神様
「……やれやれ」
ルナ&ナナ
「「猫神様!」」
猫神様
「なんとか間に合ったの」
猫神様は歪み猫の前へ。
空気が変わる。
圧そのものを押し返していくような感覚。
猫神様が手を上げる。
――大きな光のベルト。
歪み猫の周りを囲うように現れる。
歪み猫
「!」
歪み猫が動こうとしたその瞬間。
空間そのものを固定するように絞まる。
歪み猫
「グウゥゥゥ!」
完全に止まる。
ナナ
「す、凄い」
歪み猫が暴れる。
黒が膨れ上がる。
だが、
動けない。
猫神様
「……無理をするな」
猫神様
「ソラよ」
ルナ
「……!」
その名前に、
ルナだけが反応する。
歪み猫の動きが、
一瞬だけ止まる。
黒が揺れる。
苦しむように。
猫神様
「……まだ早い」
静かに言う。
ミルたちを一瞥する。
傷。
疲労。
震え。
全部見ていた。
猫神様が手をかざす。
その瞬間――
ミルたちの周囲に、
光が展開される。
優しく包むような光。
猫神様
「ここは引くんじゃ」
ルナ
「はい」
ルナが頷く。
ナナもミルへ駆け寄る。
次の瞬間、
一瞬にしてミル達が消える。
共に光となって消えたベルトを歪み猫が見ていた。
――
猫神様の社。
静寂。
ミルは、
ノワを抱きかかえたまま動かない。
ただ、
ノワを見ている。
ミル
「……」
声が出ない。
ナナがそっと抱きしめる。
優しく。
震える肩を包み込む。
ナナ
「……大丈夫」
ナナ
「…まだ…繋がってるよ」
ミルの手が、
わずかに震えていた。
第二十八話 完




