第9話 ありがとうをくれた日
三人は静かな足取りで村へと歩みを進める。少女の小柄な体は、ジルの背にしっかりと背負われていた。
風を切りながら先頭を進むジルの後ろを、ラックとミカが並んでついていく。
二人はさっきまでの緊張をほぐすように、無事に少女を救い出せた安心感と歓びに浸っていた。
背後から届く二人の安堵した気配を背中で受け止めながら、ジルは一人、先刻のミカが見せた現象を脳裏に反芻する。
(あれは…魔法に違いない。それに──)
──ジルの脳裏へ過去の凄惨な光景が蘇る。
後ろ手に縛り上げられ、冷たい石畳の上に突っ伏す薄汚れた少女。
そのすぐ眼前に、殺気を孕んだ剣を手に立つ自分自身の姿。
その少女は『魔女』だったのだ。
何の罪も犯してはいない。ただ魔女として生まれた、それだけの理由で首を跳ねられようとしていた。
(あの時の少女に…似ている)
脳裏に焼き付いた記憶の影と、いま後ろを歩くミカの面影が重なる。
ジルは歩調を緩めることなく、横目でチラリと後ろへ視線を送った。
ミカはラックと顔を見合わせ、小さな笑みをこぼしている。
胸の奥に芽生えたささやかな引っかかりを振り払うように、ジルは唇の端をふっと緩めた。
深く茂っていた緑の隙間から陽光が差し込み、森の出口が間近に迫っていることを告げていた。
前を行く背中に向かって、ラックがふと思い立ったように声をかける。
「なぁ、騎士ってのは全員あんなに強いのか?」
素朴な疑問だった。
ジルは肩越しにちらりと振り返り、歩みを止めずに応じる。
「いや、そういう訳じゃない。騎士団といっても、みなが同じではなくそれぞれ役割があるんだ」
「役割? 団長とかそういうのか?」
ラックが首を傾げると、ジルは視線を前に戻して言葉を継いだ。
「例えば、遠くから射抜く弓手もいれば、魔導具の解析を専門とする者もいる。人は誰しも向き不向きがあるからな。各自が己の長所を生かせるように所属している」
ジルは腰に佇む剣の鞘へとそっと指を滑らせ、その感触を確かめるように言葉を重ねる。
「私はたまたま剣術が向いていた。ただ……それだけだ」
その言葉を耳にした瞬間、ラックの脳裏に先ほどの戦闘の光景が鮮烈に蘇った。
あの凶暴な巨躯を誇るガルダを、刃の音すら残さず一閃で両断したジル。
その気になれば、最初から仕留めることも出来たと想像がつく。
それでもジルがあえて時間を掛けたのは、囚われた少女を救い出すことを最優先に考慮していたからに他ならなかった。
(嘘こけ……。向いてるなんてレベルじゃないだろ、あれは)
ラックが心の中で呆れ交じりに呟いたその時、前のジルが唐突に足を止め、ぐるりと振り返った。
「何か言ったか?」
鋭い視線に射抜かれ、ラックの背筋にヒヤリと冷汗が走る。
「き、気のせいだよ」
ジルは「そうか」と短く呟くと、再び背中を向けて前進を再開した。
ミカは二人の可笑しなやり取りを、目を丸くしながら見つめている。
ふと、ミカの視線がラックの右腕に止まった。
「あ、あの……ラック。……怪我は大丈夫ですか?」
袖から覗く腕には、真っ赤な一直線の傷痕が残されていた。幸いにして傷口は浅く、すでに血は固まり始めている。
ラックは大袈裟な身振りで腕を大きくぐるぐると回してみせ、拳を力強く握って見せた。
「ああ、平気だよ。かすり傷だったからな」
その逞しい仕草に、ミカは小さく息を吐き出して胸を撫で下ろす。
次の瞬間、ラックは前を行くジルの背中に警戒を払いつつ、ミカの耳元へ顔を寄せた。
「……お前の魔法に助けられたよ、ありがとうな」
思いがけない感謝の言葉に、ミカの瞳が瞬時にパッと輝く。
ラックはジルの耳に届かぬよう、さらに声を潜めて囁いた。
「……バレてないよな? 妙に勘が鋭いから気をつけないとな」
ミカはこっくりと、音を立てずに何度も強く頷いた。
王国の騎士であるジルに知られてしまえば、面倒なことになるかもしれないということは、何となくミカでも理解していたからだ。
