「歪みの兆し」
第十五話
異世界。
静かな空間。
風は無く、音も無い。
ただ澄んだ空気だけが、
そこに広がっている。
石の階段。
その先に、
古い神社が佇んでいた。
鳥居。
白い砂。
どこまでも穏やかな場所。
まるですべての魂が、
安らぐために作られたような空間。
――その中に
一人の少女が立っていた。
ルナ。
フードは無い。
それでも
人間の姿のまま。
ルナは
ゆっくりと境内へ進む。
そして
神社の正面で足を止めた。
静かに片ひざをつく。
目を閉じ
深く俯く。
ルナ
「……猫神様」
ルナ
「ルナが参りました」
静寂。
何も起こらない。
だが
ルナは動かない。
そのまま
じっと待つ。
――コツン
木の杖が地面に触れる音。
ルナの前に
一人の存在が立っていた。
いつから居たのか分からない。
白装束。
獣の姿。
小柄な体。
手には木製の杖。
猫神様だった。
猫神様
「……来たか」
ルナは
ゆっくりと顔を上げる。
ルナ
「はい」
ルナ
「少し」
ルナ
「気になることがあります」
猫神様
「ほう」
猫神様
「ルナがわざわざ来るとは」
猫神様
「何かあったかの?」
ルナ
「はい」
ルナ
「普通ではありません」
猫神様の目が
わずかに細くなる。
ルナ
「今朝」
ルナ
「猫じゃらしが反応しました」
ルナ
「昼間です」
その一言で
空気は変わらないまま
会話だけが沈む。
猫神様
「……」
ルナ
「ほんの一瞬ですが」
ルナ
「確かに光ったとミルが言っていました」
わずかな間。
猫神様は
ゆっくりと口を開く。
猫神様
「それは――」
一拍。
猫神様
「歪み猫じゃな」
ルナ
「……歪み猫?」
猫神様
「極稀に現れる迷い猫の一種じゃ」
猫神様
「普通の迷い猫とは違う」
猫神様
「……あれはの」
猫神様
「他の迷い猫の魂を吸収する」
猫神様
「“魂が重なり、歪んだ存在”じゃ」
ルナの表情が
わずかに変わる。
猫神様
「取り込まれた魂は」
猫神様
「中で混ざり合い」
猫神様
「一つの形を保てなくなる」
猫神様
「迷い猫としては形が完成しておる……だから昼でも現れる」
猫神様
「じゃが……不安定な存在じゃ」
ルナ
「……」
猫神様
「下手に力をぶつければ」
猫神様
「中の魂ごと壊れる」
猫神様
「救いようもなくな」
一瞬の静寂。
ルナの目が
わずかに鋭くなる。
猫神様
「ここで話すのもなんじゃ」
猫神様
「なかに入ろうて」
ルナ
「……分かりました」
二人は神社の中へ消えていく。
静かな時間が流れる。
境内には、
風の音すら無い。
どれくらい経ったのか。
やがて――
神社の戸が静かに開いた。
二人が出てくる。
猫神様
「くれぐれも気を付けての」
ルナ
「はい」
ルナ
「すぐに戻ります」
猫神様
「任せる」
短い言葉。
だが
そこには確かな信頼があった。
ルナは立ち上がる。
軽く一礼する。
ルナ
「ありがとうございます」
踵を返し
歩き出そうとしたその時。
猫神様
「……ルナ」
ルナの足が止まる。
少しだけ振り返る。
ルナ
「……はい?」
猫神様は
懐から小さな袋を取り出す。
猫神様
「ちゅる飴」
猫神様
「いるかの?」
ほんの一瞬。
ルナの表情が揺れる。
すぐに戻る。
少しだけ視線を逸らす。
ルナ
「……い」
小さく息を吸う。
ルナ
「……い、頂きます」
ルナは
少しだけ恥ずかしそうに手を差し出す。
猫神様は
くすっと笑う。
その手に飴を乗せる。
猫神様
「ほれ」
ルナ
「……ありがとうございます」
ルナは
それを大事そうに握る。
軽く一礼し
今度こそ振り返らずに歩き出す。
猫神様は
その背中を
静かに見送っていた。
---
昼。
住宅街。
いつもの空き地。
ミルとノワがいた。
ミル
「ノワ」
ノワ
「なに」
ミル
「ルナ、まだ帰って来てません」
ノワ
「……そういえば」
ノワ
「朝から見てないわね」
ミル
「はい」
ミル
「ちょっと遅いです」
ノワ
「ルナなら大丈夫でしょ」
ミル
「それは安心です」
ミル
「でも」
ミル
「遅いです」
ノワ
「心配性ね」
ミル
「ドキワクじゃないです」
ノワ
「流石にミルも今回はドキワクじゃないのね」
ミル
「今回は違います」
ミル
「でもっ!」
ミルは
持って来たペットボトルを掲げる。
ミル
「ノワ!」
ミル
「これはドキワクです!押すと音が鳴るんですよ!」
ノワ
「知ってるわよ」
ペコン、ポコン
ミル
「!」
ミル
「ドキワク装置です!」
ノワ
「どう見てもゴミよ」
ミル
「ゴミじゃないです!」
ミル
「宝です!」
ノワ
「はいはい」
その時。
左手に持っていた猫じゃらしが
ふっと光る。
ミル
「……」
少しだけ
光が強くなる。
ミル
「……?」
ノワ
「なに?」
さらに
光が強くなる。
ミルの表情が
わずかに変わる。
――カチッ
何かがズレた音。
次の瞬間。
景色が一瞬歪む。
ノワ
「……今の何?」
ミル
「……」
猫じゃらしの光が
さらに強くなる。
ミルは目を閉じる。
ほんの一瞬。
そして開く。
ミル
「……居ます」
ノワ
「……!」
その瞬間。
光が
スッと弱まる。
ミル
「……あ」
ミル
「……離れました」
ノワ
「は?」
ミル
「……今」
ミル
「すごく近くに居ました」
ノワは
ミルの腕を掴む。
ノワ
「ちょっと待ちなさい」
ノワ
「今の普通じゃないでしょ」
ミル
「はい」
ミル
「普通じゃないです」
一瞬の間。
ミル
「でも」
ミルはノワの手を外す。
ミル
「苦しんでました」
ノワ
「……!」
ミル
「助けないと」
ミルは前を見る。
ミル
「行きます」
ミルは歩き出す。
ノワ
「ちょっと待ちなさいって!」
ノワも追う。
ノワ
「ほんとにもう……!」
第十五話 完




