「湯けむりの中で」
第二十五話
神社の奥。
木々に囲まれた道を進んだ先。
ふわりと、
湯気が立ち上っていた。
ミル
「……あれ?」
ミル
「なんか、もくもくしてます!」
ノワ
「……煙?」
ルナ
「違うわ」
ルナ
「温泉よ」
ミル
「……温泉?」
ミルの目が輝く。
ミル
「お風呂ですか!?」
猫神様
「うむ」
猫神様
「特訓ばかりでは体が持たぬからの」
猫神様
「少し休め」
ミル
「やったです!!」
ミルは勢いよく駆け出そうとする。
ノワ
「ちょっと待ちなさい!」
ミル
「ノワ!はやく行きましょう!」
ノワ
「転ぶわよ!」
ミルは石畳をぱたぱたと走っていく。
立ち上る湯気。
暖かい空気。
それだけでテンションが上がっていた。
ミル
「温泉です!」
ミル
「お風呂です!」
ミル
「ふわふわになります!」
ノワ
「落ち着きなさいって!」
ミルは振り返りながら走る。
ミル
「ノワもはやくです!」
ノワ
「だから前向いて――」
その瞬間。
ミルの足が小石に乗る。
ぐらっ
ミル
「おっと!」
ノワ
「ほら見なさい!」
ミルは体勢を立て直し、
何事もなかったように再び走り出す。
ミル
「セーフです!」
ノワ
「アウト寸前だったでしょ……」
ノワは呆れながらも、
小走りで追いかける。
その後ろ姿を見ながら、
ナナはくすっと笑った。
ナナ
「ふふ……元気ねぇ」
ナナ
「そういえば」
ナナ
「最初はお風呂嫌がってたのにね」
ルナ
「ええ」
ルナ
「ミルは特に凄かったわ」
ナナ
「ノワも結構逃げてたわよ?」
ルナ
「今はあんなにはしゃいでるけど」
ナナ
「ふふ……変わるものねぇ」
ルナ
「私は最初から嫌いじゃなかったわ」
猫神様
「猫によって色々じゃの」
――
脱衣所。
ミルは服を脱ぎながら、
ふと手を止める。
ミル
「……あれ?」
ミル
「フード……どうするんですか?」
ノワ
「……そういえば」
ノワ
「私達フード外したら猫に戻るわよ」
ミル
「……あっ」
ミル
「そうでした!」
ミルは慌ててフードを押さえる。
ミル
「じゃあここでもダメです!」
ルナはわずかに眉をひそめる。
ルナ
「……もしかして」
ミル
「え?」
ノワ
「……何よ」
ルナは二人を見る。
少し呆れたように。
ルナ
「……あなた達」
ルナ
「そんな事も知らずによく生きてたわね」
ミル
「えっ」
ノワ
「ちょっと」
ノワ
「どういう意味よ」
ルナは小さく息を吐く。
ルナ
「そもそも普段は」
ルナ
「外でフードを外す行為は危険なの」
ミル
「危険!?」
ノワ
「……具体的には?」
ルナは一瞬だけ間を置く。
ルナ
「……あまり、いいことにはならないわ」
ミル
「えっ」
ミルはさらにフードをぎゅっと掴む。
ミル
「じゃあ絶対外しちゃダメです!」
ノワ
「……アンタねぇ」
ノワは呆れながらも、
無意識にフードに触れる。
ノワ
「……まぁ、そういう事なら」
ルナ
「ただし」
ルナ
「ここは問題ないわ」
ミル
「……え?」
ルナはフードを脱ぐ。
ルナ
「猫神様の領域だから」
ルナ
「安定して存在できる」
ノワ
「……なるほどね」
ナナはそのやり取りを、
少しだけ不思議そうに見ていた。
ナナ
「……大事なものなのね」
ルナ
「ええ」
ルナ
「私達にとってはね」
――
ナナは三人の様子を見ながら、
ふと、目を輝かせる。
ナナ
「……あの」
ミル
「はい?」
ナナは少しだけ遠慮がちに、
でも、どこか楽しそうに言う。
ナナ
「触っても……いいかしら?」
ミル
「え?」
ノワ
「は?」
ナナの視線は、
三人の頭の上――
猫耳へ向いていた。
ミル
「……あっ」
ミルは嬉しそうに近づく。
ミル
「いいですよ!」
ナナ
「ほんと?」
ナナはそっと手を伸ばす。
