ダービー馬マスオ
マスオは無敗で日本ダービーを制した名馬だった――少なくとも、人間たちにとっては。
当の本人(本馬?)に言わせれば、「ちょっと全力で走ったら、たまたま全部勝っちゃっただけ」なのだけれど。
「はぁ……やっと終わった……」
ダービー当日、ウイニングランの最中にマスオは心の底からため息をついていた。観客は大歓声、騎手は満面の笑み、厩舎スタッフは涙ぐみながら拍手。けれどマスオの胸中はまるで逆。
(ねえ、これで引退よね?約束よね?)
彼が走る理由はひとつだけだった。「さっさと引退して、草をのんびり食べて昼寝する生活を手に入れる」こと。
そもそも、走ること自体が好きではない。風を切る爽快感?知らない。観客の歓声?うるさいだけ。騎手との一体感?むしろ重いし指図されるのが不快。
「左!いや右!今だ、追え!」 (うるさいなあもう、自分で走るから黙っててくれる?)
内心では毎レースこんな感じである。
そんなマスオにとって、唯一の心の拠り所が隣の馬房のミーコだった。おっとりした牝馬で、いつも草をもぐもぐしながら人生相談に乗ってくれる。
「ねえミーコ、どうしたら早く引退できると思う?」
「うーん、いっぱい勝てばいいんじゃないかしらぁ?」
「……え?」
「だって人間って、すごい馬ほど大事にするでしょう?ダービーとか勝ったら、きっと
もう十分だね』ってなるわよぉ」
その言葉を信じて、マスオは仕方なく本気を出した。
そして――無敗のダービー馬、誕生である。
「これで終わりよね?ね?」
だがその夜、マスオは信じられない会話を耳にしてしまう。
「いやぁマスオは本当にすごい馬だ!これは秋は三冠完全制覇だな」 「海外遠征も視野に入るぞ」 「種牡馬としても価値が跳ね上がる!」
(……は?)
マスオの目が据わった。
翌朝、ミーコに詰め寄る。
「ミーコ、話が違うんだけど?」
「えぇ?そうかしらぁ?」
「引退どころか、予定が増えてるんだけど!?海外とか言ってたんだけど!?」
ミーコはのんびり首をかしげた。
「人気が出ちゃったのねぇ」
「人気とかいらないんだけど!?」
「でもマスオくん、かっこよかったものぉ」
「そこじゃない!」
マスオは深く、深くため息をついた。
(こうなったら……)
彼は決意する。
(次は“ほどほどに負ける”……いや、“上手に目立たず勝たない”戦法……)
しかし。次のレース当日。
スタートが切られると――
「ほらマスオ!いけるぞ!」 (うるさいなあもう!)
気づけばまた、ぶっちぎりで先頭を走っていた。観客は熱狂、実況は絶叫。
「これは強い!マスオ、またも圧勝!!」
(ああああああああああああ!!)
ゴール後、マスオは天を仰いだ。
「どうして私、手を抜くの下手なのよぉ……」
遠くでミーコがのんびり言う。
「才能って罪ねぇ」
マスオの引退は、どうやらまだまだ先になりそうだった。