ジルは二人のひそひそ話に気づきながらも、ただ一度だけ薄く目を細め、静寂を保ったまま歩みを止めることはなかった。
緑の天井が不意に途切れ、三人は眩い光と共に森を抜け出た。
傾きかけた陽光の向こうに、見慣れた村の家々が姿を現す。
しかし、足を踏み入れた村の空気は重く沈み込み、張り詰めた緊張感に満ちていた。
いまだ戻らぬ幼子への心配と、いつ再び襲来するかも知れぬ魔物への恐怖――。
村人たちは手にした鍬や粗末な武器を固く握りしめ、血走った眼光で周囲を警戒していた。
村境の警護に当たっていた若い村人が、三人の影が視界に入るやいなや走ってくる。
ジルは背中の少女をそっと抱き直して相手に見せると、柔らかに唇をほころばせた。
「娘は無事だ。魔物の脅威も去った」
その一言が落ちた瞬間、村人の顔に一気に歓喜が弾けた。彼は声を限界まで張り上げ、村中へ朗報を叫び伝える。
爆発的な安堵のどよめきが広がり、人々が一斉に集まってきた。
人集りの波をなりふり構わずかき分け、一人の女性がジルの前へと飛び込んでくる。
ラピナの母親だった。青ざめた顔は涙と泥で汚れ、憔悴しきっている。
「安心しろ。今は……眠っているだけだ」
ジルは抱きかかえていた小さな体を、両手でそっと母親の腕の中へ委ねた。
母親は娘の温もりを確かめるように強く、優しく抱きしめると、堰を切ったように泣き叫び、その場に膝から崩れ落ちた。
「ありがとう……ございます……! 本当にありがとう……ございます……!」
絞り出すような感謝の言葉と共に、大粒の涙がポロポロと零れ落ちていく。
ジルは母親の震える肩へ静かに手を置き、そっと後ろの二人を振り返った。
「礼なら……あの二人に言ってやれ。二人のおかげだ」
促された母親は、膝をついたままラックとミカの足元へ擦り寄り、何度も深く頭を下げ続けた。
地面の土が、ぽたぽたと落ちる涙で黒く染まっていく。
思いがけない感謝に、ラックとミカは面食らって顔を見合わせ、照れ隠しのように苦笑いを浮かべた。
「よ、よしてくれよ。ほら、顔上げてくれ」
ラックはきまずそうに後頭部をポリポリとかく。ミカはその場にぽんと腰を落とし、母親の顔を覗き込んだ。
「よ、よかったですね……!」
気の利いた言葉も浮かばず、どこか他人事のような言葉になってしまったミカの不器用さに、後ろのジルがくすりと口元を緩める。
(お母さん。私は今日……魔法で人を助けたんだよ。いっぱい……いっぱいね、ありがとうって言われたの)
溢れる感情を噛み締めるように、ミカは心の中で小さく呟く。
(お母さんの言ってとおりだね)
胸元に触れ服の上から、母にもらった大切なロケットを握りしめる。
母と自身を繋ぐ大切な魔法が、一人の小さな命を救い上げたのだ。
ミカの胸は、温かな充足感で満たされていた。
その後も、次々と集まってくる村人たちから惜しみない感謝の言葉が贈られる。
人々を苛んでいた暗い恐怖は影を潜め、誰もが輝くような笑顔を取り戻していた。
そこへ、人波を割るようにして村長を務める老人が、杖を突きながらゆっくりと歩み寄ってくる。
「いくら礼を伝えても……感謝しきれません。一つ提案なのですが……ここは一つ。感謝の意を込めて盛大な祝いの宴を開きたいと思うのじゃが、みなはどうだ?」
村長がかすれ声で問いかけると、周囲の村人たちは顔を見合わせ、どよめいた。
すかさずラックが、ふと思い出したように口を挟む。
「そういや……食糧庫が襲われたんだろ? そんなことして大丈夫──」
心配から出たラックの言葉を、ジルがそっと差し出した手で制した。
「ラピナを……村を救ってくれた礼じゃ。わしらに感謝をお返しする機会をもらえないか?」
真摯な眼差しで懇願する村長に、ラックは思わずジルへと視線を送る。
ジルが小さく首を縦に振るのを確認すると、ラックは観念したように頭をかき、笑みを浮かべた。
「そこまで言われたら……仕方ないよな!」
その言葉が合図となり、村中に弾けるような大歓声が巻き起こった。
村人たちは弾かれたように散らばり、口々に声を掛け合いながら宴の準備へと走り出していく。
