「歪みとの接触」
第十六話
昼。
住宅街。
静かな道。
猫じゃらしの光が段々と強くなる。
ミルは迷いなく進んでいる。
ノワはその少し後ろを歩く。
ノワ
「……本当に行くの?」
ミル
「はい」
ミル
「近いです」
ノワ
「さっき“離れた”って言ってたでしょ」
ミル
「でも」
ミル
「まだ居ます」
角を一つ。
住宅の壁。
日陰。
その先に細い路地。
ミルはその角を曲がる。
ノワ
「ちょっと――」
ミルの足が止まる。
ノワも足を止める。
その瞬間。
空気が変わる。
風が止まる。
さっきまで聞こえていた、
環境音がすっと消えた。
ノワ
「…なに…これ」
ミル
「……」
目の前。
路地の奥。
そこに居た。
逃げも隠れもしていない。
ただ、
“そこに存在している”
猫の形。
だが大きい。
二メートルほどの体。
そして、
――何かがおかしい。
輪郭が合っていない。
同じ場所に、
わずかにズレた“形”が重なっている。
一瞬だけ位置がズレる。
すぐ戻る。
またズレる。
視界が追いつかない。
歪み猫だった。
ミル
「……迷い猫?」
その手の中。
猫じゃらしが光っている。
さっきより、
少しだけ強く。
昼の光の中でも、
はっきり分かるほどに。
ミルはゆっくりと息を吸う。
そのまま、一歩も動かず見つめる。
ノワ
「……下がって」
ノワは一歩前に出る。
だが、一瞬だけ後ろのミルを見る。
ちゃんと居るか、確かめるように。
ノワ
「これ本当に迷い猫なの?」
ノワ
「普通じゃない」
歪み猫の頭がゆっくりと動く。
その動きは、わずかにズレる。
一瞬遅れたように、もう一つの動きが重なる。
視線がミルに向く。
その瞬間。
猫じゃらしの光が、わずかに強くなる。
ノワ
「……っ」
空気がわずかに揺れる。
歪み猫の体が、ほんの一瞬だけ揺らぐ。
まるで、
“認識し損ねている”
ような違和感。
ミル
「……」
ミルはゆっくりと目を細める。
そして、一歩。
踏み出す。
猫じゃらしの光が、
もう一段階強くなる。
ノワ
「ちょっと待ちなさい!」
ミル
「……大丈夫です」
ノワ
「大丈夫じゃないでしょ!」
ミル
「……」
ミルは歪み猫を見つめたまま、静かに言う。
ミル
「……苦しんでます」
ノワ
「……!」
ミル
「助けないと!」
さらに、一歩。
その瞬間。
猫じゃらしの光が、また強くなる。
空気が歪む。
景色が一瞬だけズレる。
歪み猫の体が、大きく揺らぐ。
ノワ
「下がりなさい!!」
ノワはミルの腕を引く。
同時にレーザーポインターを構える。
ノワ
「……来る!」
歪み猫の体がズレる。
一瞬前と違う位置に重なり、遅れて動く。
ノワ
「っ……!」
前脚が振られる。
空間が歪む。
ノワ
「ミルッ!」
ノワはミルを引き寄せる。
ギリギリで回避。
さっきまでミルが立っていた地面が抉れる。
ノワ
「……ッ!」
だが――
ミルは踏み出す。
ノワ
「ちょっと!?」
ミル
「……だめです!」
ノワ
「は!?」
ミル
「今!」
ミル
「その子すごく苦しいです!」
ミルは猫じゃらしを握り込む。
ノワ
「ミルッ!ちょっと!」
その瞬間。
淡く光っていた光の奥から、
やわらかなピンクの光が溢れ出る。
そして、一気に収束する。
ミル
「……っ」
ミルの目が真っ直ぐに歪み猫へ向けられる。
ミル
「届いてください!!」
猫じゃらしの穂先に、ピンクの光が集まる。
踏み込み、
ミルは大きく振りかぶる。
ノワ
「ちょっと待って――!」
ミル
「今!助けます!!」
そして振り抜く。
ピンクの光が一直線に伸びる。
優しく、それでいて強く。
“確かに”当たる。
その瞬間。
歪み猫の動きが一瞬止まる。
ノワ
「……止まった!?」
だが――
次の瞬間。
ズレる。
歪み猫の体が大きく歪み、別の位置に重なる。
ノワ
「避けられた!?」
歪み猫がミルに向かって走り出す。
ミル
「っ……!」
ノワ
「早いッ!」
歪み猫が爪を振り被る。
ノワ
「ミル!!」
ノワが飛び込み、
ミルを引き倒す。
直後。
空間が裂ける。
さっきまで居た場所が抉れる。
ノワ
「何やってんのよあんた!!」
ミル
「……でも」
ミルはすぐに起き上がる。
息が荒い。
それでも目は逸らさない。
ミル
「……止まりました」
ノワ
「一瞬でしょ!!」
ミル
「でも」
ミル
「全然届いてないです」
猫じゃらしを握り直す。
ミル
「……もう一回いきます」
ノワ
「やめなさいって!!」
ミルは再び踏み出す。
歪み猫がミルを真っ直ぐに捉えた。
第十六話 完