ミルの耳に触れる。
ミル
「んっ」
ふわりと柔らかく、
細い毛が指先をくすぐる。
ナナ
「……やわらかい」
ナナ
「温かいのね」
ミル
「えへへ……」
ミルはくすぐったそうに笑う。
ミル
「ふわふわです!」
ナナは耳の付け根に触れる。
ほんの少しだけぴくっと動く。
ナナ
「……ちゃんと耳も動くのね」
ふわっとした毛並み。
しなやかに揺れる感触。
ナナ
「……すごいですねぇ」
――
ノワは腕を組んでいたが、
ため息をつく。
ノワ
「……はぁ」
ノワ
「しょうがないわね」
ノワは少しだけ顔を逸らしながら、
ナナの方へ寄る。
ノワ
「さっさと触りなさいよ」
ナナ
「では失礼して…」
ナナは優しく触れる。
ミルとは違い、
少しだけしっかりとした毛並み。
張りのある感触。
ナナ
「……ミルとはまた少し違う」
ナナ
「しっかりしてるわね」
ノワ
「……触り比べてるの?」
ナナ
「ええ」
ナナ
「みんな違って、素敵ねぇ」
ミル
「ミルもノワの毛並み大好きですよ!」
ノワは少しだけ照れる。
ノワ
「……変なこと言わないで」
――
ルナは少し距離を取っていた。
ナナの視線が向く。
ルナ
「……やめておくわ」
ルナはすっと視線を逸らし、
そのまま風呂の方へ向かおうとする。
ミル
「あっ、逃げました!」
ノワ
「ちょっと待ちなさいよ」
ミルとノワが同時に動く。
左右からルナを挟む。
ルナ
「……ちょっと」
ルナ
「離しなさい」
ノワ
「却下」
ミル
「ダメです!」
ミル
「ナナが触りたいって言ってます!」
ルナ
「だからって――」
ナナ
「……少しだけ、いいかしら?」
ルナは一瞬だけ言葉に詰まる。
ナナの優しい視線。
ルナは小さくため息をつく。
ルナ
「……少しだけよ」
ミル
「やりました!」
ノワ
「ナナ…今よ」
ナナはそっと手を伸ばす。
ルナの耳に触れる。
さらりとした毛並み。
柔らかいが、どこか静かな質感。
ナナ
「……綺麗ねぇ」
ナナ
「落ち着いてる感じがする」
ルナの耳がわずかに動く。
ルナ
「……くすぐったいわ」
ナナは優しく微笑む。
ナナ
「ふふ……」
ナナは最後に、
三人を見渡す。
ナナ
「みんな違って」
ナナ
「でも、ちゃんと繋がってる感じがする」
ナナ
「いいわねぇ」
ナナは満足した笑みをこぼしていた。
――
湯船。
白い湯気が立ち込める中、
四人はゆっくりと湯に浸かる。
ミル
「~~~~~~っ」
ミル
「きもちいいです~~~~!!」
ノワ
「……うるさい」
ノワも少しだけ肩の力を抜く。
ノワ
「……でも」
ノワ
「悪くないわね」
ルナは静かに目を閉じる。
ルナ
「……ええ」
ナナはゆっくりと湯に手を入れる。
ナナ
「……あたたかい」
ナナはそっと湯に浸かる。
ナナ
「……なんだか」
ナナ
「安心しますねぇ」
ミル
「温泉ってすごいです……」
ミル
「とけそうです……」
ノワ
「まだ入ったばっかりでしょ」
ミル
「でもぽかぽかです……」
ミル
「……ねむくなってきました」
ノワ
「猫ね……」
ルナ
「温かい場所だもの」
ナナ
「ふふ……」
ナナ
「みんな、少しだけ顔が緩んでるわねぇ」
ミル
「温泉すご…い」
ノワ
「急に語彙なくなるわね」
湯気の中で、
小さな笑い声が響いた。
――
その頃。
少し離れた場所。
猫神様は一人、
静かに空を見上げていた。
猫神様
「……さて」
猫神様
「どうなるかの」
――
さらに遠く。
空気が歪む。
黒い靄が、ゆっくりと広がる。
――ズル……
巨大な影。
以前よりも、
明らかに膨れ上がった歪み猫。
軋む音。
重なる苦しみ。
その中心で、
強い感情が脈打つ。
ゆっくりと顔を上げる。
静かに、
だが確実に。
それは近づいていた。
第二十五話 完