「……良かったのかよ。食料……大丈夫なのか?」
活気づく広場を見送りながら、ラックは隣のジルへ疑問をぶつけた。
ジルはフッと短い鼻笑いを漏らすと、笑みを浮かべる。
「安心しろ。森に行く前に、周辺の村や町に連絡は飛ばしてある。近いうちに……騎士達が食料を届けに来る手筈だ」
手回しの良さに、ラックは感心したように表情を緩めた。
すぐさまミカの方へと向き直り、その小さな手をとってぐっと引き寄せる。
「じゃあ……思いっきり楽しまないとな、ミカ!」
ミカの顔にも、パッと花が咲いたような満面の笑みが広がった。
「は、はいっ!」
二人は視線を合わせて無邪気に笑い合う。
「ほら、俺達も手伝いに行こうぜ!」
ラックに手を引かれ、二人は跳ねるような足取りで活気立つ村人たちの輪へ飛び込んで行った。
その後ろ姿を、ジルは呆れ混じりの温かな目で見送り、自らも手伝いへと向かう。
◇◇◇
小さな村の中央広場に、急ピッチで木組みの舞台が組み上げられていく。
本来なら収穫祭でしか使われない特別な舞台が、今宵のために特別に組み上げられたのだ。
その周囲には、湯気を立てる巨大な大鍋がいくつも並べられていく。
色鮮やかな果実や採れたての野菜、肉の塊が清潔な布の上に山と盛られ、酒樽が次々と運び込まれる。
村全体がひとつになって、宴の熱気が着々と高まっていった。
やがて空の茜色が深紫へと移ろい、月がぽっかりと夜空へ昇る頃――。
暗鬱な森に抱かれた小さな村は、無数の篝火によって黄金色に照らし出されていた。
風に乗って運ばれる香ばしい肉の焦げる匂いが、心地よく胃袋を刺激する。
賑わう広場の中央、舞台の上にはジル、ラック、ミカの三人、そして村長が並び立っていた。
村長が一歩前へ踏み出し、枯れた声を張り上げる。
「わしらの大切な娘を救ってくれた三人に感謝を。この村を救ってくれた大切な三人の恩人への宴じゃ。この三人よりも早く眠ることは許さぬ!」
村人たちが一斉に手元の盃やジョッキを頭上高く掲げた。
「宴の合図は──」
村長が期待を込めて三人へ振り返る。
ジルは露骨にそっぽを向き、ラックは知らん顔で口笛を吹き空を見上げた。
逃げ場を失った村長の視線が、最後にミカの瞳とぶつかる。
村長は目を細めて笑みを浮かべると、トコトコとミカへ歩み寄った。
「ミカさんに……お願いしようかの」
指名されたミカは一瞬ポカンと口を開けた後、真っ赤になってあたふたと手足をバタつかせ始める。
「ふぇ……? え、えぇぇっ!? だ、だめですよ! わ、私なんて……!」
そんな狼狽ぶりなど意にも留めず、村長はミカの背中をぽんと押し、舞台の真っ真ん中へと押し出した。
広場を埋め尽くす村人たちが、期待に満ちた眼差しを一心に注ぎ込んでくる。
ミカは逃げ場を失い、真っ赤な顔のまま意を決して口を開いた。
「……え、えっと……ミ、ミ、ミカ・エステレラでしゅっ……!」
((噛んだな……))
舞台袖のラックとジルが、示し合わせたように全く同じ呆れ顔を浮かべる。
ミカは深呼吸を一つ挟み、ぎこちなく言葉を紡ぎ出した。
「わ、私は……今日人を助けました……。ただ必死だっただけですけど……。でも……とても……とても嬉しくなりました」
ミカの飾らない素朴な言葉に、広場全体が柔らかな温もりに包まれていく。
ラックもジルも、腕を組んで優しい眼差しで見守っていた。
「これが……何なのかは、私にはまだよく分かってません……。でも、嫌いじゃない……ううん、この気持ち……好きです。だからその、えっとー……」
途中で言葉に詰まったミカは、助けを求めるように泣きそうな顔でラックを見つめる。
ラックは可笑しそうに肩を揺らすと、「たく、仕方ないな」と耳元へ忍び寄り、小声で知恵を授けた。
ミカはこっくりと頷くと、胸いっぱいに空気を吸い込んでいく。
「すぅー……。う、宴だぁぁ……ぁ!」
恥ずかしさに耐かねて目をギューッと瞑り、ミカは小さな拳を夜空へ高く突き上げた。
一瞬、静まり返る広場。
