第10話 何も知らない綺麗な剣
盛大な宴の翌朝。
差し始めた柔らかな朝日を浴びて、地面でそのまま眠りこけていた村人たちが一人、また一人と目を覚まし始める。
全住民がまだ深い眠りの中にあった頃から、ジルただ一人がすでに起床し、静まり返る村内を一人で見回っていた。
屈強な男たちが二日酔いの真っ青な顔を歪め、呻き声を上げながら起き上がり始める。
誰よりも浴びるほど酒を飲んでいたはずのジルは、どこまでも涼しい顔で男たちの失態を眺めていた。
「ふっ……。まったく情けないな」
平然と佇むジルを恨めしそうな青ざめた顔で見上げつつ、男たちは重い腰を上げて宴の後片付けを始める。
気付けば村人たちも次々と起き出し、総出で広場の片付けに取りかかり始めていた。
ジルは未だにすやすやと眠り続けるラックとミカを見つけると、静かに歩み寄り声をかける。
「いつまで寝ている。お前たちも手伝ってこい」
ラックの頭を剣の鞘で軽く小突いて起こしたあと、ジルはミカの肩を優しく揺すった。
二人は重い瞼をこすりながら、寝ぼけ眼でゆっくりと立ち上がる。
ふと二人へ目を向けたジルは、思わず吹き出してしまった。
ラックとミカの髪は見事なまでに重力へ逆らって跳ね上がり、まるで奇妙な芸術作品のように佇んでいたからだ。
「ふふっ……どんな寝方をすればそんなことになるんだ。ほら、私達も行くぞ」
三人とも片付けの輪へ加わっていく。
村人たちは恩人に作業をさせる訳にはいかないと制止しようとしたが、三人は首を振り、作業の手を止めなかった。
ラックとミカが移動する先々で、その見事な寝癖を目にした村人たちの笑い声が上がり、朝の村に賑やかな活気が戻っていった。
宴の後片付けもひと段落し、身だしなみを整えた頃。
ラックとミカの二人は、村に唯一存在する素朴な酒場で食事を摂りながら、今後の旅路について話し合っていた。
「そういや、いろいろあって忘れちゃってたけど、最初の目的も済まさないとな」
ラックは香ばしい肉を頬張りながらミカに切り出す。
ミカも目の前に並んだ料理を勢いよく口へ運びながら応じた。
「むぐっ……ほ、ほうですね……! ジルさんに話を聞くために来ましたから…!」
二人がそんな会話を交わしていると、背後からカツカツと硬い靴底の音が近づいてくる。
振り返ると、ジルが堂々とした足取りで歩み寄ってくるところだった。
「私がどうかしたか?」
ジルは二人と同じテーブルの席につくと、手短に料理を注文し、向かいの二人へと視線を送る。
「お前たちは何故この村に来た? 普通の旅ならば、このような小さな村に立ち寄ることなどあまりないからな」
ジルのストレートな問いかけに、ラックが答える。
「俺達、王都へ向かう途中なんだ。仕事で魔導具を届けに行かなくちゃいけないんだけど」
その言葉に、ジルはほんのわずかだけ瞳を動かした。
「ここに最近騎士様が来たって聞いたから、話を聞きに来たんだよ」
ラックの言葉を引き継ぐように、ミカが尋ねる。
「え、えっと……その騎士様って……ジルさんの事ですよね?」
尋ねられたジルは、静かに首を縦に振った。
「ああ、そうだ。そうか……お前たちは王都へ……か」
ジルはしばらく何かに思考を巡らせたあと、静かに口を開く。
「それなら数日ここで過ごすといい。旅の疲れもあるだろう。長旅になるんだ、急ぐ必要はない」
二人はその提案に顔を見合わせ、深く頷き合った。
ジルは運ばれてきた料理を口へ運びながら、そのまま言葉を続ける。
「それにしても王都か……。その旅、私も同行させてもらえないか?」
思いも寄らないジルからの申し出に、二人は目を見開いて驚く。
ラックがその真意を質そうとした、その時。
離れたテーブルに座っていたラピナ親子に手招きされ、ミカが「あ」と立ち上がった。
ミカが席を外して二人の耳から遠ざかったのを見届けると、ジルは身を乗り出し、ラックへ囁くように低く呟いた。
「……ミカは魔女なのだろう?」
その一言が落ちた瞬間、ラックの全身に鋭い緊張が走り、肩がビクリと跳ね上がった。
ラックは咄嗟に警戒の色を強め、返す言葉を慎重に探す。
その硬直した様子を見つめながら、ジルは淡々と、しかし敵意を削ぎ落とした声で言葉を重ねた。
「安心しろ。敵になるつもりはない。……今はな」
