マスオとミーコ
夕暮れの牧場。風がやわらかく草を揺らしていた。
一日の“仕事”を終えたマスオは、ぐったりしながら柵にもたれている。
「……もう無理。今日は三回くらい“もう引退したい”って思った」
「もう引退してるのよぉ?」
隣でミーコがくすっと笑う。
「そこが問題なのよ!!」
少しの沈黙。
空は茜色に染まり、遠くで鳥が帰っていく。
マスオはふっと力を抜いた。
「……でもさ」
「なぁに?」
「ミーコがいるの、助かる」
ミーコは瞬きをして、少し首をかしげる。
「そう?」
「うん。いなかったら、たぶん今ごろ“全部投げ出して逃げる計画”立ててる」
「まぁ、それはそれで見てみたいわぁ」
「やらないわよ!……たぶん」
ふたりの間に、穏やかな空気が流れる。
マスオは草をひとくち食べて、ぽつり。
「走ってたときさ」
「うん」
「ずっと“早く終われ”って思ってたのに」
少しだけ笑う。
「終わってみたら、なんか……変な感じ」
ミーコはゆっくり頷く。
「一生懸命だった時間って、あとから効いてくるのよねぇ」
「効いてくるってなによ、それ」
「じんわり、ってことぉ」
マスオは少し考えてから、肩をすくめた。
「……まあ、悪くないかも」
そしてちらりとミーコを見る。
「こうして話せるし」
ミーコはやさしく目を細めた。
「わたしもよぉ」
少しだけ風が強く吹いて、草の匂いが広がる。
遠くでまた人間の声がする。
「マスオ様、明日のスケジュールですが――!」
マスオは即座に顔をしかめた。
「ほら来た」
「人気者ねぇ」
「ほんと、ほどほどって知らないのかしら」
でも、今度はため息だけじゃ終わらなかった。
少し笑って、前を向く。
「……まあいいわ」
「いいの?」
「うん」
小さく、でも確かに。
「ミーコがいるなら、まあ耐えられる」
ミーコはふわっと笑った。
「それならよかったぁ」
夕焼けの中、二頭は並んで草を食べる。
かつて“走るのが嫌いな名馬”と、“のんびり屋の牝馬”だったふたりは――
今も変わらず、少しだけ騒がしくて、でもちゃんと穏やかな日々を過ごしていた。
マスオは小さくつぶやく。
「……ねえミーコ」
「なぁに?」
「次は、ほんとに“何もしない日”作るわよ」
「いいわねぇ」
「絶対よ?」
「ええ、絶対」
――たぶん、その“絶対”は守られない。
でも。
それでもいいと思えるくらいには、マスオは今、少しだけ幸せだった。