直後──地鳴りのような歓声と拍手が爆発し、村全体を揺らした。
香ばしい料理が次々と運ばれ、太鼓の太いリズムと笛の澄んだ音色が夜空へ響き渡る。
村人たちはジョッキを打ち鳴らし、肩を組んで輪を作りはじめた。
「ほら! お前さんも飲め飲め!」
真っ赤な顔をした中年の村人が、ラックの肩をガシッと掴む。
「俺まだ16だぞ?」
そんな制止など酒飲みのオヤジ達に通じるはずもなく、ラックはあっという間に陽気な大人たちの群れへ飲まれ、捕まってしまった。
舞台の縁では、ジルが酒樽を一つ腕に抱え、豪快に喉を鳴らしながらその光景を眺めている。
「はははっ。いいぞお前たち。生意気なガキにはちょうどいい」
樽から直接酒を煽り、ジルは上機嫌に笑い声を上げた。彼女の足元には、勝負を挑んでは酔い潰された屈強な男たちが屍のように転がっている。
少し離れたテーブルでは、ミカが山盛りの料理を驚異的な勢いで口へ運んでいた。
こちらは大食い勝負の真っ最中だ。
ミカの周囲には、腹を限界まで膨らませて苦しそうに倒れる男たちが転がっている。
「おいひぃっ! これも……これも……っ!ん〜っ!」
男たちの惨状など意にも介さず、ミカは次々と料理を平らげ、頬を桃色に染めて幸せそうに目を細めていた。
宴の熱量は深まる夜と共に増していく。
オヤジたちの包囲網を命からがら抜け出したラックが、ヘロヘロの足取りでミカの隣へ辿り着いた。
「よ、よぉ、ミカ。ったく……とんだ酔っぱらいオヤジ達だったよ……」
文句を言いながらも、ラックの顔には楽しげな笑みが浮かんでいる。
「ふぅ……私も……食べ過ぎちゃいました……」
ミカが満足そうにお腹をさすって腰を下ろすと、ラックもその隣へ倒れ込むように座り直した。
視線の先では、ジルが村一番の力自慢たちを相手に腕相撲で無双を誇り、次々と空の酒樽を生み出している。
二人は顔を見合わせ、腹を抱えて声をあげて笑い転げた。
そこへ、トコトコと小さな足音が近づいてくる。
ラピナだった。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん! ありがとっ!」
ラピナは小さな体を弾ませ、二人の胸へと飛び込むように抱きついてきた。
二人は目を丸くしながらも、愛おしそうに彼女の背中を抱き返した。
広場では村の女性たちが楽器を打ち鳴らし、華やかな旋律が夜空を満たしていく。
音楽に引き寄せられるように、人々が舞台を囲んで思い思いに身体を揺らし始めた。
二人がその光景を眺めていると、復活したオヤジたちがラックを見つけ出し、わっと群がって担ぎ上げた。
ラックは酔っ払い達に揉まれながら、まるで神輿のように担ぎ上げられて踊りの中心へと消えていく。
その間抜けた姿に、ミカは目尻に涙を浮かべて笑った。
「ほら、お姉ちゃんもいこっ!」
ラピナがミカの細い手を力強く引く。
「……うぇ? え、えぇ!? お、踊りなんて無理ですよぉ!」
戸惑うミカの声など耳に入らない様子で、ラピナはグイグイと手を引っ張っていく。
集まってきた村の子供たちも加わり、ミカはあっという間に踊りの中心へと連れ出されてしまった。
手を取られ、見様見真似でぎこちなく踊り始めるミカ。
腕相撲で村の男たちを全滅させたジルは、盃を手に持ち、そんなミカの不器用で愛らしい姿を温かな眼差しで見守っていた。
賑やかな宴は、夜が白み始めるまで途切れることなく続いた。
喰らい、飲み明かし、歌い、踊る。
小さな村を照らす黄金の篝火は、朝焼けが訪れるその時まで絶えることはなかった。
やがて、一人また一人と心地よい疲労に身を任せ、その場に倒れ伏していく。
ラックは酔い潰れたオヤジたちの背中の上で豪快にイビキをかき、ミカは子供たちの輪の中心で、小さく丸くなってすぅすぅと穏やかな寝息を立てていた。
広場には、もう誰の笑い声もない。
残った篝火が、静かに揺れている。
夜風が村を通り抜け、火の粉がひとつ、夜空へ舞い上がった。
そして、宴の夜は静かに明けていった。