そう言うと、ジルは視線を遠くのミカへと向けた。
視線の先では、ミカがラピナ親子と楽しそうに言葉を交わし、笑顔を浮かべている。
「……なんで分かった?」
ラックは声を殺し、ジルへ低く尋ねた。
ジルは少し思案したあと、口元を緩めて答える。
「ふっ……、勘だ」
それがはぐらかしであることは、ラックにも十分に理解できた。
だが、向けられる態度からは敵意など感じられず、むしろ温かさすら漂っている。そのため、それ以上追及することはできなかった。
「私も確かめたいことがある。王都までの警護とでも思ってくれればいい」
ラックはしばらく視線を落として考え込んだあと、小さく息を吐き出して頷いた。
これからの長旅を思えば、今回のように危険な魔物と遭遇する可能性は十分にある。
そんな時、ジルほどの凄腕が側にいてくれるならば、これほど心強いことはない。
何より、ミカの正体を知りながらも態度を変えずに接してくれるジルの存在に、安心感を覚え始めていた。
「……わかった。こっちからもよろしく頼むよ」
ラックが差し出した右手を、ジルは強く握り返す。
ちょうどラピナ親子との会話を終えたミカが席へ戻ってくると、ガッチリと握手を交わす二人を不思議そうに見つめた。
「……ど、どうしたんですか?」
ラックはミカへ、ジルが新しい旅の仲間として同行することを伝える。
ミカは驚きに目を丸くしたあと、瞬く間にパッと顔を輝かせた。
「ほ、ほんとですか!? じゃ、じゃあ……ジルさんも……お友達ってことですか?」
その無邪気すぎる発想に、ラックは「こいつは相変わらずだな」と言わんばかりに苦笑いを浮かべる。
(ああ、俺はもう友達確定なんだな)
心の中でそんな呆れた独白を呟きつつ、ラックは笑いながらジルの反応を待った。
ジルはどこか優しげな眼差しをミカへ向け、小さくふっと口元を緩めて答える。
「ふっ……そうだな。よろしく頼む」
ジルのその言葉に、ミカは弾けるような満面の笑みを浮かべて大喜びした。
「き、聞きましたかラック!? 友達……友達ですよっ!」
ミカは笑顔を咲かせたままラックの手を両手で掴み、ブンブンと上下に振り回す。
ラックは「はいはい」と半ば呆れながらも笑っていた。
明るい陽光が差し込む酒場に、三人の賑やかな声が心地よく響き渡った。
◇◇◇
滞在中の村は穏やかな日々に恵まれ、取り立てて事件が起きることもなかった。
ミカは特に子どもたちから大人気で、いつも手を取られては野花を摘んだり、鬼ごっこに興じたりと格好の遊び相手になっていた。
ミカの柔らかく優しい性格と丁寧な物腰は、幼い子どもたちをすっかり安心させているようだった。
小さな子どもたちを引き連れて遊ぶミカはどこかお姉さんぶった振る舞いを見せ、ラックはその様子を遠くから眺めてはよく笑っていた。
一方のラックは、村のオヤジたちから大層気に入られ、農作業を手伝わされたり、狩りの同行に引っ張り出されたりしていた。
かつて工房の親方と過ごした慌ただしくも温かい日々を思い出すようで、ラックにとっても決して悪い気はしなかった。
特に鍛冶屋のオヤジの手伝いには熱が入り、自分で叩き上げた小物をミカに見せては自慢気に胸を張っていた。
「よぉ、ミカ。今日も振り回されてたな」
子どもたちとの遊びを終え、少し疲れた様子で村の広場のベンチに腰掛けていたミカのもとへ、ラックが歩み寄ってくる。
「はい……たくさん遊びました……!」
ラックは隣へと腰を下ろした。
二人がこの村にやってきてから、早くも丸三日が経過している。
ジルの同行が決まり、彼女が提案した滞在期間は四日間。
それは旅の準備を整えて疲労を癒やすため、そしてこの村の警護を引き継ぐ後任の騎士が到着するのを待つための時間だった。
その時、二人の視線の先、森の街道から一台の馬車が姿を現す。
「お、来たんじゃないか?」
やってきたのは、食糧を届けにきた近隣都市の騎士だった。
馬車の荷台には巨大な木箱や袋がいくつも積み上げられており、かなりの量の物資を運んできてくれたことが見て取れる。
馬車が村の入り口で停車すると、整った甲冑を身に纏った若い青年騎士が降り立ってきた。
二人は顔を見合わせると立ち上がり、馬車の方へと歩みを進める。
馬車の周囲にはすでに村人たちが集まり、手分けして荷物を下ろし始めていた。
若い騎士はテキパキと指示を飛ばしながら、村の様子を検分している。
「助かった。迅速な対応感謝する」
ジルが若い騎士へ向けて声をかけると、その騎士は声の主を見るや否や、ビクッと全身を跳ねさせて硬直した。
ジルの背後に控えていたラックとミカは、その過剰なリアクションを不思議そうに見つめる。
「ジ、ジルテスタ団長……!? どうしてここに!?」
騎士はジルを『団長』と呼び、ここに彼女がいること自体を知らなかった様子で目を見開いていた。
ラックは思わず口から言葉を漏らす。
「只者じゃないとは思ってたけど……団長だったのかよ」
ジルは振り返ると、眉間に少し皺を寄せて応じた。
「……今は違う、『元』だ。今はただの……騎士ジルテスタだ」
ジルがそう断じると、ラックは「ふーん」とさして興味のなさそうな素振りを見せる。
若い騎士は、そんなラックの態度に苛立ちを露わにして声を荒らげた。
「そこのお前ッ! お前この方が誰か分かってないのか? この方はな──」
その瞬間、一瞬だけ周囲の空間が無音に包まれたかのような凄まじい威圧感がジルから放たれ、静かに若い騎士の言葉を制した。
「……やめろ。そんなことどうでもいい。私達も手伝うぞ、二人とも」
「「は、はいっ!」」
ジルが一瞬だけ覗かせた圧に完全に気圧され、ラックとミカは妙に気合の入った返事を返す。
ジルがクスリと短く笑うと、手際よく馬車の荷物を下ろし始めた。
その様子を見た若い騎士も、慌てて作業に加わる。
食糧をすべて村の倉庫へと運び終えた頃。
ジルは後任の騎士に対し、引き継ぎの口伝を行っていた。
先日発生した事件の詳細と、四方を深い森に囲まれたこの村特有の危険性を淡々と伝えていく。
若い騎士は、あの狂暴なガルダを退治したという報告を受け、驚愕の表情を浮かべていた。
「まさか……ガルダを討伐するとは。さすが団長──失礼、さすがジルテスタ殿です」
ジルはその賞賛に静かに首を振ると、遠くの広場で子どもたちと笑い合うラックとミカへ視線を送る。
「彼らのおかげだ。私一人では救えなかった」
若い騎士も二人の姿へと目を向けた。
「不思議な二人ですね。特に……あのミカという少女……どこかで……」
ジルは小さく笑うと、呟くように言った。
「ふっ……気のせいだろう」
そして、真摯な眼差しで言葉を繋ぐ。
「私はこれからあの子達を王都まで送っていく。いつになるか、戻ってくるかも分からない。この村は……お前に頼んだぞ」
ジルの言葉には、力強く重厚な威厳が宿っていた。
憧れの存在であるあの『ジルテスタ』から直々に村を任されたという事実に、若い騎士の心は大きな高揚感と使命感で満たされていく。
騎士は背筋をピシッと伸ばし、声高らかに敬礼を捧げて答えた。
ジルは満足そうに小さく微笑むと彼の肩をポンと叩き、村の中央に位置する広場へと足を進めた。
広場の中央に到達すると、ジルはおもむろに腰の剣を引き抜く。
その唐突な動作を目にしたラックが、ミカを伴って駆け寄ってきた。
次の瞬間、ジルは剣を高く振りかざすと、地面に向かって勢いよく突き刺した。
甲高い澄んだ鈴の音が響き渡り、研ぎ澄まされた刃が深々と土に突き刺さる。
「な、何してんだよ、ジル」
目の前で起きたあまりに破天荒な行動に、ラックは動揺を隠せずに尋ねた。
集まってきた村人たちも、何事かと不思議そうにその光景を見つめている。
ジルは刺さった剣から手を離すと、ゆっくりと語り始めた。
「魔物が何に寄ってくるか分かるか?」
問いかけられたラックとミカは顔を見合わせ、首を横に振る。
「弱者の匂いだ。自分よりも弱いものを本能で見つけ、そして襲いかかる」
ジルは地面に凛と立つ剣へと視線を戻し、言葉を重ねた。
「この剣には……数え切れないほどの血の匂いがこびり付いている。そして、私の気配もな」
「この剣があれば魔物は怯え、村の周囲に近づく事は無いだろう。後任を信用していない訳じゃないが……念には念をな」
地面に刺さった剣からは、どことなく恐ろしくも神秘的な雰囲気が漂っていた。
ジルの意図を聞いたラックは、静かに尋ねる。
「……いいのか? ずっと使ってきた大事な剣じゃないのか?」
ジルは剣の柄にそっと手を添え、優しく答えた。
「これでいい。この剣は……血を吸いすぎた。ここで誰かを守り続けられるなら……それがいい」
ジルは静かに目を瞑り、自身の手を染めてきた血塗られた過去を脳裏に浮かべた。やがて、ゆっくりと柄から手を離す。
ラックはその決意を見届けたあと、ジルへ問いかけた。
「武器……どうするんだ? 無いと困るだろ」
すると、ジルはおもむろに歩き出す。
彼女が向かったのは、村に一件だけ存在する鍛冶屋だった。
そして少しののち、手になにかを携えて戻ってくる。
彼女の手の中にあったのは、装飾も施されていない簡素な銀色の剣だった。
かつて身につけていた威容溢れる名剣とは異なり、どこにでも売っているような普通の市販品だ。
「それは? もしかして……とんでもない名刀とか!?」
元騎士団長であるジルがわざわざ選んだ武器だ、きっと隠された名刀に違いないと踏んだラックが興奮気味に尋ねる。
しかし、ジルから返ってきた答えは予想とは大きく外れていた。
「いや……何も知らない綺麗な剣だ」
新品の刃を優しく撫で、ジルは穏やかに微笑む。
「旅立ちにはちょうどいい」
その言葉を聞いたミカは、首をブンブンと縦に振りながら大きく同意した。
「わ、わかりますっ! 新しいものいいですよね……! 私の杖と一緒ですっ!」
ずれた理解のまま元気いっぱいに答えるミカの様子に、ジルとラックは思わず声をあげて笑ってしまう。
ミカは自分だけ何のことか分からず、つられて「えへへ」と可愛らしく微笑んでいた。
こうして、村に滞在する最後の穏やかな一日は静かに終わりを告げていった。
翌朝。荷物を整え、出発の準備を終えるミカとラック。
振り返れば、この数日間は本当にあっという間だった。
ミカは子どもたちから異常なほどに懐かれ、ラックはオヤジたちからまるで実の息子のように可愛がられていた。
二人は胸の奥に一抹の寂しさを抱きながらも、旅立ちの支度を完了させる。
二人が宿屋をあとにすると、村の唯一の出口である広場には、村中の人々が集結していた。
人集りの中心では、先に準備を終えていたジルが腕を組んで二人の到着を待っている。
「ごめん、遅くなった!」
ラックとミカはジルの元へと走っていく。
「ラ、ラックが寝癖直すの遅いんですよ……!」
お互いのせいにしながら賑やかに駆け寄ってくる二人。
その相変わらずなやり取りに、村人たちの顔へ自然と笑みがこぼれた。
「ったく、最後まで締まらないな」
ジルも呆れたように笑う。
その時、人集りを割って誰かが二人の元へ駆け寄ってきた。
村に到着した初日、案内してくれた少女──ラピナだった。
ラピナの大きな瞳には、溢れんばかりの涙が溜まっている。
「お姉ちゃんたち……もう行っちゃうの……?」
ミカはラピナの目線に合わせてその場にしゃがみ込むと、頭を優しく撫でた。
「また……帰ってきますから。いつか必ず」
少女は溢れ出る涙を必死に腕で拭うと、後ろ手に隠していた野花で編んだ冠を、ミカの頭へとそっと載せた。
ミカの輝くような真っ白の髪に映える、色とりどりの野花で作られた、不器用ながらも心尽くしの美しい花冠。
「ふふっ……ありがとうございます。……似合ってますか?」
ミカの優しい問いかけに、ラピナは満面の笑みを咲かせて強く頷いた。
「うん……っ! とってもっ!」
ミカは嬉しそうに微笑むと、懐からそっと何かを取り出した。
それは、小さな手編みの腕輪。
子どもたちと摘んだ花を使って陰でこっそりと編み上げた、約束の腕輪。編み慣れないミカの手で作られた不格好な小さな腕輪だった。
それをラピナの細い手首へと優しく通すミカ。
「ラピナさんも……似合ってますよ。すっごくっ……!」
ラピナは自分の腕にはめられた花輪を宝物のように見つめると、愛おしそうに胸に抱きしめて笑顔を浮かべた。
ジルとラックは、そんな二人のやり取りを温かな眼差しで見守っている。
「ミカ……良い奴だろ」
隣に立つジルへ、ラックが小声で呟く。
ジルは小さく頷いた。
「ああ……そうだな」
旅立ちを祝福するかのように、心地よい風が吹き抜けていく。
三人は手を振る村人たちへ何度も振り返りながら、ゆっくりと歩み出していった。
立ち並ぶ木々が命のさざめきを奏で、緑の葉を美しく揺らしていた。




